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- <お正月と法律>年賀状を見て思ったこと~文書の訂正 印影の訂正~
- 遺産となる預金を勝手に使った者が得をする?
- 田舎の土地の登記手続を放置していてもよいか?
- 法定外公共物の管理に関する考え方(ある法律相談から)
- 「事実上婚姻関係と同様の事情に合った者」って、誰のことをいうのか?
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その⑦ その⑧ その⑨ その⑩前編 その⑩後編 その⑪ その⑫
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その① その② その③ その④ その⑤ - ~犯罪被害者と犯罪報道~
その① その② その③ - ~不在者に対する町営住宅の明渡手続について~
- ~お正月と法律~
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- 木の枝と木の根っこ
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その① ② - 地方公共団体と法人への財政援助の規制
- 議会議員の兼職禁止について
- 地方公共団体と暴力団排除条例について
その① ② ③ - 公有地内の宗教施設の取扱い
- 御伽噺(おとぎばなし)と法律シリーズ
その① ②-1 ②-2 ③ ④ ⑤ - 行政に対する反対署名簿に関する調査行為の適法性
その① ② - 高齢者と法律「トラブル発生の未然防止策」
その① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ ⑧ ⑨ - 地方自治体の金銭債権の管理 「時効管理と回収手続を中心に」
その① ② ③ ④ ⑤ ⑥ ⑦ - 地方自治体の金銭債権の管理 「時効管理と回収手続を中心に」付録
その① その② - ~海遊びと法律~
- ~弁護士の職業意識について~
- ~あるテレビ番組の話(旅館での忘れ物・高級時計)~
- ~空き家・廃屋の処理と条例制定~
- ~司法修習生の給費制について~
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公務災害補償における通勤災害の「逸脱・中断」の例外とは?
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
<事例>
Aさんは、普通自動二輪車での通勤途上、通勤道路沿線にあるコンビニエンスストアに立ち寄り当日の昼食を購入し、同店舗の駐車場から通勤道路に入ろうとした際に、駐車場内で自動車と衝突し、普通自動二輪車ごと転倒し左膝関節骨折等の怪我を負った。通勤災害として治療費・休業損害の補償を受けられるか。
1.お正月も終わり、御用始め・仕事始めと共に通勤生活が始まりましたが、朝方の通勤時には多くの通勤者がコーヒーや軽食を求めてコンビニエンスストアに立ち寄る姿を見かけます。
今回は、公務員の公務災害補償制度における通勤災害について学んでおきましょう。
(1)地方公務員災害補償法で、次のような定めがあります。
第1条「地方公務員等の公務上の災害(負傷、疾病、障害又は死亡をいう。以下同じ。)又は通勤による災害に対する補償(以下「補償」という。)の迅速かつ公正な実施を確保する」(一部省略)
第2条第2項「この法律で「通勤」とは、職員が、勤務のため、次に掲げる移動(代表的なものとして「一 住居と勤務場所との間の往復」が挙げられている)を、合理的な経路及び方法により行うことをいう」(一部省略)
同条第3項「職員が、前項各号に掲げる移動の経路を逸脱し、又は同項各号に掲げる移動を中断した場合には、当該逸脱又は中断の間及びその後の同項各号に掲げる移動は、同項の通勤としない。ただし、当該逸脱又は中断が、日常生活上必要な行為であつて総務省令で定めるものをやむを得ない事由により行うための最小限度のものである場合は、当該逸脱又は中断の間を除き、この限りでない。」
(2)これを分かりやすくまとめると、次のようになります。
① 通勤災害と認められるためには、公務員が勤務の為、住居と勤務場所との間を合理的な経路及び方法により往復することにより当該災害(事故等)が発生したものでなければなりません。
② 合理的な往復の経路であっても、「逸脱」又は「中断」した場合には、逸脱又は中断した間はもちろん、その後通常の往復経路に戻った場合でも通勤災害にはなりません。
③ しかし、経路からの「逸脱又は中断」が「日常生活上必要な行為であって、やむを得ない事由により行うための必要最小限度のものである場合(地方公務員災害補償法施行規則第1条の5「日用品の購入その他これに準ずる行為」等)には、当該逸脱又は中断の間を除いて、通勤災害と認められます。
(3)さらに解釈を細かく検討してみましょう。
① 「逸脱」とは、通勤とは関係のない目的で合理的な経路から逸れることをいい、「中断」とは、合理的な経路上において、通勤目的から離れた行為を行うことをいいます。したがって、通勤の途中で劇場に寄って映画を見たり、酒屋で一杯飲みをしたりする場合は、逸脱又は中断に該当し、当該逸脱又は中断後は通勤とはみなされません。
② 地方公務員災害補償法施行規則の「日用品の購入その他これに準ずる行為」とは、飲食料品、衣料品、家庭用燃料品など、職員又はその家族が日常生活の用に充てるものであって、日常しばしば購入するものを購入する行為、又は家庭生活上必要な行為であり、かつ、日常行われ、所要時間も短時間であるなど、前記日用品の購入と同程度に評価できる行為をいいます。したがって、日用品の購入のほか、独身職員が通勤途中で食事をする場合、理髪店、美容院へ行く場合などがこれに該当するとされる余地もあります。
2.本件事案の検討
(1)本件事案では、Aさんは、当日の昼食を購入するためにコンビニエンスストアに立ち寄っていますので、通勤とは関係のない目的で合理的な経路から逸れており、「逸脱」「中断」に該当しますので、本来は通勤災害にはなりません。
(2)次に、例外の「日常生活上必要な行為であって総務省令で定めるものをやむを得ない事由により行うための最小限度のものである場合」「日用品の購入その他これに準ずる行為」に該当しないでしょうか。
公務災害補償基金本部裁決例では、「例えば、通勤途上で尿意をもよおしたためにトイレを借用する目的でコンビニエンスストアに立ち寄ったり、喉の渇きを癒すために水分を補給する目的で立ち寄ったりした場合には、人の生理的な理由があり、必要最小限度の「ささいな行為」と言えるものであり「通勤に伴う合理的必要行為」と認められるが、本件の場合には、早朝の通勤途上で当日の昼食を購入する目的でコンビニエンスストアに立ち寄ったものであり、生理的な理由とは異なり、「通勤に伴う合理的必要行為」でもなく「ささいな行為」でもない。」と判断しているものがあります(災害補償2021年10月No.570―33頁)
しかし、Aさんの当日の昼食の購入は、上記の例で示したように、地方公務員災害補償法施行規則で示される「日用品の購入その他これに準ずる行為」に該当している点で、通勤災害の適用はあると解釈すべきでしょう。しかしながら、次の点を更に検討しなければなりませんので、まだ通勤災害の適用があるとは断定できません。
(3)通勤災害として適用されるために検討しなければならないのが、災害を受けた場所です。「逸脱」「中断」の場合、通勤災害として適用されるのは、その後通常の経路に戻り、その経路上で災害を受けた場合に限定されています(法第2条第3項は「当該逸脱又は中断の間を除き」としています。)。本件の場合、災害を受けた場所は駐車場内であり、通常の経路に戻っていないため、まだ「当該逸脱又は中断の間」の災害ということになります。そのため、本件事例の場合には、災害時と災害場所の関係で、通勤災害にはならないことになります。
(4)結論:Aさんは、通勤災害としての補償を受けることはできません。
以 上
<お正月と法律>年賀状を見て思ったこと~文書の訂正 印影の訂正~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(相談)
あけましておめでとうございます。年賀状もパソコン等でにぎやかに作成されたものが多くなり、毛筆やペン字での手書きのものはすっかり少なくなりました。手書きのため文字を訂正した年賀状も昔は何通かもらったものです。今年の年賀状を見て思ったのですが、パソコン利用で文章の書き直しは何度でも自由にできるので、訂正のある書面は一般的な書面としても全く見かけないようになりましたね。
ところで、パソコン利用の文書でも、書き直しせずに訂正して契約書などとして官公庁に提出したり、法律的な文書で手書きが求められている書面で訂正したりする場合もあるやに聞いています。契約書の記名の訂正、押印の訂正について、正しい訂正方法があれば、教示されたい。
(回答)
「文書の訂正」ということで、最初に法律上のことで申し上げておきたいことは、年賀状はパソコンを利用して作成してもいいのですが、遺言状は「自筆(手書き)」でないといけないということです。自筆遺言状(正式には「自筆証書遺言」といいます)をパソコンで書き、無効な遺言状となった例(判例:東京高裁平成13年11月28日判決―判例時報1780号104頁)もあります。
自筆遺言状の字句の訂正方法については、民法第968条第3項に「自筆証書(前項の目録を含む。)中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じない。」とありますが、この規定の他に文書や印影の過誤訂正方法を定めた法律や通達等はないようです。
そもそも、押印制度は、中国・日本などの一部の慣行として維持されてきているもので、印鑑登録制度以外に法的に定められたものはないようです。
従って、一般的な文書や契約書等の押印の訂正方法について法的に正しい方法というものはないと言わざるを得ません。
但し、社会慣例として、公文書においても私文書においても、文書の過誤はそれぞれの分野での慣例に従った方法で行われていますので、慣例上求められる方式はあります。
一般的には、上記の遺言状の過誤訂正(加除)の方法に準じて、「二重線で消したその上部に正しい文字や数字を書き加える。訂正部分の近くの欄外あるいはページの上段の欄外に訂正した行、削除した字数と書き加えた字数を「○行目、○字削除、○字加筆」のようにして記載する。その後に記載した削除、加筆の字数の横または下に契約当事者双方が署名、押印で使用した印鑑と同じもので訂正印を押印する。」というのが最も厳格な方法であろうと思われます。記名部分の訂正はこの方法となるでしょう。
契約者双方が作成したものとなる契約書では、双方が同じ契約書を所持するので、抹消した人の印鑑だけで訂正してもいいのですが、後の争いが無いようにするには、契約者双方の押印をしておくべきでしょう。
「印影」の訂正方法としても、上記の文書の訂正方法に準じて、訂正したい「印影」の上に二重線を引き、余白に「印影を削除した」と記載して、契約者の正しい印影(契約書の場合には契約者双方の印影)を押印する、という方法になるでしょう。
そうなると、昨今のコロナ禍のリモートワークの影響で打ち出された「官公署届出等での押印廃止」(令和2年7月7日付総務省自治行政局長通知「地方公共団体における書面規制、押印、対面規制の見直しについて」等)が問題になります。文書に印鑑・印影が不要であれば、文書の訂正として「印影」が押印できないし、押印しても全く意味がなくなるからです。
しかし、私は、この点は特に影響しないのではないかと思います。文書の訂正方法としては、契約書の場合には、契約者同士が「訂正していること」を承知していれば良いのであって、双方が合意した訂正方法(例えば、訂正したい印影に×印を付けるとか、×印を付けた印影は削除したものであるとの付記をするだけ)であれば、問題はありませんし、敢えて印鑑や印影を必要とするものではないからです。
もっとも、文書による契約書において将来の争いが全く生じないようにしたい場合には、「文書や印影の訂正」ではなく、「新たに別個の文書を作成し直す」ということが求められます。
公文書の場合も、基本的には、文書決裁後の訂正は認めない(修正のための決裁文書を起案する)との内閣府大臣官房公文書管理課長通達(平成30年8月 10 日 府公第172号)がありますので、文書は「訂正」ではなく、「作成し直す」ことを基本にすればいいわけです。
お正月は、「年を改める」こと。新しい1年を作っていくのですから、「旧年を訂正」する方法(=コロナ禍の収束)ではなく、「新年を作成」する方法(=コロナ禍の終息)で良い年が迎えられるといいですね。
以 上
遺産となる預金を勝手に使った者が得をする?
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
<事例>
被相続人甲には、長男Aと長女Bの2人の子供がいました。Aは結婚して被相続人の隣に住んでおり、Bは嫁いだので、親である甲の元気な姿を見るために時々甲宅を訪問し話し相手になっていました。甲が死亡した際に、BはAから「甲の遺産として預金通帳にも何も残されておらず、分けるものがない。」と言われましたが、通帳取引経歴を調べてみると、甲が死亡する1年前に400万円がAの銀行口座に振り込まれており、その後半年間で、更に合計500万円が引き出されていました。1年前の400万円は子供の大学進学費用として甲がAに贈与したものであり、その後の合計500万円について、Aは「自分は引き出していないし使っていない。」と主張していましたが、裁判の結果、1年前の贈与400万円は有効と認められ、その後の使途不明金500万円についてはAが勝手に取得したものとして、その500万円分のうちBの法定相続分はAの不当利得になるとして、250万円をBに支払うこととなり、Bが勝訴しました。
しかし、本来なら使途不明金500万円の預金が残っていたことになり、遺産分割協議を行えば、Aには1年前の400万円贈与という「特別受益」があるので、Bの取り分が250万円より多くなるのですが、250万円より多くもらうことができるでしょうか?
<解 説>
1.検討課題の説明
今回は、お金の計算のクイズみたいな事例です。
甲には、死亡1年前の時点で900万円の預金があったわけですが、そのうち、Aに400万円贈与し、更にAが500万円を勝手に引き出して使い、甲の死亡時点では、何の遺産も残っていなかったという事例になります。
本来は、甲の遺産としては900万円あったので、それが死亡時まで残されていれば、Aが450万円、Bが450万円の遺産を取得することになるものです。(なお、遺留分としても各自225万円の権利を有しています。)
しかしながら、死亡前にAへの生前贈与400万円、Aの使途不明不当利得500万円があったことから、Bの相続の権利(相続分450万円、遺留分225万円)は変わらずに確保されるものなのかを検討していきたいと思います。
2.400万円の贈与による不平等の修正
相続人(子の相続)の均等相続の原則(民法第900条第4号)から、他方の子供に生前贈与がなされている場合に、死亡時に実際の遺産が残っていれば、遺産分割協議がなされ、その分割計算方法として、「特別受益」が問題になります。特別受益とは、相続人が被相続人から生前に贈与を受けていたり、相続開始後に遺贈を受けていたり、被相続人から特別に利益を受けていることを言います。特別受益を受けたものが共同相続人の中にいる場合に法定相続分通りに相続分を計算すると、不公平な相続になってしまいます。このような不公平な状態を是正するため民法第903条で特別受益がある場合の相続分の計算が規定されています。Aへの400万円贈与は「特別受益」になります。民法第903条によって、特別受益分400万円は遺産に算入され、本件の場合には、400万円が遺産分割対象となり、Bは法定相続分1/2の200万円を取得し、使途不明金返還分250万円と合わせれば本来の相続分450万円が取得できることになります。
しかしながら、この点については、相続時に「現実の遺産」が残っていなかった場合に、そもそも遺産分割手続きができるか?という大前提の問題があります。遺産分割手続きは死亡時に存在する相続人の相続「共有」状態の遺産を分割する手続きだからです。
3.使途不明金に関する遺産性
Bの立場から、「現実の遺産」としては使途不明金分の金銭が残っていたはずであるという主張が考えられますが、使途不明金の問題は、そもそも遺産としてはどういう性格のものになるのでしょうか?
この点については、現実の預金として残っていない以上は、「預金」としての遺産とは言えません。「預金」としての遺産分割手続きはできません。
使途不明金の問題は、そもそもAが甲の生存中に、甲に無断で甲の預金からお金を引き出し使ったという横領又は窃盗等の犯罪行為に類するものであり、甲はに対して、民法上の不法行為としての損害賠償請求権(民法第709条)又は不当利得返還請求権(民法第703条)という「債権」を有している状態であり、「甲のAに対する金銭債権」という「債権」の遺産ということになります。
そうであれば、「債権」としての遺産分割手続きができるのではないかということになりますが、これについては、最高裁昭和29年4月8日判決-判例タイムズ40-20等で「相続人数人ある場合において、その相続財産中に金銭その他の可分債権があるときは、その債権は法律上当然分割され各共同相続人がその相続分に応じて権利を承継する。」とされ、「損害賠償請求等の金銭債権は可分債権であり、各相続人の分割単独債権となり共有関係には立つものではない。」とされており(なお、この分割債権性は、預金の共有関係を認めた最高裁平成28年12月19日大法廷決定―判例時報2333-68においても変更されていない)、その結果、使途不明金の不法行為損害賠償請求権又は不当利得返還請求権の可分債権は、相続と同時にすでに分割済みであり、遺産分割の対象にはならないということが確定しています。ただし、相続人全員の同意があれば、遺産分割手続きの対象とすることができるという裁判所の運用例があります。(最高裁昭和54年2月22日判決等)
従って、Bとしては、使途不明金に関する遺産分割は、Aの同意がない以上は遺産分割手続きをすることができませんので、Aの特別受益を考慮した平等な分配を求めることができないという状態になります。
4.遺留分減殺の方法からの検討
Bは、遺産分割すべき遺産が無いという状態なのであれば、相続すべき遺産がなく、自分の遺留分が侵害されたのではないかということから、遺留分侵害分の返還(又は損害賠償)をAに求めることを検討することになります(民法第1046条)。
遺留分とは、「相続人が一定の割合の受け取りを法律上で保証されている相続財産の取り分」のことですが、民法第1042条により、Bは生前贈与及び使途不明金等を相続財産とした900万円全体について法定相続分(1/2)の更に1/2の遺留分権を有しています。それを金額に換算すれば、900万円×1/2×1/2=225万円になります。
問題は、Bにおいて遺留分額225万円が侵害されているかどうかですが、Bは使途不明金の裁判で250万円勝訴していますので、遺留分225万円以上の相続財産を取得できていることとなり、遺留分は侵害されていないことになりますので、残念ながら、遺留分を加えて、250万円以上を請求できる根拠にはなりません。
5.結論
以上の検討の結果、本来の900万円の遺産が残っていれば、Aが450万円、Bも450万円の平等分割できたものが、Aへの生前贈与と、使途不明引き出しというAの行為により、最終的には、Aが400+250=650万円、B使途不明金返還分250万円のみという不平等な結果が生じてしまうことになります。
それで、表題を「遺産となる預金を勝手に使った者が得をする?」としたのですが、この不平等な結果の原因は、相続人全員が使途不明金を遺産分割の対象とすることに合意しないと、原則として遺産分割事件において解決をすることができないという手続き上の制約に基づくものであり、これをやむを得ないと考えるのか、遺産分割手続きの対象範囲を広げる法改正を図るべきと考えるか、あなたはどちらでしょうか?
(なお、民法改正により民法第906条の2により「遺産分割前の遺産処分」に関する「みなし遺産」規定が設けられていますが、これは「遺産相続後の遺産分割前の遺産処分」の意味に限定され、遺産相続前の遺産処分の場合には適用がないと解釈されていますので、この問題はまだ解決されていません。)
以上の経過からして、遺産となる預金を勝手に使ったAのほうが得をするということになりそうですが、Aは、「500万円を勝手に引き出している」ということになると、遺産分割上は有利になっても、刑事上の問題としては、「勝手に引き出して取得したもの」として、窃盗罪又は横領罪の刑事犯罪になり、懲役等の刑事上の処罰を受けて、その結果、損害を受けた者(甲又はB)に対する損害賠償義務を負いますので、結局は、刑事上の処罰を受ける分、非常に「損をする」という結論になります。
以 上
田舎の土地の登記手続を放置していてもよいか?
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(相談内容)
私は宮崎県内の片田舎のN町で農家の長男として生まれ育ちましたが、公務員となって家庭も持ち東京で生活しています。N町に住んでいた両親が亡くなり、私が成人したとき(昭和60年)に生前贈与を受けて私の所有名義に移転登記した家・屋敷(不動産所在地はN町、所有者である私の登記上の住所は、学生時代のF市ののまま)の不動産と、父が平成30年に死亡した際の相続財産である農地と駐車場になっている雑種地(不動産所在地N町)がありますが、兄弟姉妹が多いのですが、誰も「田舎(N町) の土地は要らない」と言っていて、父や母からの相続登記をしていないままです。不動産登記はこのまま放置していても構わないでしょうか?
(ご回答)
1 わが国においては、すでに少子高齢社会が始まっていますが、全体的な人口減少により、田舎では誰も住んでいない「限界集落」地域が発生していくと言われています。誰も住まないのであれば田舎の土地は無用の長物となり、かつては相続財産としてプラス財産の中でも最も価値のあった不動産ですが、これからは、固定資産税や賦課金等の負担や管理費用だけが生じるマイナス財産(負債)になっていくのではないかと思われる状況が発生しています。ご相談者のように、相続財産として誰も田舎の土地は要らないと言っている状況は、そのことを示しています。
2 不動産の登記制度は、本来は価値ある不動産の所有者を明記することにより第三者に対する公示力及び対抗力(民法第177条等)によって権利者を保護することを目的とする制度であります。また、建物の新築時に行う『建物表題登記』、建物を取り壊した際に行う『滅失登記』及び土地の地目が変わった場合の『地目変更登記』などのいわゆる「表示に関する登記(表示登記)」に関しては過料制裁による登記義務が定められていますが(不動産登記法第164条)、所有権移転登記(相続登記も含む)、住所変更登記、所有権保存登記などの「権利に関する登記(権利登記)」については、不動産権利者(所有者等)の権利であり不動産権利者(所有者等)の義務ではありませんので登記しなくても過料制裁はありません。
今般、民法や不動産登記法等の改正法律が成立(令和3年4月21日)しました。改正前の不動産登記法上は、相続登記も住所変更登記も「権利登記」ですから、そのまま放置していても構わなかったのですが、今後は「権利の登記」の放置は過料制裁の問題になります。
3 この不動産登記法の改正により、「相続登記」と「登記名義人の住所変更登記」は義務化されましたので、登記手続きを放置していると、「相続登記」の場合には10万円以下の過料制裁、「住所変更登記」の場合には、5万円以下の過料制裁を受けることになりますので、放置したままではいけないことになります。
なぜ、これらの登記手続きだけを義務化したのかと言いますと、昨今、不動産登記簿を見ただけでは所有者が直ちに判明できないような土地や、所有者が判明しても住所地に所有者が所在せず所在不明で連絡できないような土地(これを「所有者不明土地」と言います。)が、全国土の22%にまで及んでいて(平成29年国交省調査)、公共事業用地買収等の手続きが円滑に進まない状況や、土地管理が全くなされず荒れ地となって近隣や地域に悪影響を与えるなどの社会問題が生じていることから、登記に関する法制度を整備する必要があったからです。
そこで、過料制裁を加えるという形で、「不動産を取得した者は、取得を知った日から3年以内に相続登記の申請をする」(改正不動産登記法第76条の2)、「氏名や住所等に変更があったときは、登記名義人は変更した日から2年以内に変更登記の申請をする」(同法第76条の5)という定めに改正されました。
相続登記義務化は令和6年4月までに施行され、住所等変更登記義務化は令和8年4月までに施行される予定ですので、まだ3年程先の話ですが、対応の準備をしておく必要があります。
ご相談への回答としては、「田舎の土地や建物の登記手続は放置しないで確実に手続きをしましょう。」ということになります。
4 相続土地国庫帰属制度の導入について
最後に、相続した土地について誰も不要だとして所有者が決まらない場合の対処方法として「相続等により取得した土地所有権の国庫への帰属に関する法律」(相続土地国庫帰属法)が制定されたことをお話しておきます。
ご相談者の場合のように、相続登記がなされず放置されている土地が増加している原因の一つとして、相続人各自が相続した土地の利用を希望しないケースが増えています。現在の法制度としては不動産の所有権放棄は原則として認められていないことから、結果として土地の所有権等の権利が残りながら権利者が不在のままで登記も管理も放置されていくわけです。
そこで、相続又は遺贈により取得した土地の所有権を持ちたくない場合には、国庫(国の所有)に帰属させるという制度を創設しました。しかし、これには次の要件が必要で、どんな土地であっても国が引き取ってあげるという制度ではありません。
①土地所有権の管理を阻害するような要素や争いのある土地や管理に過分の費用や労力を要しない土地であること
②10年分の土地管理相当額の負担金を納めること
この要件は、国はまっさらの土地で、かつ買い取ってくれるのではなく、国庫納入負担金10年分を払ってもらえば土地を国が引き取ってあげます、という制度ですから、冒頭に申し上げた、相続する田舎の無用な土地は、相続土地国庫帰属制度を利用したとしても負担だけ負うマイナス財産になるわけです。なお、相続土地国庫帰属制度は令和5年までには施行される予定です。
以 上
法定外公共物の管理に関する考え方(ある法律相談から)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(相談)
法定外公共物である水路(その形状が消失している)を挟んだ両側の土地(不動産登記法第14条第1項の地図上の水路の西側土地がA氏所有地、水路の東側土地がB氏所有地)の各所有者A氏とB氏とが境界争いをしており、境界の基準となる水路の位置を現地で確定するように〇〇市に強く要求している。〇〇市としては、水路を示す資料がないことから、A氏、B氏それぞれに境界確定訴訟を提起してもらって解決するしかないと訴え提起を指導しているが、どちらも自分に費用がかかる手続きはしたくないと訴え提起をせずに、〇〇市が測量等をして相手方に水路を明確に示して解決しろと要求を続けている。〇〇市としてはどういう対応をすればよいか。
(説明と回答)
1 法定外公共物とは
道路や身の回りにある用排水路、湖沼、池沼などの公共物のうち、道路法、下水道法などの特別法によって管理の方法等が決められているものを法定公共物といいます。これに対して、道路法や河川法などが適用されないものを法定外公共物といいます。代表的なものに、里道(赤道)、水路(青道)があります。
2 法定外公共物の管理について
法定外公共物は、すべて慣習法に基づいて管理が行われ、今日に至っていると言われています。法定外公共物でも、国が公共の用に供するものとして「国民に使用を許可しているもの」であり、国民は「使用料支払義務」の代替として「公共物を保全管理する義務」を有するとされています。公共物を保全管理するとは、公共物内に私権を設定せずに、形状や位置の変更を加えずに利用又は使用することであり、その使用の範囲を管理する(すなわち、官民境界を明示する)義務を有しているとされています。
「地方分権の推進を図るための関係法律の整備等に関する法律」(平成11年7月16日法律第87号。以下「地方分権一括法」という。)により、法定外公共物を市町村へ譲与することになりましたが、そもそも、国有財産法第18条第1項・第6項の規定によれば、公共物は受益者(国民)が、道路は道路として、水路は水路としての使用目的を果たすことを条件として法制上無償使用が許可されているものであり、その反対給付として受益者に保全管理する義務が生じると解釈されてきたのです。
地方分権一括法は、法制上、公共物の使用許可者が国から市町村に変更されたにすぎず、受益者の保全管理義務は変更ないので、市町村は、受益者に保全管理義務があることを指導する立場にあり、決して管理義務を負うものではないことに特徴があります。
使用許可を受けたり使用を認められている受益者は、その使用している公共物と自己の所有地との法定境界(地租改正処分確定境界)を不動産登記法第14条第1項に基づく地図及び旧土地台帳付属地図(公図)に基づいて明示する義務を有しているとされてきたことから、決して、公共物管理権限(使用許諾権限)を有する市町村側で、「境界を示す義務」があるわけではありません。
3 本件の回答における基本的考え方(法定外公共物に関する通達等について)
以上の見解を明示する通達や法令はないようですが、従来からそのように解釈されてきていることから、本件では、A氏及びB氏に対して、水路位置の現地での明示を〇○市がしなければならい義務はないと言えます。受益者兼隣接地所有者であるA氏とB氏が境界確定訴訟等で私権行使をすれば足りる話だと考えられます。
4 境界確定訴訟について
なお、境界確定訴訟は、形式的形成訴訟という性質の裁判になるのですが、形式的形成訴訟は、当事者の提出する証拠に基づいて当事者の主張で求められた範囲内で裁判する通常の民事裁判(給付裁判、実質的形成裁判)とは異なり、当事者の主張や証拠を検討し参考にはしますが、それらに何ら拘束されることなく、最終的には、裁判官の合理的判断で境界線を定めることができますので、境界の基準となる水路(法定外公共物)に関する資料や証拠もなく何ら証言できないとしても、裁判所は判決で境界線を定めることはできます。
「水路を示す資料がないことから、A氏、B氏それぞれに境界確定訴訟を提起してもらって解決するしかないと訴え提起を指導している」というご対応でよろしいかと思います。
出典 塚田利和「法定外公共物の成立と境界確定の実務」新日本法規(2000年)
以 上
「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」って、誰のことをいうのか?(その③)
(付録)配偶者の生計維持要件について
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1.問題点
今までの2回は、「配偶者」の範囲について説明してきましたが、我が国の社会福祉生活の救済又は向上を図るための給付行政関連法令では、次の条文に示すように、「配偶者」等の給付を受けられる身分的地位以外に、「生計を維持した者」といういわゆる生計維持要件を求める規定があります。
そこで、最後に付録として、その生計維持要件について説明いたします。
○厚生年金保険法(以下「厚年法」という。)
(未支給の保険給付)
第37条 保険給付の受給権者が死亡した場合において、その死亡した者に支給すべき保険給付でまだその者に支給しなかつたものがあるときは、その者の配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹又はこれらの者以外の三親等内の親族であつて、その者の死亡の当時その者と生計を同じくしていたものは、自己の名で、その未支給の保険給付の支給を請求することができる。」
(遺族)
第59条 遺族厚生年金を受けることができる遺族は、被保険者又は被保険者であつた者の配偶者、子、父母、孫又は祖父母(以下単に「配偶者」、「子」、「父母」、「孫」又は「祖父母」という。)であつて、被保険者又は被保険者であつた者の死亡の当時(失踪の宣告を受けた被保険者であつた者にあつては、行方不明となつた当時。以下この条において同じ。)その者によつて生計を維持したものとする。
4 第1項の規定の適用上、被保険者又は被保険者であつた者によつて生計を維持していたことの認定に関し必要な事項は、政令で定める。
○同施行令
(遺族厚生年金の生計維持の認定)
第3条の10 法第59条第1項に規定する被保険者又は被保険者であつた者の死亡の当時その者によつて生計を維持していた配偶者、子、父母、孫又は祖父母は、当該被保険者又は被保険者であつた者の死亡の当時その者と生計を同じくしていた者であつて厚生労働大臣の定める金額以上の収入を将来にわたつて有すると認められる者以外のものその他これに準ずる者として厚生労働大臣の定める者とする。
2.生計維持要件とは?
厚年法の「生計を維持していたこと」(生計維持要件)は、施行令により「被保険者であつた者の死亡の当時その者と生計を同じくしていた」という生計同一要件とされており、更に、その生計同一要件については、厚生労働省年金局長通知(平成23年3月23日「生計維持関係認定基準等取扱通知」)により次のように定められています。
(1) 次のいずれかに該当する場合
①「住民票上同一世帯に属しているとき」
②「住民票上世帯を異にしているが、住所が住民票上同一であるとき」(内縁関係を想定)
③「住所が住民票上異なっているが、現に起居を共にし、かつ、消費生活上の家計を一つにしていると認められるとき」
(2) 上記の①、②、③に該当しない場合においても、
単身赴任、就学又は病気療養等の止むを得ない事情により住所が住民票上異なっているが、
A「生活費、療養費等の経済的な援助が行われていること」
B「定期的に音信、訪問が行われていること」
➡「その事情が消滅したときは、起居を共にし、消費生活上の家計を一つにすると認められること」
(3) 上記(1)(2)の基準で生計維持関係の認定を行うことが実態と著しくかけ離れたものとなり、かつ、社会通念上妥当性を欠くこととなる場合には、上記(1)、(2)の基準によらずに認定することができる。
3.事案の検討と判例の見解
生計維持要件・生計同一要件について具体的な例で考えてみましょう。
○具体例
夫婦間で、妻が夫の暴力(DV行為)から逃れるために、約30年の夫婦生活の後、約13年間別居し、住民票上の妻の住所も移転していた場合に、遺族厚生年金を受給できる「配偶者で、かつ、死亡の当時その者と生計を同じくしていた者」に該当するでしょうか。
このような事案について、上記の生計同一要件を認定基準に従って詳細に検討した判例があります。以下、東京地方裁判所の令和元年12月19日判決を紹介します。
この判例は、認定基準の上記2の(2)「単身赴任、就学又は病気療養等のやむを得ない事情により別居している」が、「その事情が消滅したときには、起居を共にし、消費生活上の家計を一つにすると認められること」を該当性の一つとして判断しているようにも思えますが、認定基準2の(3)の「上記(1)、(2)の基準で生計維持関係の認定を行うことが実態と著しくかけ離れたものとなり、かつ社会通念上妥当性を欠くこととなる場合には、上記(1)、(2)の基準によらずに認定することができる。」場合の一つの例として判断したものだと解することができます。
○判例(東京地裁令和元年12月19日判決-判例秘書)
(事案の概要)
①原告は、昭和44年10月13日、Aと婚姻し、その後、平成15年5月15日に別居するまでの約33年間にわたり、同人と同居していた。
②昭和45年11月10日、双子である長男及び長女が出生したが、Aは、その頃から、原告に対してたびたび暴力を振るうようになった。
③Aは、平成2年頃から、原告や長女に対して頻繁に暴力を振るうようになった。(長女の右耳の鼓膜に傷害を負わせるなどしたため、長女は同年9月より家を出て一人暮らし)
④原告は、Aによる暴力をその後も繰り返し受け、平成11年1月21日には、Aにより顔面を殴打され、全治1か月を要する鼻骨骨折の傷害を負った。Aの暴力により身の危険を感じたとき、原告は、一時的な避難のために家を出て、長女や親戚の家に身を寄せるなどし、このような家出は複数回に上った。(家出の際、自己が管理していたAの銀行等口座から預貯金を引き出し、当面の生活費として使用したほか、いざというときのために現金で貯蓄していた)
⑤原告は、平成15年5月14日、Aから激しい暴力を受けた上、「明日はバットを持ってきてたたき殺すから、がん首洗って待っておけ。」と言われ、生命の危険を感じ、翌15日にAが外出している隙に長女に迎えに来てもらい、Aとの別居生活を開始した。(別居を開始する際、Aが自宅の金庫内で保管していた現金200万円(長女の婚姻時の結納金100万円、Aの母の遺産分配金100万円)を持ち出したほか、平成15年5月16日、Aの銀行口座から合計170万円を引き出したりしたが、Aは、「お金がなくなれば戻ってくれば良い」などと言うのみで、原告に対して返金を求めたことはなかった。)
⑥Aは、別居開始以降、原告の居場所を探して、原告の実家や熊本市内の親戚の家を訪ね、「これからも叩く。俺の言うことをきかないなら叩く。」などと言い、原告に対する暴力を反省する態度は全く見せなかった。
⑦原告は、Aが退職後国民健康保険にも入らず、原告も加入できていないことから、健康保険への加入の必要性を強く感じたことから、同年4月4日、自らの住民票上の住所を東京都足立区の長男の住所へ移し、さらに、長男が平成24年7月24日に千葉県鎌ケ谷市に転居した際にも、住民票上の住所を長男の転居後の住所へ移した。
⑧Aは、第三者への暴行・傷害2件で約3年間の懲役刑で服役し、大分刑務所を出所後、平成28年8月21日頃から同月31日頃までの間に自宅で死亡した。(Aの死亡は同年9月6日に発見され、死亡の届出は原告が行った)
⑨平成28年11月30日「被保険者の死亡の当時、その者によって生計を維持したもの」には該当しないという理由で、原告に対して遺族厚生年金を支給しない旨の決定がなされた。
(争点)
本件の争点は、本件不支給処分の適法性であり、具体的には、原告が厚年法第59条第1項にいう「被保険者の死亡の当時、その者によって生計を維持したもの」(生計維持要件)に該当するかであり、さらにいえば、厚年法施行令第3条の10にいう「被保険者の死亡の当時、その者と生計を同じくしていた者」(生計同一要件)に該当するかどうかですが、遺族年金不支給という結果が、最終的には「その認定が、実態と著しくかけ離れたものとなり、かつ社会通念上妥当性を欠くこととなる場合」にならないかという観点からの判断も必要になります。
裁判所の判断(判例の内容)は次のとおりです。
(判決の骨子)
1. 厚年法59条1項が、遺族厚生年金を受けることができる遺族について、被保険者等の死亡当時、その者によって生計を維持したものであることを要する(生計維持要件)としているのは、被保険者等の死亡によって生計の途を失う者は生活保障の必要性が高いため、これを遺族厚生年金の支給対象として保護しようとするものと解される。
2. 認定基準では、「単身赴任、就学又は病気療養等のやむを得ない事情により別居しているが、生活費、療養費等の経済的な援助が行われていることや、定期的に音信、訪問が行われていることといった事実が認められ、その事情が消滅したときには、起居を共にし、消費生活上の家計を一つにすると認められるとき」であれば生計同一要件を満たすものと認定し得ることとしているが、これは、当該配偶者が被保険者等と別居し、住民票上の世帯及び住所も別にしているが生計同一要件を満たすと評価できる典型的な場合について定めたものというべきであり、夫婦の在り方にも様々なものがあり得ることに照らせば、生計同一要件を満たすと評価される場合を認定基準に定める場合に限定するのは相当ではない。
この点、認定基準総論ただし書において、認定基準の定めに従うことにより生計維持関係の認定を行うことが実態と著しく懸け離れたものとなり社会通念上妥当性を欠くこととなる場合には、認定基準の定めによらずに認定すべきものとしているのは、以上に説示したところと同旨をいうものとして正当というべきである。
3. 本件において、原告は、被保険者であるAの死亡当時、同人と住民票上の世帯又は住所を同一にしておらず、起居を共にしていたとも認められないため、それでもなお生計同一要件を満たすと評価できる事情があるといえるか否か(が問題である。)
4. 長男及び長女が出生した昭和45年頃から始まったAによる暴力が、次第にその頻度及び程度を増し、一時的な避難のための家出を繰り返しても事態は改善しないどころか、生命の危険を感じる事態となったことから、原告は、平成15年5月にAとの別居を開始するに至ったものであり、別居はやむを得ない事情によるものということができる。
また、(経済面でも)別居中の原告の生計を維持するには、原告の年金収入及び長男や長女等による経済的援助だけでは足りず、同居中の夫婦財産である金銭を生活費に充てるために原告が別居時に持ち出すなどしたことについては、Aも黙認していたり、また、長期間に及ぶ別居にもかかわらず、原告又はAのいずれからも離婚に向けた働きかけがされたことはなく、原告とAとの婚姻が形骸化し、婚姻が解消されたのと同様の状態にあったとは評価することができない(状況であった)。
5. 被告は、本件が、認定基準の「生活費、療養費等の経済的な援助が行われている」場合や「定期的に音信、訪問が行われている」場合に当たらない旨を主張するが、当該認定基準は、当該配偶者が被保険者等と別居し、住民票上の世帯及び住所も別にしているが生計同一要件を満たすと評価できる典型的な場合について定めたものであり、生計同一要件を満たすと評価される場合をこれに限定するのが相当でないことを示しており、また、原告がAと長期間にわたり別居したのはAの暴力から逃れるためであるから、Aの原告に対する積極的な経済的援助や定期的な音信、訪問等が期待し得る状況になかったことは明らかであり、本件の事情の下において、これらの経済的援助や音信等がないからといって生計同一要件を認めないとすることは、厚年法施行令3条の10の解釈適用を誤るものといわざるを得ない。本件は、認定基準総論ただし書により、認定基準の定めに従うことにより生計維持関係の認定を行うことが実態と著しくかけ離れたものとなり社会通念上妥当性を欠くこととなる場合には、認定基準の定めによらずに認定すべきものとしている(場合に相当するものとして、)原告については、厚年法施行令3条の10に定める生計同一要件及び収入要件のいずれも満たすものと認められ、したがって、厚年法59条1項にいう生計維持要件を満たすものと認められるから、同項に定める遺族厚生年金を受けることができる遺族に該当する。
そうすると、原告がこれに該当しないことを理由として遺族厚生年金を支給しないものとした本件不支給処分は違法であり、取り消されるべきである。
以 上
「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」って、誰のことをいうのか?(その②)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
前回(1)(2)(3)に続き、今回は、我が国の給付行政関連法令での給付を受けられる地位としての「配偶者」には「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者も含む」とされているが、その範囲に同性間の婚姻(同性婚)をしている場合も含まれるのかという問題を検討していきたいと思います。
(4)同性間の婚姻(同性婚)の場合、婚姻届書が提出できなくても当該地方自治体からのパートナーシップ証明書の交付を受ける場合がありますが、この場合には、諸給付を受けられる「配偶者」ということになるのでしょうか。
地方自治体からのパートナーシップ証明書の交付を受けている場合、同性婚夫婦の相互の権利が法的保護の対象になるかという点については、女性同士の同性婚をして地方自治体からパートナーシップ証明書の交付を受け、円満な共同生活を続けていたX子とA子に対して、男性BがA子と男女関係を結び、X子とA子との同性婚共同生活が破綻したという事案において、X子から男性Bに対して(不貞行為)慰謝料請求を認めた判例(東京高裁令和2年3月4日判決(原審:宇都宮地裁真岡支部令和元年9月18日判決)があり、同性婚も一定の法的保護を受けられるという傾向にあります。
しかしながら、公的給付制度における「配偶者」性による受給権まで保障されるかどうかについては、次に示すように肯定説、否定説の両説がありますが、最高裁の判例はなく、現時点では名古屋地裁判例に示されるように、「我が国において同性間の共同生活関係を婚姻関係と同視し得るとの社会通念が形成されていたということはできない。」ことを理由に、「同性の犯罪被害者と共同生活関係にあった者が、犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律(以下「犯給法」という。)第5第条1項第1号にいう『事実上婚姻関係と同様の事情にあった者』に該当するとまではいえない。」として、同性者の内縁関係又は同性婚の関係にある者については、公的給付を受けられる「配偶者」性は否定されています。
【1】 論説(参考)
*肯定説
内縁法理は、単に経済的弱者を保護するための制度と捉えられるべきものではなく、広く、種々の理由から法律上の要件を満たさないために婚姻の届出をすることができない者に対して及ぼし得るものとされている。すなわち、〈ア〉婚姻適齢に達していない場合、〈イ〉再婚禁止期間中である場合といった、時の経過によって婚姻障害事由が消滅する場面において、内縁法理による保護が及ぶのはもとより、〈ウ〉重婚の禁止や〈エ〉近親婚の禁止にそれぞれ抵触する場合など、公序良俗との抵触や倫理性の点に疑義がある場合においてすら、少なくとも一定の事例では内縁法理による保護が及ぶことは判例上確立した法解釈である。このように、公序良俗との抵触や倫理性の点に疑義がある場合についてすら、内縁関係としての保護が及ぼされている状況に照らせば、同性間の共同生活関係についても、公序良俗との抵触や倫理性の点に疑義がない以上、内縁関係として保護されるべきであることは当然である。
なお、内縁関係の定義において「夫婦」という用語が用いられることがあるが、これは、同性婚〔同性間の婚姻〕が想定されていなかった時代の名残であり、また、これまで同性間の共同生活関係が内縁関係に該当するか否かが争われた事例がなかったからにすぎず、同性間の共同生活関係を除外する趣旨ではないとみるべきである。
*否定説
「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」とは、いわゆる内縁関係にあった者をいい、具体的には、当事者間に社会通念上夫婦の共同生活と認められる事実関係を成立させようとする合意があり、かつ、当事者間に社会通念上夫婦の共同生活と認められるような事実関係が存在する必要がある。
① 民法においては、婚姻により配偶者の関係にあるものは「夫婦」とされており、同法第739条、第750条等によれば、「夫婦」とは、夫と妻という両性の関係を前提とする概念であると理解されるのであって、現に同法第731条においても「男」、「女」という表現が用いられている。
② 戸籍法第74条に基づく婚姻の届出の様式(戸籍法施行規則第59条、附録第12号様式)においても「夫になる人」、「妻になる人」の記載が必要とされている。
③ これらのことからすると、現行法上、婚姻は異性間で行われることが前提となっているものと解され、犯給法にこれと異なる趣旨の規定は存しない。そうすると、「事実上婚姻関係と同様の事情」として位置付けられる内縁関係も、当然に異性間の関係であることが前提となるから、同性間の関係がこれに包含されることはあり得ず、これに反する立論は、いかに国民の意識等を背景としているとしても、立法政策論の域を出ないというべきである。現在、種々の形で同性パートナーが異性の場合と同様に保護されている旨を指摘するが、原告が指摘する制度は、同性間の共同生活関係を婚姻関係と同様に扱うというものではなく、事実上の配慮として同性間の共同生活関係について一定の利益を付与するものにすぎないから、同性間の共同生活関係において婚姻の意思や婚姻としての実態が認められるという社会通念が形成されているとはいえない。
【2】判例
〇名古屋地裁令和2年6月4日判決―判例時報2466-13(控訴中)
(事案の概要)
(1)原告(男性)と本件被害者(男性)は、平成6年頃に知り合って交際するようになり、その頃から約20年間同居して生活していた。
(2)(本件殺害行為)原告と交際していた本件加害者は、平成26年▲月▲日、原告と本件被害者との関係が継続しているために原告を独り占めすることができないなどと考えて、本件被害者に対して殺意を抱き、原告及び本件被害者の居宅において、本件被害者の左胸部を持っていた洋出刃包丁で1回突き刺すなどし、本件被害者を出血性ショックにより死亡させた。
(3)原告は、平成28年12月12日、愛知県公安委員会に対し、「犯罪被害者の配偶者」(犯給法第5条第1項第1号)に当たるとして、犯給法第4条第1号所定の遺族給付金の支給の裁定を申請したが、愛知県公安委員会は、平成29年12月22日付けで、本件申請につき、遺族給付金を支給しない旨の裁定をした。
(判決骨子)
(1)同性の犯罪被害者と共同生活関係にあった者が犯給法5条1項1号の「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当し得るか否かについて
ア 犯給法は、犯罪行為により死亡した者の遺族又は重傷病を負い若しくは障害が残った者(遺族等)の犯罪被害等を早期に軽減するとともに、これらの者が再び平穏な生活を営むことができるようにするため、犯罪被害等を受けた者に犯罪被害者等給付金を支給するものであり(1条、3条)、重大な経済的又は精神的な被害を受けた遺族等が発生した場合には当該遺族等を救済すべきとする社会一般の意識が生じ、他方で実際上不法行為制度の下での損害賠償等により救済を受けられない場合が多い中で、その状況を放置した場合には法秩序に対する国民の不信感が生ずることから、社会連帯共助の精神に基づき、租税を財源として遺族等に一定の給付金を支給し、遺族等の経済的又は精神的な被害を緩和するとともに、国の法制度全般に対する国民の信頼を確保することを目的とするものと解される。
イ(ア) 犯給法5条1項は、遺族に支給される遺族給付金の支給範囲を、犯罪被害者の配偶者とした上、その配偶者に「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」を含むものとしている。このような犯給法5条1項の規定内容からすると、犯給法は、民法上は法律婚主義が採用されていることから(739条1項)、一次的には死亡した犯罪被害者と法律上の婚姻関係にあった配偶者が遺族給付金の受給権者とされるべきであるものの、前記のような犯給法の目的に鑑み、死亡した犯罪被害者との間において法律上の婚姻関係と同視し得る関係を有しながら婚姻の届出がない者をも保護しようとするものであると解される。そして、①前記のとおり、犯給法の目的が、社会連帯共助の精神に基づいて、租税を財源として遺族等に一定の給付金を支給し、国の法制度全般に対する国民の信頼を確保することにあることに鑑みると、犯給法による保護の範囲は社会通念により決するのが合理的であること、②犯給法5条1項2号、3号に掲げられた親子、祖父母、孫や兄弟姉妹といった親族は、社会通念上、犯罪被害者と親密なつながりを有するものとして犯罪被害者の死亡によって重大な経済的又は精神的な被害を受けることが想定される者であり、これらと並んで同項1号に掲げられている「配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあった者を含む。)」に該当する者についても、同様の者が想定されていると考えられることからすると、同性の犯罪被害者と共同生活関係にあった者が犯給法5条1項1号の「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当するためには、同性間の共同生活関係が婚姻関係と同視し得るものであるとの社会通念が形成されていることを要するというべきである。
(イ) この点につき、原告は、重婚的内縁や近親婚的内縁といった、法律上婚姻が認められていない類型における内縁関係にあった者についても「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当し得ることは解釈として確立していることを指摘し、そうである以上、特に法律上禁止されていない同性間の共同生活関係は、当然に内縁関係として保護されるべきであり、同性同士で共同生活関係にあった者は「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当し得るという趣旨を主張する。
確かに、①重婚的内縁の場合、戸籍上届出のある配偶者との婚姻が事実上の離婚状態にあるとき、②近親婚的内縁の場合、近親者間における婚姻を禁止すべき公益的要請よりも犯給法の目的を優先させるべき特段の事情が認められるときには、そのような関係にあった者は、それぞれ「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当する余地があるものと解される(①につき、最高裁昭和54年(行ツ)第109号同58年4月14日第一小法廷判決・民集37巻3号270頁参照、②につき、最高裁平成17年(行ヒ)第354号同19年3月8日第一小法廷判決・民集61巻2号518頁参照)。しかしながら、重婚や近親婚は、婚姻に該当することを前提とした上で、これを認める弊害に鑑み、政策的に法律婚としては一律に禁じられているものである。それゆえ、個別具体的な事情の下で婚姻を禁ずる理由となっている弊害が顕在化することがないと認められる場合には、法律婚に準ずる内縁関係としての要保護性まで否定する理由はないとの判断が働き、そのような場合の内縁関係は法律婚に準ずるものとして保護されるものと解される。これに対し、同性間の共同生活関係については、政策的に婚姻が禁じられているというのではなく、そもそも民法における婚姻の定義上、婚姻に該当する余地がないのであるから(なお、この解釈自体については、原告も争うところではない。)、重婚や近親婚の場合とは自ずから局面を異にしているといわざるを得ない。
したがって、重婚的内縁や近親婚的内縁が一定の場合に内縁関係として保護されるからといって、同性間の共同生活関係が内縁関係に含まれる理由となるとは解されない。
ウ 同性間の共同生活関係に関する理解が社会一般に相当程度浸透し、差別や偏見の解消に向けた動きが進んでいるとは評価できるものの、同性間の共同生活関係を我が国における婚姻の在り方との関係でどのように位置付けるかについては、同性パートナーシップに関する公的認証制度を設ける地方公共団体は多数に上るものの、その契機となった渋谷区条例が制定されてから本件処分当時までは約2年が経過していたにとどまり、現在においても依然として、相当数の地方公共団体においては同性パートナーシップに関する公的認証制度は設けられておらず、また、地方公共団体や民間企業における人事関連制度や民間企業における各種サービスの下で同性間の共同生活関係を異性間のものと同様に扱う取組も依然として地方公共団体や民間企業に広く浸透しているとはいい難く、いまだ社会的な議論の途上にあり、本件処分当時の我が国において同性間の共同生活関係を婚姻関係と同視し得るとの社会通念が形成されていたということはできない。
エ 結論
本件処分当時の我が国において、同性の犯罪被害者と共同生活関係にあった者が、犯給法5条1項1号にいう「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」に該当するとまではいえない。
(5)最後に
このように名古屋地裁判決では、「本件処分当時の我が国において同性間の共同生活関係を婚姻関係と同視し得るとの社会通念が形成されていたということはできない。」として、同性者の内縁関係又は同性婚の関係にある者については、公的給付を受けられる「配偶者」性は否定しているのですが、控訴中であり、上級審がどのように判断されるか注目されるところです。我が国の社会通念が、同性間での夫婦としての関係を認める方向へ進んでいく中においては、男女夫婦、女性間夫婦、男性間夫婦であろうが、一律に公的給付を受けられる「配偶者」性が認められる時代になるであろうと想定されます。
以 上
「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」って、誰のことをいうのか?(その①)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1.問題点
我が国の社会福祉生活の救済又は向上を図るための給付行政関連法令では、次の条文に示すように、行政分野の給付を受けられる地位としての「配偶者」には「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者も含む」との法律の規定がなされており、この「配偶者」「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」の意義及び範囲をめぐって、同性婚の許容の問題を含めて、それに該当するか否かの判断が難しい例が多くあるようです。これらの問題に関して判例の見解が示されてきています。今回は、その点を3回に分けて検討してみたいと思います。
・第1回(①)「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」には、いわゆる重婚的内縁も含まれるのか。
・第2回(②)「事実上婚姻関係と同様の事情にあった者」には、同性婚の内縁関係も含まれるのか。
・第3回(③)「(付録)配偶者の生計維持要件について」
まず、法律の規定例を冒頭に示しておきます。
○厚生年金保険法第3条第2項
この法律において、「配偶者」、「夫」及び「妻」には、婚姻の届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含むものとする。
○同法第37条第1項(未支給の保険給付)
保険給付の受給権者が死亡した場合において、その死亡した者に支給すべき保険給付でまだその者に支給しなかつたものがあるときは、その者の配偶者、子、父母、孫、祖父母、兄弟姉妹又はこれらの者以外の三親等内の親族であつて、その者の死亡の当時その者と生計を同じくしていたものは、自己の名で、その未支給の保険給付の支給を請求することができる。
〇犯罪被害者等給付金の支給等による犯罪被害者等の支援に関する法律(犯給法)第5条(遺族の範囲及び順位)
遺族給付金の支給を受けることができる遺族は、犯罪被害者の死亡の時において、次の各号のいずれかに該当する者とする。
一 犯罪被害者の配偶者(婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にあつた者を含む。)
二 犯罪被害者の収入によつて生計を維持していた犯罪被害者の子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹
三 前号に該当しない犯罪被害者の子、父母、孫、祖父母及び兄弟姉妹
2.配偶者の定義と範囲
配偶者の意義ですが、わが国は法律婚主義を取っています(民法第739条・戸籍上の届出)ので、「法律上の婚姻関係(戸籍上の婚姻関係)にある者」を言います。
婚姻は、「夫婦生活の実態があること」と「法律上の届出(婚姻意思)があること」の二つの要件が必要とされていますので、その二つの要件が備わっていない次の場合には、有効な婚姻関係とは認められない場合があります。
その一つは、民法第742条第1号の場合です。婚姻届出があっても、当事者間に婚姻する意思が無い場合には婚姻は無効となり、婚姻している配偶者とは認められないことになります。
二つ目は、民法第742条第2号の婚姻届出自体がない場合です。夫婦生活の実態がない場合には、婚姻は無効であり婚姻している配偶者とは認められません。但し、夫婦生活の実態がある場合には、「内縁関係」として、「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」として保護される場合があります。
三つ目は、有効に婚姻したが、夫婦の実態が解消され離婚も合意しているが離婚届出をしていないので戸籍上は婚姻関係が残っている場合には「外縁関係」(「内縁関係」の反対の状態なので「外縁関係」と呼ばれる)として、婚姻している配偶者になるのかどうかが問題となる場合があります。
最後に、「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」に、同性婚又は同性の内縁関係も含まれるのか否かが昨今問題になっています。
3.判例による具体的判断
それでは、裁判で争われた例で、それぞれの問題点を考えていきましょう。
(1)一旦婚姻する意思で婚姻したが、当事者双方離婚する意思で夫婦生活を解消したものの離婚届出だけを提出していない場合、これを「外縁関係」という場合がありますが、この場合には、諸給付を受けられる「配偶者」ということになるでしょうか。
次の判例は、事実上離婚状態にあるいわゆる外縁関係になる場合には、「婚姻している配偶者」には該当しないとした判例です。
但し、この判例では、他方の「内縁の妻」の「配偶者」性を認める旨の判示はしていません。この点は、後記の(3)の最高裁平成17年4月21日判決―判例時報1895-50で、重婚関係の内縁の妻を「配偶者」として認めることができるかという観点で争いになっています。
〇最高裁判例昭和58年4月14日判決―判例時報1124-181
(事案の概要)
法律上の配偶者Bが、被保険者(夫A)死亡後の遺族年金支給を求めた事案である。当該の被保険者には、その当時、10年以上同居していた内縁の妻Xがいた。
(判決骨子)
「(遺族年金給付資格のある)配偶者の概念は、必ずしも民法上の配偶者概念と同一のものとみなさなければならないものではなく、…遺族給付は,組合員…が死亡した場合に家族の生活を保障する目的で給付されるものであって…戸籍上届出のある配偶者(B)であっても、その婚姻関係が実体を失って形骸化し、かつ、その状態が固定化して近い将来解消される見込みのないとき、すなわち事実上の離婚状態にある場合には、もはや右遺族給付を受けるべき配偶者には該当しないというべきである。」
(2)民法第734条第1項により婚姻が禁止された近親者同士の内縁関係あった者については、諸給付を受けられる「配偶者」又は「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」ということができるでしょうか。
当初、最高裁判例(昭和60年2月14日訟月31巻9号2204頁)では、姻族一親等にあたる事実婚配偶者(近親婚違反の夫婦)の遺族年金支給裁定が問題となった事件で、判決では、「(近親婚禁止の規定により)将来においても法律上有効な婚姻関係に入りうる余地のない内縁関係を反倫理的でないと解することはできず、公的給付を受けるにはそれにふさわしい者を給付対象とすべきものと解され、将来において法律上有効な婚姻関係に入りうるかなどの点について、重婚的内縁の場合とは事情を異にしており、反倫理的関係に立つ者に受給資格を認めることはできない」としていました。
しかし、次に示す最高裁判例では、近親婚の程度が姻族一親等夫婦事案ではなく、三親等の傍系血族間夫婦事案であったことから、反倫理性は弱いこと等を理由に、遺族厚生年金の支給を受けることができる「配偶者(内縁関係の配偶者)」として認めています。
〇最高裁平成19年3月8日判決―判例時報1967-86
(事案の概要)
厚生年金保険の被保険者であったA(Xの父の弟)との間で内縁関係にあったXが、Aの死亡後、厚生年金保険法第3条第2項にいう「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」として同法第59条第1項本文所定の被保険者であった者の配偶者に当たり、Aの死亡当時、同人によって生計を維持していたと主張して、Y(社会保険庁長官)に対し、Aの配偶者としての遺族厚生年金の支給裁定を請求したところ、Yから、上記内縁関係は、民法第734条第1項により婚姻が禁止される近親者との間の内縁関係に当たり、Xは厚生年金保険法第59条第1項本文所定の配偶者とは認められず、遺族ではないとして、遺族年金を支給しない旨の裁定を受けたことから、その取消しを求めた事件である。
第一審は、Xの請求を認めたが、控訴審は反対に Xの請求を退けた。
(判決骨子)
「厚生年金保険制度が政府の管掌する公的年金保険制度であり…婚姻法秩序に反するような内縁関係にある者まで、一般的に遺族厚生年金の支給を受けることができる配偶者にあたると解することはできない。…(本件の)三親等の傍系血族間の内縁関係も、このような反倫理性、反公益性という観点からみれば、基本的にはこれと変わりがない…。」
「(本件)内縁関係については、それが形成されるに至った経緯、周囲や地域社会の受け止め方、共同生活期間の長短、子の有無、夫婦生活の安定性等に照らし、反倫理性、反公益性が婚姻法秩序維持等の観点から問題とする必要がない程度に著しく低いと認められる場合には、…禁止すべき公益的要請よりも遺族の生活の安定と福祉の向上に寄与するという法の目的を優先させるべき特段の事情があるというべきで…(本件)内縁関係については、上記の特段の事情が認められ、Xは、厚生年金保険法第3条第2項にいう『事実上婚姻関係と同様の事情にある者』に該当し、同法第59条第1項本文により遺族厚生年金の支給を受けることができる配偶者に当たるものというべきである。」
(3)法律上の配偶者と事実上の配偶者とが並存していた場合において、いずれが遺族年金受給資格者たる「配偶者」又は「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」になるのでしょうか。
重複結婚は禁止されていますので、重複婚状態になる内縁関係の法律上の保護は受けないのではないかという問題があり、前述の最高裁判例昭和58年4月14日判決―判例時報1124-181では、「法律上の妻(B)」の外縁関係での「配偶者」性は否定していましたが、「事実上の配偶者(X)」の内縁関係による「配偶者」性は判断していませんでした。
しかし、次の最高裁判例では、「法律上の妻(B)」の外縁関係での「配偶者」性は否定していましたが、「事実上の配偶者(X)」の内縁関係による「配偶者」性を認めています。
〇最高裁平成17年4月21日判決―判例時報1895-50
(事案の概要)
①A夫とB(戸籍上の妻・法律上の配偶者)は、法律上、正当な婚姻手続を経た夫婦である。両者はAが勤務していた国立大学の宿舎で同居していたが、昭和53年ないし55年ころからAが宿舎を出て別居して生活するようになり、Aが死亡した平成13年1月12日まで20年以上の長期にわたり別居を続けた。 その間、両者の間に交渉はなく、Aが宿舎料を負担していたほかはBの生活費を負担することもなかった。AとBは、両者の婚姻関係を修復しようとする努力はせず、昭和57年以降は会うこともなかった。
②X(内縁の妻・事実上の配偶者)は、A夫がBとの別居後に親密な関係になり、昭和59年ころからAと同居して夫婦同然の生活をするようになり、その生計はAの収入によって維持されていた。Aが死亡した際も、Xが最期まで看護をした。
③Aの死亡後、X(事実上の配偶者)がY(保険者たる日本私立学校振興・共済事業団)に対して、遺族年金の給付請求をしたところ、YはBが存在することを理由にXへの支給をしない旨の裁定をしたため、Xが、上記裁定の取消を求めて訴えを提起した事案である。
④私立学校教職員共済法第25条は国家公務員共済組合法を準用し、同法第2条には「(遺族とは)組合員または組合員であった者の配偶者…で、組合員…の死亡の当時(失踪の宣言を…同じ。)その者によって生計を維持していたものをいう」旨の規定があり(同条第1項第3号)、さらに配偶者については「婚姻の届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者を含むものとする。」と、厚生年金保険法と同様の規定がある(同条第4項)。
(判決骨子)
「AとB(戸籍上の配偶者)は、「20年以上もの長い期間にわたって別居しており、AとBは、別居を開始する以前に離婚の話し合いを行っており、…Bがこれを拒絶し、ついには2人の間で話し合い自体ができない状態になったまま、別居に至ったということができる」、「AとBは、…夫婦としての感情の交流を窺わせるような手紙のやり取りはない」、「また、Aは…Bに対して相応の生活費を送金して…いないこと、他方において、BもAに対して長い間生活費の負担を求めることはなく…BとAとの経済的な依存関係についてもこれを認めることはできない」。
このような事実関係の下では、AB 間の「婚姻関係は実体を失って形骸化している上、そのような状態が固定化していて、その関係が近い将来に修復される見込みはなかった」というべきであり、他方、X(事実上の配偶者)は、Aとの間で事実上の婚姻関係にある者というべきであるから、B(戸籍上の配偶者)は私立学校教職員共済法第25条において準用する国家公務員共済組合法第2条第1項第3号所定の遺族として遺族共済年金の支給を受けるべき「配偶者」に当たらず、X(事実上の配偶者)がこれ(「届出をしていないが、事実上婚姻関係と同様の事情にある者」)に当たる。
最後の、「同性婚又は同性の内縁関係も含まれるのか」という昨今の問題については、次回詳細に検討してみたいと思います。(次回に続く)
以 上
宮崎県下の全市町村へのお願い~犯罪被害者等支援条例の制定を!!~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1.犯罪被害者の実情と法律
私たちは、社会の中で多くの人と共に生きており、自ら安全・安心な生活をしていても、いつ、どこで他者から理不尽な犯罪による被害を受けるかもしれません。そして、ひとたび犯罪被害に遭い身体的にも精神的にも大きなダメージを受けようとも、これからも今まで住んできた「地域(市町村)」で生きて行かねばなりません。我が国でも、多くの方々が思いもよらず、犯罪被害者やその家族・遺族となり、犯罪による直接的な被害を受けるだけでなく、それに伴い生じる精神的なショックや再度の被害への不安、周囲の無理解や心無い言動など、二次被害にも苦しみ、社会から孤立する状況も見られるところです。
このような状況に置かれた犯罪被害者やその家族・遺族(以下「犯罪被害者等」といいます。)には、犯罪者としての嫌疑を受けている刑事被疑者・被告人の憲法上の権利以前に、私たちの社会に生きる一人一人としての個人の尊厳にふさわしい処遇がなされることが憲法上の人権として保障されている(憲法第11条「国民は、すべての基本的人権の享有を妨げられない。」・憲法第13条「すべて国民は、個人として尊重される。」)ものであり、犯罪被害者あるいはその遺族として地域社会から孤立することのないよう、国や地方公共団体・地域の人々が犯罪被害者等に対して、早期に被害から回復し平穏な日常生活を取り戻すことができるよう、手を差し伸べ、寄り添い、支え合っていける社会であって欲しいという願いは、法的制度としても実現されなければなりません。
このような問題意識を受けて、国は、平成16年12月1日、犯罪被害者等基本法(以下「基本法」といいます。)を制定しました。この基本法は、犯罪被害者等の権利利益の保護を図ることを目的として、そのための施策に関する基本理念を定め、国および地方公共団体の責務を明らかにしています。犯罪被害者等は被害を受けた後にも従来の「地域」で生活していかなければならないことから、「地域住民」の生活に関する権限と責務を有する地方公共団体においては、犯罪被害者等に対する支援の責務を負う(基本法第5条)とされているのです。
2.犯罪被害者等支援活動について
犯罪被害者支援の基本は、警察や弁護士などが刑事裁判業務の中だけで行うものではなく、「地域」の中での生活再生の支援なのです。
例えば、宮崎県内で平成15年に設立(平成16年4月法人化)された「公益社団法人みやざき被害者支援センター」のボランティア支援員が地域の被害者の方への支援に入ろうとしても、被害者自身は、見知らぬ支援員には不安感や遠慮を感じるでしょう。信頼できる親戚や近所の知人に頼ります。また、どこかに相談する場合、一番身近な役場や市役所や地域の民生委員に相談するでしょう。福祉の手続きをするための相談になるでしょう。そのような犯罪被害者の「地域性」からして、地方公共団体がいち早く取り上げて寄り添ってあげるということが必要なのです。
被害者が希望する行政による具体的な施策例としては、
1 犯罪被害者給付金支給法では支給外となる事例への給付金制度による経済援助
2 地域での生活環境に関する援助としてボランティア支援員の派遣及びボランティア支援員や支援団体の育成
3 犯罪被害者支援に関する総合的な相談窓口の創設
4 地域警察や公益社団法人みやざき被害者支援センターとの連携と地域支援ネットワークの構築
等が挙げられます。
(1)宮崎県内の被害者支援活動の先駆性
これらの施策を、「犯罪被害者支援条例」として制定することは、国の施策や指示を待たなくても可能です。実は、これらの実践面では、宮崎県及び県内市町村は全国の先端を行っていました。犯罪被害者等基本法ができたのは、平成16年12月ですが、それ以前の平成15年11月に社団法人 宮崎犯罪被害者支援センターが設立され、平成16年4月から活動を始めています。そして、同時期から宮崎県は犯罪被害者支援事業も開始しており、支援事業委託に伴い、当時の社団法人 宮崎犯罪被害者支援センターの財政基盤になるものとして、宮崎県と全市町村から委託費と負担金(一人当たり3円)を拠出していただいているのです。
宮崎県内の犯罪被害者支援活動は、法律ができる前から、県下全市町村の行政が、全国に先んじて、関係機関の連携と具体的体制の下で、実践的な段階を進んできているのであり、そのことは行政を担当されている皆さんが大いに自負できることだと思います。
(2)宮崎県下での犯罪被害者等支援条例の制定の動き
ただ、宮崎県で遅れている点もあります。宮崎日日新聞(令和2年5月18日付)や読売新聞(令和2年5月25日付)にも書かれていましたが、令和2年5月時点では、県内の地方公共団体の中で「犯罪被害者支援条例」を制定している市町村が一つもなく、県も条例をもっていなかったという点です。(但し、その時点においても、宮崎県と木城町が条例制定に向けて準備をしておりました。)
全国的な被害者支援条例の制定状況を見てみますと、都道府県レベルでは、宮城県が平成15年12月に「宮城県犯罪被害者支援条例」を全国で初めて公布・制定しています。
市町村レベルでは、宮城県条例よりも先に、埼玉県嵐山町が平成11年に条例を制定したのを皮切りに、滋賀県守山市や東京都日野市などが条例を定めています。令和に入ってからは、各都道府県で「犯罪被害者支援条例」が制定され(但し、令和3年4月時点で長野、広島、鹿児島、宮崎が未制定)、大分県では、県をはじめ県内全市町村で犯罪被害者支援条例が制定されるなど、地方行政が積極的に犯罪被害者支援のできる体制作りをしてきています。
宮崎県では、令和2年12月から令和3年1月にかけて、「宮崎県犯罪被害者等支援条例(仮称)骨子案」を公表して意見募集(パブリックコメント)手続きを進めてきており、令和3年6月の宮崎県議会において「宮崎県犯罪被害者等支援条例」を審議し、公布されれば令和3年7月から施行する予定であります。
「宮崎県犯罪被害者支援条例」が施行されるとなれば、宮崎県が、充実した安全・安心な地域を目指す宮崎県政の政策のひとつが実現されるものと大いに評価するものです。さらには、この県の条例が道標となり、地域として最も犯罪被害者等に寄り添うべき市町村において「犯罪被害者等に対する支援条例」が定められることによって、県と連携した手厚く具体的な犯罪被害者支援策を実現することが可能となります。
また、条例の制定は、市町村職員はもとより地域住民である私たちにとっても、犯罪被害者等に対する支援の具体的な行動の道標にもなります。
県内の市町村では、木城町において令和3年4月に「木城町犯罪被害者等支援条例」が公布・施行されました。その他の市町村においても条例制定へ向けた動きが見られます。犯罪被害者等支援条例を定めている国内の市町村においては、専門的な職員を配置した総合支援窓口の設置、既存の住民サービスの犯罪被害者等支援への活用、犯罪被害者等を対象とした新たなサービスの整備、簡易かつ迅速な手続による見舞金や生活費の支給等の支援が設けられています。
このような犯罪被害者支援が、住んでいる地域の被害者等支援条例の有無によって受けられたり受けられなかったりすることは、望ましいことではありません。そのようなことがないように、宮崎県内の全ての市町村で犯罪被害者等を支援するための条例が制定されなければなりません。
私は、宮崎県弁護士会の犯罪被害者支援委員会委員、公益社団法人みやざき被害者支援センター役員、宮崎県町村会顧問をしている立場ではありますが、犯罪被害者支援活動を担う宮崎県民の一人として、宮崎県及び県内の全市町村で犯罪被害者等支援条例の制定がなされることを期待し願っている次第です。
以 上
20歳・19歳・18歳の同時成人式?~令和4年4月1日施行の民法の改正~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(相談)相談日:令和3年4月1日
私には、平成14年3月15日生まれの長男(19歳)と平成16年1月30日生まれの次男(17歳)がいますが、民法改正法(成人年齢改正)が令和4年4月1日に施行され、長男は20歳のままの成人なのですが、次男も18歳で成人になりますので、令和5年1月の成人式は長男20歳、次男18歳で合同の成人祝いの宴会を親戚家族で企画したいと思います。何か注意する点があるでしょうか?
(解説)
1 民法改正と18歳成人
2018 年(平成30年) 6月13日、成人(成年)年齢の引き下げを主な内容とする「民法の一部を改正する法律(以下、改正法)」が成立しています。この法律の施行日は、2022年(令和4年)4月1日となっており、この日まで18歳になっている国民は、令和4年4月1日から成人扱いになります。法律制定から法律施行まで4年間の猶予期間をもうけたのは、消費者被害への対策や他の年齢基準の法律の改正検討をすることと、18歳成人の法制度を国民に周知させる必要があったからとされています。
2 令和4年4月1日施行日に想定される状況について
今回の改正法の施行により、成人となる時点が20歳から18歳に前倒しになります。この成人年齢の引き下げは、1876 年太政官布告以来継続してきた成人の定義である「成人=20歳以上」が約150年を経て変わるという画期的な意義があるのですが、今回の改正法は、成人年齢の引き下げに際した経過措置も規定しており、施行日時点の年齢ごとの成人年齢の区別は図表のとおりになります。
施行日:2022 年(令和4年)4月1日時点の年齢 | 成人年齢 |
① 18歳未満 | 18歳に達したときに成人する |
② 18歳以上20歳未満 | 施行日に成人したことにする |
③ 20歳以上 | 20歳に達したときに成人したことにする |
この結果、令和4年4月1日には、ご相談のように18歳、19歳、20歳の年齢の異なる子供たちが「同時に成人になる」という状況が発生することになります。そこで、各市町村においては「成人式」をどのような方法で行うのかを検討しているようです(新聞報道によれば、従来どおり20歳のみの成人式・二十歳祝賀式を行う方針の市町村が多いようです)が、それぞれの家族・親族間でも「兄弟合同成人祝い」があることも想像できます。
しかしながら、次にご説明しますが、20歳成人の長男と18歳成人の次男とは、法律上、異なった取り扱いを要求されている場合がありますので、その点を注意する必要があります。
3 その他の改正内容
(1) 民法自体の改正の内容を整理すると、改正内容は,上記の①「成人年齢の18歳への引き下げ」以外に、②「婚姻適齢の 18歳への統一」、③「養親年齢の20歳維持」の3つがあります。
「婚姻適齢の18歳統一」については、婚姻が可能になる年齢が、旧法では「男性 18 歳・女性16歳」でしたが、改正法では
「男女ともに18 歳」に定められました。また、旧法の「未成年者が結婚した場合には成人とみなす」という成年擬制は廃止されました。成人年齢と婚姻可能年齢が「18歳」として一緒になり、「未成年が結婚する」という場面がなくなるからです。
「養親年齢の20歳維持」は、旧法では、養親となるための要件を「成年に達した」と規定していましたが、これをそのまま定めておくと、18歳で養子をもらって親になることができるということになってしまうのですが、他の法律がまだ「20 歳に達した者」にしか権利や能力を与えていない場合も多くあることから、養子をもらって親になれる年齢は、従来どおり「20歳以上」としておくほうがよいとの考えで、改正法は、養親となるための要件を「成年に達した」との表現から「20歳に達した」と改正しています。
(2) 民法の成人年齢改正に関連して、他の法律の年齢基準についても改正されたものが多くあり、改正により年齢要件の基準を新たに18 歳と改正したものと、従来どおり20 歳の要件を維持したものがありますので、それぞれの法律を確認する必要があります。
選挙権が18歳から認められるとした、公職選挙法改正は皆さんご存じでしょうが、国籍法や旅券法などの戸籍に関連する法律も18歳へ改正となっています。
しかし、健康面や健全育成面で未成年者を保護しようという目的の法律は、ほぼ「20歳」のままの規定を維持しています。例えば、未成年者に射幸性の影響を与えないように、競馬法、自転車競技法、小型自動車競走法、モーターボート競走法などは、20歳未満の者に対する公営ギャンブルの禁止規定を維持していますし、未成年者喫煙禁止法、未成年者飲酒禁止法も、20歳未満の者に対する喫煙、飲酒の禁止を継続しています。(但し、未成年者飲酒禁止法は「二十歳未満ノ者ノ飲酒ノ禁止ニ関スル法律」に改名され、対象も第1条第2項と第3条第2項を除き全て「満二十年ニ至ラサル者」から「二十歳未満ノ者」に改正されるだけで、未成年者の親権者や監督義務者が科料に罰せられる法第1条2項や第3条2項は改正されていませんので、親が18歳や19歳に親が飲ませたとしても、成人者に対しては親権者としての監督義務はありませんから、科料に処せられることはないという解釈になるものと思われます。)
4 ご注意点
そういうことですので、20歳成人の長男と18歳成人の次男の合同成人お祝い会を催されるのは良いとして、お祝い会で18歳の次男が飲酒することは厳禁ですので、その点は十分に留意していただく必要があります。
以 上
親族間の交通事故損害と保険金請求
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(事例1)
A男とB女は夫婦であり、A男運転の自動車にB女が同乗して出かけたところ、A男のよそ見運転で自損事故を起こし、B女が重傷を負って長期間の入院治療をした場合、A男の搭乗者保険によってB女は損害賠償保険金を受け取ることができるか。
搭乗者保険特約がない場合に、A男の対人賠償保険によってB女は損害賠償保険金を受け取ることができるか。
(事例2)
A男とB女は夫婦であり、長男甲と長女乙の子供がいる。長男甲の運転の自動車に長女乙が同乗して出かけたところ、長男甲がよそ見運転をし、高速道路で自損事故を起こし、長男甲も長女乙も死亡した。長男甲の自動車保険は搭乗者保険特約がなく一般的な対人賠償保険のみであった。子供たちの相続人は、A男B女夫婦だけである。
長男甲から支払われるべき長女乙の死亡損害金を自動車保険(対人賠償保険)から受け取ることができるか。
解説
1 まず、車の同乗者が自動車事故で負傷又は死亡した場合の損害賠償に関しては、搭乗者保険による保険金支給が考えられます。搭乗者傷害保険とは、車に乗っている人(運転手を含む)が交通事故で怪我又は死亡してしまったときの損害を補償する保険です。例えば、A男が保険会社と契約する自動車保険のひとつで、A男の車での交通事故で運転手や自分の車の同乗者が怪我をしてしまった場合に、怪我による治療や入院などの損害費用を補償してもらえる保険になります。搭乗者とは、補償の対象となる車に搭乗している「運転者以外の人」のことを指します。同乗者には、配偶者、子どもといった家族のほかに、知人・友人といった他人も含まれます。また、搭乗者傷害保険は、搭乗中の者が死傷した場合に定額を補償する傷害保険であり、賠償責任保険ではないことから、相続関係者の相続による賠償債権・債務の混同の問題は、搭乗者保険からの保険金支払いには影響は与えませんので、搭乗者保険による保険金は受け取ることができます。
なお、搭乗者保険で死亡保険金の受領者は約款上「法定相続人」と定められている場合が多いと思われますが、死亡保険金が相続財産になるのか、相続財産ではなく法定相続人となるべき者の固有取得財産なのかの争いがありますが、判例(大阪地裁平成16年12月9日判決)は、相続財産ではなく法定相続人となるべき者の固有取得財産としています。受取相続人は死亡同乗者の相続を放棄しても、搭乗者保険からの死亡保険金を受け取ることができることになります。
2 次に、搭乗者保険特約がない場合、自動車保険の対人賠償保険からの賠償保険金は支払われることになるでしょうか。
対人賠償保険は、例えば、A男が自分の車を運転中に交通事故を起こし、運転者以外の第三者(相手車の運転手や搭乗者、歩行者)が怪我又は死亡してしまったときの人的損害について、A男の保険でその損害分を支払うという賠償責任保険です。保険金の支払いの前提として、当事者間での「損害賠償債権債務関係の存在」と「損害賠償金の支払」が必要になります。そこで、親族間で損害賠償を請求したり、損害賠償を払ったりする関係が実際にあり得るのか、加害者と被害者の両方が死亡した場合に、その相続人は相互に損害賠償請求をするのかという請求権行使の現実性の有無と保険金支払いによる利得性が問題になります。
この点を、事例に即して説明していきましょう。
(1)事例1の場合
夫の過失で妻が負傷した場合、法的には、妻は夫の不法行為に基づき損害を受けたのですから、夫に対して入院費用や休業損害等を請求できることになるのですが、現実的には夫婦は経済的一体性がありますので、夫婦生活の費用負担面からしても相互に損害賠償請求はしないというのが実態だと思います。
搭乗者保険が無い場合に、妻が被害者として夫が契約している対人賠償保険(自賠責保険)から被害者として損害賠償請求して賠償保険金をもらうことはできるのでしょうか。
そもそも、対人賠償保険(自賠責保険)の基礎になる妻から夫への損害賠償請求については、円満な家庭生活を営んでいる夫婦間においては、損害賠償請求権が行使されない場合が多く、通常は、愛情に基づき自発的に、あるいは、協力扶助義務の履行として損害の填補がなされ、もしくは、被害をうけた配偶者が宥恕の意思を表示することがあることから、一般的に、夫婦間における不法行為に基づく損害賠償義務が自然債務に属する(裁判による強制請求はできない)とか、損害賠償請求権の行使が夫婦間の情誼・倫理等に反して許されない、と考える余地があります。
それにもかかわらず、保険金がもらえるという仕組みがあることを利用して、賠償保険金をもらうということは、法的にも許されるのでしょうか。
この点を問題とした裁判例があり、最高裁昭和47年5月30日判決(判例時報667号3頁)は、次のように述べて、妻からの保険金支払請求(被害者請求)を認めました。
「損害賠償請求権の行使が夫婦の生活共同体を破壊するような場合等には権利の濫用としてその行使が許されないことがあるにすぎない」、「自動車損害賠償保障法(以下「自賠法」という。)一六条一項による被害者の直接請求権に基づき、保険者に対し、損害賠償額の支払を請求する場合には、加害者たる配偶者の損害賠償責任は、右の直接請求権の前提にすぎず、この直接請求権が行使されることで夫婦の生活共同体が破壊されるおそれはなく、他方、被害者たる配偶者に損害の生じているかぎり、自賠責保険によってこの損害の填補を認めることは、加害者たる配偶者、あるいは、その夫婦を不当に利得せしめるものとはいえない。」としています。
(2)事例2の場合
交通事故により加害者も被害者も死亡した場合、それぞれの相続人が被害者死亡という損害発生につき、その損害賠償債権と損害賠償債務を相続により各自の相続人が承継することになります。(民法第896条は「相続人は相続開始の時から、被相続人の財産に属した一切の権利義務を承継する」と定めています。)
事例2の場合、加害者長男甲の損害賠償債務は、相続人である父親A男と母親B女に相続される可能性があります。被害者長女乙の損害賠償債権(長男甲に対する賠償請求権)も、相続人である父親A男と母親B女に相続される可能性があります。なお、相続に関しては、民法第915条で相続開始を知ったときから3箇月以内に相続放棄することで権利義務を承継しないこともできます。民法第921条第2号で、相続放棄しなかった場合には相続を単純承認したこととなり、確定的に債権債務を承継取得したことになります。
① それでは、相続人であるA男B女夫婦が、長男甲の相続も長女乙の相続も単純相続した場合には、長女乙の死亡損害金を自動車保険から受け取ることができるでしょうか。
この点は、最高裁平成元年4月20日判決・判例時報1314号54頁により、相続により賠償義務者と賠償債権者が相続により同一人に帰属したことにより賠償債権債務関係が混同で消滅する(民法第520条)ので、乙の相続人による保険金請求権は消滅し、長女乙の死亡損害金を自動車保険から受け取ることができないとされています。
判例要旨は以下のとおりです。
「自賠法三条の損害賠償債権についても民法五二〇条本文が適用されるから、右債権及び債務が同一人に帰したときには、混同により右債権は消滅することとなるが、一方、自動車損害賠償責任保険は、保有者が被害者に対して損害賠償責任を負担することによつて被る損害を填補することを目的とする責任保険であるところ、被害者及び保有者双方の利便のための補助的手段として、自賠法一六条一項に基づき、被害者は保険会社に対して直接損害賠償額の支払を請求し得るものとしているのであつて、その趣旨にかんがみると、この直接請求権の成立には、自賠法三条による被害者の保有者に対する損害賠償債権が成立していることが要件となっており、また、右損害賠償債権が消滅すれば、右直接請求権も消滅するものと解するのが相当である」
② 相続人であるA男B女夫婦が、賠償義務のある長男甲の相続は放棄し、賠償請求権のある長女乙の相続だけを単純相続した場合には、長女乙の死亡損害金を自動車保険から受け取ることができるでしょうか。
これは、賠償義務者も賠償債権者も双方相続すると権利が消滅するので、賠償義務の相続は放棄し、賠償債権者のみを相続しようという方法です。
結論としては、賠償債権者(被害者としての賠償請求)は承継されているわけですから、乙の相続人による保険金請求権は消滅していないので、長女乙の死亡損害金を自動車保険から受け取ることができるという解釈をする立場と、反対に、本来権利義務のいずれも承継できるのを権利のみ承継して利得することは信義則上許されないとして、長女乙の死亡損害金を自動車保険から受け取ることができないという解釈をする立場の2つがあるように思います。
この点、判例(大阪地裁平成3年9月20日判決)は、後者の立場から、「被害者及び加害者の債権債務関係は、本来、交通事故という1つの不法行為から発生した1つの権利義務関係として同一人格に帰属しており、表裏一体かつ密接不可分の関係にあると考えられるから、加害者の被害者に対する債務が相続放棄された後も、被害者の加害者に対する債権のみが債務と別個独立に分離して存続するものとするのは権利義務関係の一体性から妥当ではない。」として、長女乙の死亡損害金を自動車保険から受け取ることはできないとしました。
③ 相続人であるA男B女夫婦が、父親A男は長男甲の相続をし、長女乙の相続は放棄し、母親B女は長男甲の相続を放棄し、長女乙の相続をした場合(賠償義務者は甲の相続人父親A男、賠償権利者は乙の相続人母親B女となった場合)には、母親B女は長女乙の死亡損害金を自動車保険から受け取ることができるでしょうか。
この方法は、更に、賠償債務の相続と賠償債権の相続を工夫して、相続後も賠償債務承継者と賠償債権承継者が別々に存在する形を作り出すという方法です。法律上の技巧的な方法ですが、「経済的一体性をもつ一つの夫婦において、結果的に、本件交通事故によって発生した権利義務のうち、保険金請求という権利のみを確保し、同交通事故による実質的義務を免れる」という方法として保険制度の悪用・乱用と見る見解もあるのでしょうが、判例(福岡高裁平成14年3月28日判決)は、次のように判示して、母親B女は長女乙の死亡損害金を自動車保険から受け取ることができるとしています。
「夫婦共同体として経済的に一体のものであるということに着目すれば、当該夫婦は、結果的に、本件交通事故によって発生した権利義務のうち、保険金請求という権利のみを確保し、同交通事故による実質的義務を免れることになるが、夫婦においては、本件保険契約の存在が前提になっているからこそ妻は夫に対する損害賠償債権を確定する必要を生じたのであり、そのことから妻の請求権の行使を仮装ということはできないし、保険会社としても、本来は加害者の損害賠償義務を負うべき契約上の地位にあったのだから、単に混同の利益を受けられなかったにすぎないのであり、このことをもって、妻の請求権行使を権利濫用又は信義則違反とすることは認められない。」
(3)最後に
上記(2)③のような保険金取得のための知識や方法は、弁護士の知恵によるものです。何か複雑になりそうな法律問題が起きた場合には、早期に弁護士に相談されることで良い解決方法が見つかる場合もあります。弁護士による相談をお勧めします。
以 上
印鑑と指印、花押
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
前回に引き続き「押印」シリーズとして、判例で問題となった押印に関する法的問題「印鑑の代わりに指印を押した自筆遺言書、花押を使用した自筆遺言書の有効性」についてお話したいと思います。
1 自筆遺言書と「押印」
民法第968条は、第1項で「自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。」第3項で「自筆証書中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じない。」と定めており、遺言者が自らの手で各自筆遺言書を書くには、「印を押さなければならない。」としています。
遺言書に、自筆署名以外に「押印」を求める趣旨は、「遺言の全文等の自書とあいまつて遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによつて文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにある」とされています(最高裁平成元年2月16日判決)。
ここでいう「印を押す」というのは、日本で慣行として行われている「印章」「印顆(いんか)」を朱肉又は墨・インク等を付けて印影を残すことを意味することになります。
「印章」とは、木、竹、石、角、象牙、金属、合成樹脂などを素材として、その一面に文字やシンボルを彫刻し、個人・官職・団体のしるしとして、公私の文書に押して特有の痕跡(印影・印痕)を残すことにより、その責任や権威を証明するものを言いますが、「印顆」も同意義の言葉であり、世間一般では、正式には印章と呼ばれるもののことを、ハンコ、印鑑(いんかん)と呼んでいます。「印影」は、その印章で押された痕跡のことを言います。
2 印章(印鑑)の種類について
印章(印鑑)について、現代日本で生活・実用品として用いられる印章は、市町村に登録した「実印」、金融機関に登録された「銀行印」、届け出を必要としない「認印」の3種類に大別されますが、押印の種類についても、署名印以外に、契約印、契印、割印、訂正印、捨印、止印、消印、封印と呼ばれる使い方があります。
3 印鑑に関する日本の法律の定めについて
自筆遺言書の作成の場合の「押印」(印を押す)の印鑑(印章)は、本来「その責任や権威を示す」ものであるとされているわけですが、どのような文字が刻まれているとか、どのような形の印章かという点は、実は法律では全く定めていません。本人が本人のものとして使う意思があり、又は使っていた行為があれば、「名字だけの印章」でも「名前だけの印章」でも、更に言えば、「名字名前と合わない文字の印章」であっても構わないことになります。
4 「指印」「拇印」は「押印」として有効か。
印鑑(印章)の定義がないのであれば、木、竹、石、角、象牙、金属、合成樹脂などを素材として使っている「印章」ではなく、「押印」として直接本人の「指印」「拇印」を押した場合、遺言書は有効なのでしょうか?
この点については、最高裁平成元年2月16日判決は、次のような理由を述べて、有効と判断しています。
「(民法第968条の自筆遺言書の)押印としては、遺言者が印章に代えて拇指その他の指頭に墨、朱肉等をつけて押捺すること(以下「指印」という。)をもつて足りるものと解するのが相当である。けだし、同条項が自筆証書遺言の方式として自書のほか押印を要するとした趣旨は、遺言の全文等の自書とあいまつて遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによつて文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ、右押印について指印をもつて足りると解したとしても、遺言者が遺言の全文、日附、氏名を自書する自筆証書遺言において遺言者の真意の確保に欠けるとはいえないし、いわゆる実印による押印が要件とされていない文書については、通常、文書作成者の指印があれば印章による押印があるのと同等の意義を認めている我が国の慣行ないし法意識に照らすと、文書の完成を担保する機能においても欠けるところがないばかりでなく、必要以上に遺言の方式を厳格に解するときは、かえつて遺言者の真意の実現を阻害するおそれがあるものというべきだからである。」
5 「花押(かおう)」は「押印」として有効か。
それでは、次に、自筆遺言書を、印鑑や「指印」の代わりに「花押」でした場合には、その遺言書は有効なのでしょうか?
(1)「花押」について
「花押」って何でしょう? 日本には古来より、署名の代わりに名前の下に個人独自の一筆書きを記す「花押」というものが公家社会と武家社会にはありました。「花押(華押)」は、署名の代わりに使用される記号・符号をいうのですが、元々は、文書へ自らの名を普通に自署していたものが、署名者本人と他者とを明確に区別するため、次第に自署が図案化・文様化していき、特殊な形状を持つ花押が生まれたようです。
「花押」が利用された武家社会では、家督を継いだ子が、父の花押を引き継ぐ例も多くあり、花押が自署という役割だけでなく、特定の地位を象徴する役割も担い始めていたと考えられていますが、江戸期にはさらに「花押型(花押を判にしたもの)」が普及し花押が印章と同じように用いられ始め、花押の印章化という現象が生じました。
ところが、明治維新により、明治6年に、実印のない証書は裁判上の証拠にならない旨の太政官布告が発せられたことから、花押が禁止されたわけではないのですが、花押はほぼ姿を消し、印鑑が取って代わることとなっていきました。
日本国政府の閣議における閣僚署名は、明治以降現在も花押で行うことが慣習となっているようです。多くの閣僚は閣議における署名以外では花押を使うことが少ないため、閣僚就任とともに花押を用意するケースが多いようです。下記の写真例は、ウキペディア等を参照して引用したものです。個人的に思うのですが、「花押」は、個性を持った「サインの古風版」とも言えるのではないでしょうか。
(豊臣秀吉の花押) (徳川家康の花押) (伊藤博文の花押)
(2)裁判例
問題は、民法第968条の自筆遺言書の押印として、遺言者が印章に代えて、この「花押」を使用した場合の遺言書は有効となるのかという点です。
最高裁判所(最高裁平成28年6月3日判決)は、次の理由で「花押による自筆遺言書は無効である」としました。
「花押を書くことは、印章による押印とは異なるから、民法968条1項の押印の要件を満たすものであると直ちにいうことはできない。そして、民法968条1項が、自筆証書遺言の方式として、遺言の全文、日付及び氏名の自書のほかに、押印をも要するとした趣旨は、遺言の全文等の自書とあいまって遺言者の同一性及び真意を確保するとともに、重要な文書については作成者が署名した上その名下に押印することによって文書の作成を完結させるという我が国の慣行ないし法意識に照らして文書の完成を担保することにあると解されるところ(最高裁昭和62年(オ)第1137号平成元年2月16日第一小法廷判決・民集43巻2号45頁参照)、我が国において、印章による押印に代えて花押を書くことによって文書を完成させるという慣行ないし法意識が存するものとは認め難い。 以上によれば、花押を書くことは、印章による押印と同視することはできず、民法968条1項の押印の要件を満たさないというべきである。」としています。
(なお,この判例の前審である福岡高等裁判所那覇支部(平成26年10月23日判決―判例秘書登載)は、「花押でも自筆遺言書は有効である」としていたようです。)
6 結論
判例の結論は、「指印」「拇印」による自筆遺言書は有効であるが、「花押」による自筆遺言書は無効となるという結論になります。「指印」「拇印」は社会内で「押印」と同等に扱う慣例がありますが、「花押」はそのような慣例がないので認められないという理由で,結論の違いが出たようです。
そうであれば、今後、仮に、多くの人が自分の「花押」を作り出して使うことが頻繁になれば、「花押」も「押印」又は「個性的なサイン」として認められるようになるのかも知れませんね。例えば、「押印」廃止の流れの中で、印鑑が不要になった手続の書面に、個性的なサインとして「花押」を付け加えたりしたら、書類を受け取った側はどう反応されるでしょうかね。
以 上
法律からみた押印制度改革
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1 2020年(令和2年)のコロナ禍での自宅勤務・リモートワークの問題として指摘された決裁制度での「押印」制度について、最近の報道によると、国や官庁では「ハンコの廃止」「押印要否の見直し」を進めるようです。
具体的には、令和2年(2020年)7月17日に閣議決定された「経済財政運営と改革の基本方針2020」では、「書面・押印・対面主義からの脱却等として、実際に仕事場や役所に足を運ばなくても手続きができる「リモート社会」の実現に向けて、全ての行政手続きについて、原則として書面・押印・対面を不要としてデジタルで完結できるように見直しを行うこと、更に、民民間の商慣行についても官民一体となって改革を推進することが示されています。
それ以前に、民民間の商慣行に関しても、国と経済団体による共同宣言(令和2年7月8日付け「書面・押印・対面」を原則とした制度・慣行・意識の抜本的見直しに向けた共同宣言)において、書面・押印・対面が商慣行や社内手続きとして定着しているものであっても、取引先等との協調又は、経営者のリーダーシップに基づき、押印廃止や書面の電子化を推進するものとされています。
*リモートワーク・リモート社会とは、リモート(remote)の意味が「離れた、遠隔の、隔たりのある、かけ離れた、間接的な」などの意味を持つ英単語ですので、ITの分野では、離れた場所にある二者(人や機器など)が通信回線やネットワークなどを通じて結ばれていることを表すことになりますので「通信回線やネットワークなどを通じて働くこと、そのような働き方をする社会」という意味になります。
2 押印制度と印鑑登録制度
(1) 日本の法律には、以上の印章(印鑑)の定義や使用義務を定めた法律はありませんが、他方、印鑑による押印の法的効果を規定する法律の定めがあります。
① まず、民法第968条が「遺言」に関して、第1項で「自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。」第3項で「自筆証書中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じない。」と定めてあり、民事訴訟法(以下「民訴法」という。)第228条第4項では「私文書は、本人又はその代理人の署名又は押印があるときは、真正に成立したものと推定する。」との定めもあります。
これらは、遺言の真正又は有効性を認める要件であり、それ以外の一般文書においても、「押印」があれば文書の名義の真正(その文書が作成名義人によって実際に作成された)という「成立の真正」を推定することを意味し、私文書にある印影が本人または代理人の印章によって押された場合には、反証なき限り、その印影は本人または代理人の意思に基づいて押されたと推定され、その結果、同項の要件が満たされるため、文書全体が真正に成立した(遺言書の場合は有効に成立した遺言書であること)と推定されます。
民事裁判においても、契約書に署名又は押印のある契約は成立が推定され、契約書の内容どおりに約束されたことが認められることが多くなります。なお、当事者又はその代理人が故意又は重大な過失により真実に反して文書の成立の真正を争ったときは、民訴法第230条で「裁判所は、決定で10万円以下の過料に処する。」と定めています。
② 次に、刑法第167条では、「行使の目的で、他人の印章又は署名を偽造した者は、3年以下の懲役に処する。」規定があり、印章等の社会的信用を保護する定めがなされています。
(2) 日本では、法律には義務制度としては明記されていませんが、印鑑登録の制度があります。
① まず、個人の印鑑登録については、個人が自己の居住地の市町村に印鑑を登録しその旨の照明をしてもらう制度ですが、あえて法律上の根拠を求めれば、個人の印鑑登録は「市町村の自治事務」であり、地方自治法第2条第2項、第8項の「地方公共団体が処理する事務のうち、法定受託事務以外のもの」を根拠とする制度と言えます。自治事務は、地域において住民福祉の向上を目的として処理する事務を広く含むものであり、その取り扱いは各自治体の印鑑登録条例によることになります。
また、個人の印鑑登録に関しては、“印鑑登録証明事務処理要領通知 (昭和49年2月1日自治省通知、―平成16年3月2日総務省通知)があり、各市町村は、この通知に倣って取り扱っています。
次に、会社の設立等に当たって登記を申請する際の法人印鑑登録については、商業登記法第20条「登記の申請書に押印すべき者は、あらかじめ、その印鑑を登記所に提出しなければならない。」との規定が法的根拠となります。
② この印鑑登録制度の信用性を基に、不動産登記手続きや商慣行上の重要な取引契約をする場合には、自らが書面を作成したことなどの証明のために、登録印鑑による押印と登録証明書を提出することを求める取り扱いが日本では定着しているということになります。
(3) 行政手続き上の「押印」
行政手続き上の書面に関しては、個々の行政法令が「押印」の定めをしていることが多くあります(例えば、行政不服審査法施行令第4条第2項「審査請求書には、審査請求人(審査請求人が法人その他の社団又は財団である場合・・・以下省略)が押印しなければならない。」と定めています。民間から行政への手続きの中で押印を求めている行政手続きが添付書類を含めておよそ1万5000種類あるといわれています。)。
これについて、菅内閣の河野太郎行政改革担当相は令和2年11月13日の閣議後の記者会見で、行政手続きで印鑑証明が必要なもの、あるいは登記、登録、銀行への届け印を除き、本人確認、本人認証にならない認印は全て廃止すると発表し、内閣府は全府省に行政手続きで求める押印の原則廃止を要請したという報道がされていました。
3 今後の方向性について
行政手続きでの「押印」制度は、本人確認という程度の「認印」による簡易な押印制度ですので、廃止方向で実現していくだろうと思われますが、各市町村の自治事務として確立運用されてきて、不動産取引及びその登記手続や銀行取引等の重要な取引契約で実用化されてきた印鑑登録制度は、その社会的意義は大きいものがあり、法令改正をするだけで解消できるわけでもないことから、実印(登録印鑑)による押印制度が直ちに廃止される方向にはならないだろうと考えられます。
最後に、押印制度の背景にある印鑑製造や刻印の技術は、単に生活実用品製造としての職業面がある以外に芸術文化の面も有しており、その技術や文化が衰退することはあってはならないという思いも残ります。明治時代には、欧米にならってハンコをやめて署名に統一すべきだとの意見も出たようですが、日本のハンコ文化は現在まで生き残ってきています。
(次回は、「押印」シリーズ(その2)として、「印鑑と花押について」掲載する予定です。)
以 上
お正月と法律 ~届かないおせち料理~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1 おせち料理の事前予約販売
おせち料理は、五節句の料理の1つで、平安時代に宮中で行われた「お節供」の行事に由来します。江戸時代後期に江戸の庶民がこの行事を生活に取り入れ、全国におせち料理が広まり、節句の中でも一番目の正月にふるまうご馳走だけが「おせち料理」と呼ばれるようになったようです。おせち料理は、従来は、年末に食材を買い込んで女性方が自宅で作り上げるという縁起物料理でしたが、昨今は、有名デパートや有名料理店からの宅配予約が人気になっているようです。ふるさと納税のお礼品にもおせち料理がある時代になっています。
2 おせち料理の配達
おせち料理は元旦の縁起物料理ですから、事前予約販売のほとんどが、「おせち料理の事前予約販売」は、元旦前日までに届けられるか、引き取りを求められるものです。ある有名デパートの場合には、おせち料理のお届け期日について、例えば、「冷凍のものは2020年12月30日、冷蔵のものは2020年12月31日にお届けします。時間指定はできません。」などとしております。
3 届かないおせち料理
ところで、おせち料理を12月31日までの必着で予約したにもかかわらず、翌日元旦になっても届かない場合はどういう法律問題になるかを考えてみましょう。
例えば、テレビ番組の「行列のできる法律相談所」の相談テーマで、次のようなドラマシーンがありました。それを台本風に再現してみます。
(年末大晦日の会話)
母「おかしいわね。今日の午前中に到着するはずだったのに…。」
・・・夜になっても「おせち」は一向に届く気配がない・・・
そこで、業者に問い合わせてみると・・・
業者「申し訳ございません…。何かの手違いでお届け出来なくなりました。」
母 「はぁ? 何ですって!?」
業者「もちろん、代金は全額お返し致しますので。」
・・・業者はミスを認め、おせちの代金3万円は全額返金するという。
・・・しかし!
怒った母「こんな田舎で今さら代わりの物なんて用意できるわけがないじゃない!」
・・・近所のお店はすでに正月休み。今からおせちを用意するのは不可能。
怒った母「あなた方の無責任さのせいで、めでたいお正月が台無しよ!
慰謝料払ってもらいますから! 」
果たしておせちが予定通り届かなかった場合慰謝料は取れるのか?
4 おせち料理が元旦までに届かない場合の損害賠償請求の有無について
(1)改正民法第415条では、債務不履行の場合には損害賠償ができる旨の定めがあります。問題はどのような「損害」がおせち料理の注文者に生じているか?です。
改正民法第415条第2項の「履行に代わる損害賠償」とは、代金相当額の損害でしょうから、契約解除により代金を返還してもらえれば、損害はないことになります。返金分に代金支払日から実際の返金日までの遅延損害金(年3分の割合)を要求することが具体的な損害賠償請求ということになるでしょう。
(2)もうひとつの損害は、「行列のできる法律相談所」の相談テーマのように「精神的慰謝料」というものの請求が認められるかという点です。
「慰謝料」は、民法条文上は不法行為規定である民法第710条に規定する「財産以外の損害」ということになるのですが、契約関係の債務不履行責任の条文規定では使われていない文言です。
ⅰ>その規定の違いから債務不履行責任(契約責任)の損害については「財産以外の損害」としての精神的慰謝料は発生しないという見解もあります。—この見解に従えば、テレビ番組の例では、お母さんは「めでたいお正月が台無しにしたおせち料理の未到着」についても「慰謝料」は請求できないことになります。
ⅱ>他方、一般的にも「損害」の中には、財産的損害だけでなく精神的損害(慰謝料)も含まれるのが通例であり、条文の規定の差異は、民法710条は不法行為責任に関して注意的に規定しているだけであるとして、債務不履行責任の損害賠償の中には「財産以外の損害」としての精神的慰謝料も含まれるとする見解があります。—この見解に従えば、テレビ番組の例では、お母さんは「めでたいお正月が台無しにしたおせち料理の未到着」について「慰謝料」を請求することができることになります。3万円程度のおせち料理を注文してそれが駄目だった場合の精神的損害としては、正月気分を害されたとしても、代金以上の精神的損害ということは通常考えられないので、代金の1割~2割程度の慰謝料が認められるのではないかと思われます。
この点を考慮してか、おせち料理販売業者の広告には、「天候・交通などの事情により、商品入荷の遅延・不能の場合もございます。あらかじめご了承ください。やむを得ず商品をお届けできない場合には、ご返金にてご容赦くださいますよう、お願い申し上げます。」と配送上の留意点を告知している例もあります。
5 最後に
今年のお正月は皆さん、いかがお過ごしでしたでしょうか。
コロナ禍のお正月であっても、我が家や親しい親戚の家で、温かいお酒と共におせち料理を堪能されたのであればよろしいかと思います。奥さん方をはじめ「おせち料理」を準備していただいた方や配送をしていただいた方など全ての方々に、感謝しましょう。
以 上
育児休業取得後の解雇は許されるか?
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
○A子は、Y会社の従業員であったが、感情が不安定で強迫観念が強く、よく上司に反抗的で攻撃的な言動を行うことが何度もあったことから、「上司の命令・指導に従わない」「職場での協調性がない」との人事評価を受けていた。
A子は入社5年後に産休・育休を取って復職し、その4年後(入社9年後)に二度目の産休・育休を取って、その育休後に復職の申し入れをしたが、Y会社は、A子の休業中職場の雰囲気が良い感じになり、問題行動の多いA子の復職で職場の雰囲気がまた悪くなることを危惧して、この機会にA子に対して退職勧奨を行ったが、拒否されたので、勤務態度が悪く職場秩序を乱すことを理由に解雇した。
この解雇は許されるでしょうか。 (解説)
12月は、クリスマス気分や年末のあわただしい雰囲気の中で、子供たちや女性が笑顔で楽しく過ごしている時季です。日本の社会で女性が生き生きと働くためには子育ての環境が整う必要がありますが、法律制度として産前産後休暇制度や育児休業制度が定められても、実社会での運用が充実していかないと女性の働きやすい環境が整っていることにはなりません。そこで、今回は、女性の働き方と会社の対応が問題になった上記の例を検討してみましょう。
1 解雇に関する法律の規定について
まず、本件に関する解雇の有効性判断に必要な法律の規定としては、次の3つの法律があります。
① 労働契約法 第16条 (解雇)
解雇は、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合は、その権利を濫用したものとして、無効とする。
② 男女雇用機会均等法(以下「均等法」という。) 第9条(婚姻、妊娠、出産等を理由とする不利益取扱いの禁止等)
1 事業主は、女性労働者が婚姻し、妊娠し、又は出産したことを退職理由として予定する定めをしてはならない。
2 事業主は、女性労働者が婚姻したことを理由として、解雇してはならない。
3 事業主は、その雇用する女性労働者が妊娠したこと、出産したこと、労働基準法(昭和二十二年法律第四十九号)第65条第1項の規定による休業を請求し、又は同項若しくは同条第2項の規定による休業をしたことその他の妊娠又は出産に関する事由であって厚生労働省令で定めるものを理由として、当該女性労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。
4 妊娠中の女性労働者及び出産後一年を経過しない女性労働者に対してなされた解雇は、無効とする。ただし、事業主が当該解雇が前項に規定する事由を理由とする解雇でないことを証明したときは、この限りでない。
③ 育児・介護休業法(以下「育休法」という。) 第10条(不利益取扱いの禁止)
事業主は、労働者が育児休業申出をし、又は育児休業をしたことを理由として、当該労働者に対して解雇その他不利益な取扱いをしてはならない。
このように、均等法第9条第3項は妊娠・出産・産休を「理由として」解雇してはならないと定めており、育休法第10条も育児休業をしたことを「理由として」解雇してはならないと定めていますから、本件解雇理由が「勤務態度が悪く職場秩序を乱すこと」を理由としている普通解雇であることから、形式的には均等法第9条第3項や育休法第10条に直接違反しているということにはならないだろうと思われます。しかし、実際はそのこと(育児休暇を取得したこと)を契機にA子を解雇したのではないか、という疑いは拭えません。
2 本件解雇の有効性の判断について
(1)本件解雇が形式的に「勤務態度が悪く職場秩序を乱すこと」を理由に解雇している以上は、まずは、労働契約法第16条の「客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められない場合」であるか否かを検討することになるでしょう。
解雇の合理的理由としては、それぞれの就業規則には「業務能力の欠如又は劣悪」とか「適格性がない」、「上司の業務命令に従わない」、「遅刻欠勤が多い」、「勤務態度が悪く協調性がない」などが列挙されていますが、判例上で解雇が認められるのは、「労働者側に改善の余地がないほどの責任がある場合」などのごく限られた場合に限定されています。
(2)本件のA子の場合には、上司などへの攻撃的態度などの問題行動については、その都度注意指導をして段階的に軽い懲戒処分等で対応し、それでも懲戒処分が重なるだけでA子の問題行動が改まらない場合に、初めて「改善の余地のないほどの問題行動が続いている」として解雇するという手順を踏むべきだろうと思われます。
従って、復職希望者を、即座に解雇をすることには、「合理的な理由」もなく「社会通念上相当である」と認められるものではなく、本件解雇は無効と判断されます。
3 判例の見解(東京地裁平成29年7月3日判決―労経判69-4:シュプリンガージャパン事件)
判例は、同様の事案について、次のとおり、均等法第9条第3項や育休法第10条に違反する無効な解雇となるとしています。
(1)「事業主が解雇をするに際し、形式上、妊娠等以外の理由を示しさえすれば、均等法及び育休法の保護がおよばないとしたのでは、当該規定の実質的な意義は大きくそがれることになる。もちろん、均等法及び育休法違反とされずとも、労働契約法第16条違反と判断されれば解雇の効力は否定され、結果として労働者の救済は図られるにせよ、均等法及び育休法の各規定をもってしても、妊娠等を実質的な、あるいは、隠れた理由とする解雇に対して何らの歯止めにもならないとすれば、労働者はそうした解雇を争わざるを得ないことなどにより大きな負担を強いられることは避けられないからである。
このようにみてくると、事業主において、外形上、妊娠等以外の解雇事由を主張しているが、それが客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないことを認識しており、あるいは、これを当然に認識すべき場合において、妊娠等と近接して解雇が行われたときは、均等法第9条第3項及び育休法第10条と実質的に同一の規範に違反したものとみることができるから、このような解雇は、これらの各規定に反しており、少なくともその趣旨に反した違法なものと解するのが相当である。」
(2)「本件解雇は妊娠等に近接して行われており(被告が復職の申出に応じず、退職の合意が不成立となった挙句、解雇したという経緯からすれば、育休終了後8か月が経過していても時間的に近接しているとの評価を妨げない。)、かつ、客観的に合理的な理由を欠いており、社会通念上相当であるとは認められないことを、少なくとも当然に認識するべきであったとみることができるから、前記(1)で判断したところによれば、均等法第9条第3項及び育休法第10条に違反し、少なくともその趣旨に反したものであって、この意味からも本件解雇は無効というべきである。」
4 まとめ
実際の裁判では、「上司への反抗的な態度、攻撃的な言動」が具体的にはどのような内容であり、どの程度のものであるかが、いつ、どこで、誰と、どういう内容で、どういう理由で、どうなったかという詳細な事実関係が調べられることになります。職場での「客観的に理由のある部下の主張」が、上司からみれば「攻撃的な言動、反抗的な態度」と受け取られてしまっている場合もありますので、その差異を区別認識するためにも、具体的な事実関係の証拠調べを行うことになります。
仮に、上司からだけでなく一般社員からみても「上司への反抗的な態度、攻撃的な言動」と評価される場合であったとしても、更に、そのような出来事が「継続して複数回生じていて」、「改善の余地のないほどの問題行動が続いている」と評価できるものであるかどうかで、解雇理由があるかどうかが判断されますので、日本の労働関係においては単発的な反抗態度のみで労働者を解雇処分にすることは難しいと考えておく必要があるでしょう。
以 上
企業(実業団)スポーツ選手と法律~企業の一般社員の労働(雇用)契約とは異なるのか?~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1 企業スポーツ選手の定義
(1) 企業スポーツ選手とは、企業に所属するアマチュアの社会人スポーツのことを言います。企業は、その選手の所属するスポーツ競技活動を援助し、広告宣伝効果又は社員の士気高揚などのメリットを得ます。令和元年のラグビーワールドカップ日本大会の宣伝番組となったTBS日曜劇場番組「ノーサイド・ゲーム」の「ときわ自動車のアストロズ」の選手などがそうです。宮崎県内で言えば、旭化成のスポーツ選手など2020東京オリンピック(開催が2021年へ延期)への出場に全精力を傾けている日本のスポーツ選手のほとんどが、この企業スポーツ選手だろうと思います。
(2) 日本の企業スポーツ選手の活動の変遷は、企業の一般社員と同じく勤務した後、退社後の夕方夜に練習するという実態から始まり、サッカーやバレーボール競技の人気上昇等の環境変化から各競技スポーツの日本リーグが発足した。競技技術の世界レベル化・ハイレベル化が要求されると、従来の連取形態では追いつけずに、徐々に企業スポーツ選手も社員でありながらスポーツ練習と試合活動を本業とするという方向に発展し、現段階では、企業と個人がプロ契約(期間を限定し、選手活動のみを行って報酬を得る契約)をする選手も出てきている状況に至っています。
また、バスケットボールなど競技の人気を高める手段としてプロ契約していくということもあるようです。
(3) 純粋なプロ契約ではなく、一応社員の身分を有しながらスポーツ競技活動を委嘱又は要求される契約をしている場合の選手を、仮に「企業スポーツ選手」と呼ぶこととします。その選手の企業での身分関係や法律関係は、入社契約や雇用契約という契約で細かな内容が定めてあるわけではないので、企業内での活動実態に即して判断されることになります。
企業スポーツ選手の型としては「準社員型」と「準プロ型」分けられます。例えば、午前中だけでも会社の職場での仕事をして午後から練習や試合活動を行う場合は「準社員型」(職場での業務従事性が強い)、会社の職場にはほとんど出社せずに机すらなく練習や試合活動を行う場合は「準プロ型」(職場での業務従事性が弱い)という区分になるでしょう。
また、いずれも雇用契約を基本としていると思われますので、入社契約において期間の定めがない場合又は雇用期間が1年間以内で更新が予定されている場合には、「準社員型」になります。労働契約としての労働期間は3年又は5年を超えることを禁止していますので(労働基準法第13条・第14条)、3年又は5年以上の期間を契約する場合は、「準プロ型」選手の場合が多いようです。また、「準プロ選手型」の場合には、給料面においても一般社員と異なる給与査定基準が定められ、試合での成績により高額なボーナスが支給されるシステムになっている場合が多いようです。
2 「準プロ型」選手としての入社契約の場合の法律上の身分関係
「準プロ型」の入社契約については、その契約の本質が「雇用契約(民法第623条)」なのか、「請負又は委任契約(民法第632条、第644条)」なのかを考える必要があります。前者は、企業による職務への従属性が求められ、後者では企業による職務への従属性はなく受諾者(選手)の独立性による職務遂行が求められるものであり、その区別がなされているからです。
「準プロ型」の入社契約は、プロ契約と同様に「請負又は委任契約」と位置付けられることが多いと思います。請負契約又は委任契約であれば、企業は選手との契約をいつでも解除できることになります(民法第641条、第651条第1項)。企業がチームの解散を決めるなどした場合には「準プロ型」契約選手は契約が解約され、他の企業への転籍又は引退を考えることになります。そういう意味では、法律上の身分関係は保証されないことになります。但し、企業も無条件に選手を解除できるわけではなく、期間を定めていた場合などはその期間分の報酬等を損害として支払う必要があります(民法第642条、第651条第2項)。
3 「準社員型」選手としての入社契約の場合の法律上の身分関係
(1)「準社員型」入社契約についても、その契約の本質が「雇用契約(民法第623条)」なのか、「請負又は委任契約(民法第632条、第644条)」なのかを考える必要がありますが、統計調査によると、正規社員として一般業務に従事しておりその従事時間も、シーズン中は1日約3時間30分、オフでは1日約5時間20分で、それ以外の時間は練習時間に当てられているという調査結果があるようです。給与も一般従業員と全く同様かスポーツ手当が付加される程度ということのようです。
この場合には、企業による職場での業務従事性があり企業への従属が強いので、「雇用契約」になるものと思われます。
(2)また、「準社員型」選手に対して労働法の適用があるかどうかについては、労働基準法の「労働者」、労働契約法の「労働者」に該当するかどうかを検討する必要があります。労働基準法第9条では、労働者は「職業の種類を問わず、事業又は事務所に使用される者で、賃金を支払われる者」とされ、労働契約法第2条第1項では、労働者は「使用者に使用されて労働し、賃金を支払われる者」と定義されており、いずれも「使用される者」として使用者に指揮命令の下で労働すること(使用従属関係があること)が本質になっていますので、その点を判例の判断基準にしたがって詳細に検討してみましょう。
① 業務従事の指示に対する諾否の自由が無いこと
準社員型選手は、一般業務に関しては指示された職場で指示された業務を遂行しており、スポーツに関しても、指示された時間に練習し、指示された競技会への出場も従うことになりますので、諾否の自由は認められていません。
② 業務遂行上の指揮監督があること
スポーツの練習においても練習メニュー等が監督から指示され、競技会での戦略の具体的指示がなされるシステムで行われており、指揮監督がなされているでしょう。
③ 勤務場所・時間指定等の拘束性があること
スポーツ業務の練習場所や活動場所・練習時間等が管理され、選手はそれに拘束されています。
④ 代替性があること
スポーツ業務について選手の代わりに一般業務の誰々さんが出場することは考えられないので代替性はないが、一般業務については、競技期間中、代わりの職員が行う形であり代替性はあることになります。
⑤ 報酬の労働対価性
一般従業員と異なり「スポーツ手当」が付加されると、それはスポーツ業務に関する対価性を有するものであり、給与全体につき一般業務とスポーツ業務を行っていることに対する対価性は認められるでしょう。
従って、「準社員型」選手は、個別的労働法上の「労働者」に該当し、労働基準法や労働契約法の適用がある「雇用契約(労働契約)」を締結しているものと解釈できます。
(3)「準社員型」選手の労働法上の身分と権利
① 一般業務に関する教育訓練・研修
企業においては良質な労働力を得るために社員への教育訓練・指導助言・研修等を行うことになりますが、企業スポーツ選手の場合には、一般従業員と異なり、研修などの教育訓練の場に常時出席することは困難になります。スポーツ業務の練習や競技会出場などをしながら一般業務に関するスキル向上を求めるのには、一定の配慮が必要になり、仮に、十分な教育訓練の機会を与えないまま、実際の人事評価において一般業務のみの低い能力評価をして給与査定や昇進査定を行うことは人事権の濫用(労働契約法第3条第5項)になるでしょう。
② パワハラ・セクハラからの保護
一時期、スポーツ団体内でのパワハラ・セクハラ問題がテレビで放映されていましたが、企業内でのパワハラ・セクハラ問題も労働法制下での大きな問題になります。パワハラ問題については明確な法律上の定めはありませんでしたが、労働施策総合推進法第30条の2に定められました(セクハラについては、従来から男女雇用機会均等法第11条第1項に定めがあります)。
一般業務に関してのパワハラ・セクハラだけでなく、スポーツ業務に関しての練習等でのパワハラ・セクハラも当然に対象になります。ただし、「スポーツの練習時の監督の厳しい指導がパワハラに該当するのか?」という根本的な問題は、個々の事情を総合的に勘案して判断するしか方法がないと思われます。監督と選手の間に信頼関係が持てない場合には、選手からパワハラ問題として提起される可能性が出てくるでしょう。
③ 企業チームの解散・廃部と選手の解雇
企業チームが解散又は廃部になった場合には、「準プロ型」選手は、契約解除(解雇)されることになるとしても、「準社員型」選手については、労働法の適用がある以上は、労働法上の解雇制限規定及び解雇制限法理があり(労働契約法第16条、第19条)企業者は自由に解雇できるというものではありません。解雇をするには「客観的合理的な理由」があり「社会通念上相当である」との要件を満たす必要があります。この点で、スポーツ業務がなくなったとしても、一般業務は残っているわけで、また他の部署に配転して一般業務を行うことができるような場合には、解雇の合理性や相当性はないとされています。
また、そういう観点から、「準社員型」選手の入社契約においては、選手活動終了時には一般社員に復帰できる又は他の職種に変更するなどの取り決めをしている例もあるようです。
このような観点からして、「準社員型」選手については、一般の従業員と同様に、解雇制限法理より、一般業務に対する労働能力を発揮できる可能性がある限り、従業員としての地位・身分は保証されるということになります。
以 上
高齢者死亡に関する親族の不協力への対応(その2)~死後事務委任契約の法的問題点~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(ご相談)
過疎化している○○町の町立病院では高齢者の方々の入院が多く、入院者のAさんは、遠方に住む息子さんBさんとも疎遠になっており、近所で付き合いの深かったお坊さんCさんに「自分が死んだら葬式から何から何まで全部処理して欲しい。そのお礼として300万円の報酬を事前に払う。」という約束をして、地元の司法書士さんに死後事務委任契約書を作ってもらいました。
その契約書には「寺院墓地にお墓を建立するので、葬儀及び供養をして欲しい。預金の中から病院費用や葬儀代も支払って欲しい。」と、自分の写真と300万円をCさんに渡していた。Aさんの死後、相続人の息子Bさんから、「死後事務を委任する契約は、A死亡時に終了するので無効であり、300万円を返還して欲しい。」と言ってきた。
お坊さんCは、どうすればいいのでしょうか。
1 民法第873条の2創設(平成28年改正)
平成28年の民法一部改正において創設された民法873条の2は以下のとおり定めています。
第873条の2 (成年被後見人の死亡後の成年後見人の権限)
「成年後見人は、成年被後見人が死亡した場合において、必要があるときは、成年被後見人の相続人の意思に反することが明らかなときを除き、相続人が相続財産を管理することができるに至るまで、次に掲げる行為をすることができる。ただし、第三号に掲げる行為をするには、家庭裁判所の許可を得なければならない。
一 相続財産に属する特定の財産の保存に必要な行為
二 相続財産に属する債務(弁済期が到来しているものに限る。)の弁済
三 その死体の火葬又は埋葬に関する契約の締結その他相続財産の保存に必要な行為(前二号に掲げる行為を除く。)
この規定は、成年後見人は、後見する被後見人(認知症等の判断不充分者)が死亡した場合には、成年後見は当然に終了し、成年後見人は原則として法定代理権等の権限を喪失しますので(民法第111条第1項第1号、第653条第1号)、死後の病院代の未払分の支払いや葬儀等の支払いも成年後見人としてはできませんので、支払いを止めたままで相続人に管理して貯金・現金等の財産を引き渡して未払債務の説明をして引き継ぐという必要がありました。死後早々に必要な火葬手続きや葬儀などの依頼も本来は行う権限はなく、後見終了時の応急処分(民法第874条、第654条等)として許される場合があるというのが従来の法的取り扱いでした。
しかし、成年後見人は、相続人への引継ぎに一定の時間と事務量が必要であることから、相続人が早々に対応しない場合には、成年被後見人死亡後には、死後事務を行う必要があり、また社会通念上これを拒むことは困難でした。そこで、成年後見人制度の範囲で成年後見人の終了事務が迅速かつ適法に行えるために、第873条の2が創設されたわけです。
2 一般的な知人・友人による死後事務の場合
(1)それでは、法定後見人や任意後見人でもない一般的な知人に、自分の死後の葬儀や供養の手続き等の死後事務を頼むことは無理なのでしょうか?
民法第653条第1号(委任の終了事由)によれば、委任契約は、委任者又は受任者のどちらかが死亡すれば終了する定めになっています。 そこで、Aさんの相続人の息子Bさんから、「死後事務を委任する契約は委任者であるA死亡時に契約も終了するので、無効である。」という主張も一理あることになります。
法律上の解釈論争として「委任者の死亡を委任契約の終了事由とする民法第653条第1号の規定は強行法規か否か」という争いがありました。
しかし、この点は最高裁平成4年9月22日判決により、「自己の死後の事務を含めた法律行為等の委任契約が成立している場合、死亡によっても右契約を終了させない旨の合意を包含する趣旨であり、民法第653条の法意がかかる合意の効力を否定する趣旨ではない。」として強行法規ではなく、任意規定だとしています。この最高裁の判例以降は、実務上、死後事務委任契約は有効なものとして締結されています(東京高裁平成11年12月21日判決、東京地裁平成28年7月29日判決等)。
(2)次に、死後事務委託契約は、委任者死亡後に、相続人が気に入らない委任契約として、相続人からすぐに解除されてしまうのではないでしょうか?
民法第651条第1項は「委任は、各当事者がいつでもその解除をすることができる。」と定めていますので、委任契約が委任者Aさんの死後にも有効であったとしても、契約の地位の承継をした相続人(委任者)からいつでも解除されてしまい、AさんとCさんの委任契約は無かったことにすることは、法律上は可能です。
このような事態を回避するために、Aさんは生前の委任契約の際に、「死後事務委任に関しては委任者からの解除権は放棄する。」という条項を定め、民法第651条第1項の適用を排除しておく必要があります。但し、このような民法の規定の排除を定めた契約条項が有効かどうか、争われた事案があります。
東京高裁平成11年12月21日判決では「委任者の死後における事務処理を依頼する旨の契約においては、委任者は、自己の死亡後に契約に従って事務が履行されることを想定して契約を締結しているのであるから、その契約内容が、不明確又は実現困難であったり、委任者の地位を承継した者にとって履行負担が加重であることなど契約を履行させることが不合理と認められる特段の事情がない限り、委任者の地位の承継者が委任契約を解除して終了させることを許さない合意をも包含する趣旨と解することが相当である。」と判示して、無理由解除権放棄の特約が有効となることを認めました。
3 ご相談の結論
以上により、お坊さんのCさんは、相続人Bさんに対して、死後事務委任契約の有効性を主張して300万円を返還しなくても構いませんが、相続人の相続財産が全くない場合、300万円はAさんの唯一の財産だったということになるので、遺留分(相続財産の1/2)を相続人が有することを勘案して、法的争いを防ぐ意味で、半額150万円程度を返還するという和解的な解決をすることも良いかも知れません。
以 上
高齢者死亡に関する親族の不協力への対応
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(ご相談)
ある自治体からのご相談です。
「ある過疎の町立病院で高齢者の方々の入院が多く、入院中、意思疎通ができなくなる患者さんもいらっしゃいます。そのような患者Aさんの場合に、遠方に住む息子B男さんが、入院契約・身元引受人誓約書も提出しています(入院費用は介護施設入院中のAさんの妻(痴呆症状態)の預金口座から自動引き落としで未払いはない)が、B男さんは病院の治療同意や協力要請には何ら対応しないままでした。Aさんが死亡された際にも、B男さんは病院の電話やFAX連絡に何ら返事もしてこず、遺体の引き取りをしてくれません。他に協力できる親族も見当たらない場合、Aさんのご遺体について、どのように手続きをすればよいでしょうか。」
(回答)
1 コロナ禍の中の日本のお盆の時期も終わりましたが、お盆時期になると人の生死の話を考えてしまいますね。
今の日本は、少子超高齢化社会へ突入しており、多くの方が子供たちに看取られることもなく、介護施設、福祉施設又は病院で死亡されることが多くなっているようです。そして、その相続人である子供たちは、費用のかかる葬儀などは省略することはいいとしても、遺体の引き取りや遺骨の引き取りを堂々と拒否する人が多くなっているようです。特に、勝手に出奔して家庭を捨て長く音信不通となったままでその親が亡くなったというのであれば、実の子であっても、遠路を厭わず死亡地に赴き遺体の引取り葬儀を行う気持ちになれない場合もあるでしょうが、そういう事情もないにも関わらず、費用の工面や手続きの面倒さだけから、遺体の引き取り拒否をするというご相談の事例も、今は突拍子もない話ではないようです。
2 日本人の精神風土としては、家族の一員が死亡すれば、遺体を引取り、葬儀をした上で、火葬をし、ご先祖の祭られているお墓に納骨するというのが一般的な慣習です。
では、法律上はどのようになっているのでしょうか。問題は、遺体の引き取り、火葬に付す義務のある者は誰か、という点ですが、実はこれを定める法律は見当たりません。「墓地、埋葬等に関する法律」では、「死体の埋葬又は火葬(以下2者一括して「埋葬」と言う。)を行う者がないとき又は判明しないときは、死亡地の市町村長(特別区の区長を含む。以下同じ。)がこれを行わなければならいない。」とし、市町村長の最終的な埋葬義務を定めているのですが、誰が本来の埋葬義務者なのかについては全く触れていません。この点は「慣習」に委ねているのだろうと思いますが、慣習違反には何ら法律上の罰則等はありません。慣習違反に何か制裁があるとすれば、親族や近しい人たちから「義理も人情もない」、「親不孝者」、「無責任者」と陰口をたたかれるというだけのことでしょう。
3 もうひとつの法律である戸籍法を見てみますと、戸籍法第87条は、人が死亡した場合、「同居の親族」、「その他の同居者」、「家主等」の順序で、死亡届出をする義務を課しています。これを手掛かりに、誰が遺体の引取り義務があるかということを考えてみますと、死亡届義務がある以上は、少なくとも、同居者が同居場所等において遺体を受取る立場になるということで、同居の親族には遺体の引取り義務と埋葬する義務があると解釈することも可能だと思われますが、その場合でも、引取義務違反に対しては、引取りを強制する方法がありません(強制不能)ので、埋葬法の本則に立ち返り、結局「埋葬を行う者がいないとき」として市町村長が行うこととなります。
そういう法律の定め方からしますと、この息子B男さんは、まず「同居の親族」には該当しませんので、法律上、父親の遺体の引取り義務も埋葬をする義務もないことになります。
もし、この場合に、誰も引き取らず(身元判明者であれ身元不明者であれ)葬儀など埋葬・火葬執行者がいない場合は、厚労省管轄の福祉政策の一環として「行旅病人」及び「行旅死亡人」として市町村の長がこれを行うと定めていますので、死亡地の市町村長が火葬にして、一定期間、遺骨を保管し、その期間内に親族から遺骨の引取り申出でがあればその人に渡します(条例で定める保管料の支払を求められます)が、期間内に申出がなければ提携の寺院又は公共埋葬施設に埋葬されることになります。
その場合、市町村(病院)としては具体的にどのような手配をすればいいのでしょうか。
正解があるわけではないのですが、市町村の手続でも病院に長い間ご遺体を置いたままにはできないでしょうから、取扱例のひとつとしては、病院では患者が亡くなった場合に遺体の搬送をよくお願いしている葬儀業者があるはずなので、そういった業者を聞いて、まずはその葬儀業者に搬送を依頼し、近くの斎場等の安置所にしばらく安置されている状態にして、市町村で火葬手続きを進めていくという取扱例があるとのことです。
これが、ご相談に対する回答ということになります。
4 それでは、親族でもない友人が、遺体を引取って火葬・埋葬することができるのでしょうか。
ご遺体を引き取り埋葬、火葬するためには、「墓地、埋葬等に関する法律」第5条1項の規定により、まず市町村長の許可を受けなければならないと定めています。
市町村長の許可を受けるために、同法「施行規則」第1条には①死亡者の本籍、住所、氏名 ②死亡者の性別 ③死亡者の出生年月日 ④死因 ⑤死亡年月日 ⑥死亡場所 ⑦埋葬又は火葬場所 ⑧申請者の住所、氏名及び死亡者との続柄を記載した申請書を、死亡地の市町村に提出しなければならないと定めています。そこでは、申請者と死亡者の「続柄」の記載を求めていますが、親族でないといけないと定めてはいません。従って、遺族親族でなければご遺体の引き取りができないということはありません。友人の方でも、市町村に備え付けの申請用紙に必要事項を記入し提出、市町村長が許可すれば、引き取り葬儀・火葬が可能です。
5 参考までに
孤独で亡くなり引き取り手のいない人に対する無縁仏としての手続は、年間3万2000体以上になるようですが、そのほとんどが、身元が判明して家族がいるのに引き取られない場合で、引き取り拒否が近年急増しているとのデーターもあるようです。「関わりたくない」とか、「縁は切れている」、「もうしばらく会っていない」といったことが引き取り拒否の主な理由なのだそうですが、市町村としては、このように、引取拒否された遺骨を市町村の無縁墓地や受け入れお寺に埋葬する手続きが市町村の業務として急増することは覚悟しておいたほうがよいでしょう。
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その12
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第14章 殿ちゃま、男になる!(理事長実績編“弁護士の灯火論”)
九弁連結成50周年を終え、殿ちゃまは、九弁連51年目の理事長に就任し、理事長方針としては、「九弁連100周年に向けた新たな1年目のスタートの年」として、“九弁連はひとつ”“九州は一体”との九弁連活動をどのようにして具体化していくのかという視点から運営方針を提示された。
その運営方針は、筑紫の国福岡県弁護士会の理事に賛同されて、九弁連各県の理事たちの協力のもと、“50年後から100年に向けての着実な第一歩”としての実績を理事長として残されたと評価されている。吉野正九弁連副理事長(福岡県弁護士会会長)の言によれば、「殿所理事長は男になった!」ということである。
その業績は、簡単に挙げても形になったものが多くある。
①ブロック・サミットの提唱・開催―日弁連、各県弁護士会の制度以外に、各地域弁護士会連合会(ブロック)が独自の運動・活動を活発化させるための全国レベルの協議連絡機構となろうとする構想の確立
②法律相談センターの全国3番目(五島)、4番目(石垣)の設置開設―弁護士過疎地域の法的サービス組織のスタート
③九弁連組織の充実―各理事の委員会担当制度の実施、予算基準の明確化、事務局長の相談員機構(旧事務局長の支援)の発足
④司法修習短縮改変に伴う弁護士会事前研修の確立・実施
これらは、殿所哲理事長時代の形成財産として、九弁連活動の貴重な活動組織として、九弁連に半永久的に残るものだろうと思われる。
平成11年3月、 殿ちゃまは、九弁連理事長としての退任挨拶を次のように締め括っている。
「この年度の、各弁護士会を代表される理事の方々で構成される九弁連は、意見の違いや立場を乗り越えて、他の人々の話しを聞き取ることへの高い能力を持ちあわせた集団でありました。理事集団の意見の収斂の仕方等、心技とも極めて高度でこのうえなく怜質であり、私の最も尊敬できる集団でありました。九弁連結成51年目を迎えた年であり、50年前の九弁連の姿から見れば、今日の九弁連の発展充実は夢のように写ったかも知れません。第3回国連総会(1948年、昭和23年)で、世界人権宣言が採択されてから、今年は丁度50周年…その間の人権の容貌も多様な価値観に突き押されながら、大きく変革せざるを得ませんでした。歴史の重たい流れの中での1コマの今日、私たちが、今後の50年先を、その時代の九弁連の姿を、形のある映像として思い描くことは困難でありましょう。しかし、私どもは、時の流れと共に、より良きものを求めて、毎日毎日1枚1枚紙をめくるようにして連続した日常的行動の中から、時宜に適した展望を見出して行かなければなりません。九弁連が今日まで50年を要して達成した現在の姿でも、時代の変革について行けない不足部分はありますように、いつの時代でも完成と未完成とが同居するのが常であります。今後の50年先の時代でも変革と日常性的安定の葛藤は普遍的な事象だろうと考えます。それを承知の上で、今年のなにほどかの前進と残された不足部分を次期の理事長・理事各位に引き継ぎたいと思います。今年のなにほどかの前進が、今後の時代の流れに沿って、原型を失って変革されようと私たちは一向に構いません。しかし、私たちが、弁護士としての信義・正義と真実追求という心の灯火(ともしび)そのものは燃やし続けなければならないと思います。」
この挨拶は、殿所哲弁護士の“弁護士の灯火(ともしび)論”として後世に残る挨拶となりました。まこち、いい挨拶じゃったねぇ~。パチパチパチ(拍手)。
(法律解説)
このシリーズの第1章の法律解説で、九州弁護士会連合会の説明をしており、宮崎県弁護士会から初めてその九州弁護士会連合会の理事長に就任されたのが、殿所哲弁護士(殿ちゃま)であることを紹介しております。私と共に宮崎県町村会の顧問弁護士であることから、このコーナーにこのシリーズ「殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)」を載せていただいております。
殿所弁護士の理事長退任のご挨拶は、「弁護士の灯火(ともしび)論」と呼ばれているものでした。
弁護士の使命は弁護士法第1条に高らかに謳われております。私を含め、すべての弁護士が、法的紛争に巻き込まれ悩む人々、法的被害を受けている人々、安心した暮らしができない人々の明日を、かすかにでも明るくする「灯火(ともしび)」であるように努めてもらいたいと思っております。
1 弁護士の使命
「社会正義の実現」と「人権擁護」、これは私たち弁護士が生業の中で常に意識しなければならない弁護士の使命です。
弁護士法第1条は、弁護士の使命として次のように定めています。
「1 弁護士は、基本的人権を擁護し、社会正義を実現することを使命とする。
2 弁護士は、前項の使命に基き、誠実にその職務を行い、社会秩序の維持及び法律制度の改善に努力しなければならない。」
弁護士は、同じ法曹の裁判官や検察官のように国からの給与等は無く、自分で事務所経営を行い依頼者からいただく報酬で生活していますので、その使命は「依頼者の権利及び利益の擁護」とみられてしまう面もあるのですが、本質的な使命は、「基本的人権の擁護」と「社会正義の実現」です。その使命を達成するために、弁護士には職務の自由と独立が要請され、高度の自治が保障されています。私たち弁護士は、その使命を自覚し、自らの行動を規律する社会的責任を負っているのです。また、依頼者に良質なリーガルサービスを提供するため、常に教養を深め、法令及び法律事務に精通するべく日々研鑽に努めていかなければなりません。
私も、弁護士会会長(平成23年)や弁護士会常議員会議長(令和元年)として弁護士会で新年の挨拶や企画活動の挨拶等をする際には、「会員弁護士の皆様が、社会正義の実現と人権擁護の弁護士の使命の下で、益々ご活躍されるよう期待しております。」などと、弁護士の使命については常に触れるようにしていました。
2 社会正義とは?
それでは「社会正義」とは何をいうのでしょうか?
社会正義は、「社会的公正」「配分的正義」とも呼ばれ、欧州の騎士道、日本の武士道にも通じるものがあると言う人もいます。勧善懲悪の思想や天道思想も同じ考えでしょうか。簡単に言えば「社会生活を行う上で必要な正しい道理」ということでしょう。現代思想としては、具体的には、人権や平等主義(公平)、累進課税などを通した収入や財産の富の再分配などが社会正義の要素として挙げられます。
民主主義は、理性のある国民一人一人の自由な判断に基づく国家の意思決定方式であり最も「正しい」方法だとされていますが、理性に基づかない多数決方式は衆愚政治を導いてしまいますし、国民一人一人の「理性」こそ、社会正義の基本です。私たちの「理性」は、自分の立場で考える理性をいうのではなく、相手や他者の立場に立って考える「理性」であることを忘れてはなりません。私は「社会正義」とは、「他者の立場に立って考えたことを基本に判断をしていくことで実現できる社会実相のこと」をいうのではないかと考えています。
そこには、個々人が個々の自分の能力を身に付けることも含まれますし(能力主義)、勉学や労働の機会均等も含まれますし、社会的弱者への時の配分(格差是正)や社会保障思想も含まれてきます。それは、抽象的な私たち国民というよりも、人間一人一人が、時代の発展・変容という時間の流れのなかで、その都度その都度、学び続け志向されて行かなければならないものです。
小学校の恩師山下フミ先生から小学校卒業時に戴いた言葉は「学ぶべし、怠るべからず、人の一生は勉強の連続である」という言葉でした。
また、大学時代の恩師である九州大学名誉教授三島淑臣先生(法哲学・法思想史)から教えていた導歌に「辿りゆく麓の道は多けれど、同じ高嶺の月を見るかな」というのがあります。誰しもが、そういう社会正義の月を見られるように常に勉強し学びながら麓から高嶺へと登りゆくわけです。
そして、殿所哲先生が“弁護士の灯火論”の挨拶で言及されているように、「私どもは、時の流れと共に、より良きものを求めて、毎日毎日1枚1枚紙をめくるようにして連続した日常的行動の中から、時宜に適した展望を見出して行かなければなりません。」ということが、まさに弁護士の「社会正義の実現」という歩みなのだろうと思います。
これでこのシリーズ「殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)」は終了となります。お読みいただき、ありがとうございました。
( なお、「最終章 そして、桜の咲く頃に~女房に感謝を込めて~」は、殿ちゃま・近ちゃまから妻たちへの個人的な感謝の言葉を書き綴った文章にすぎず法律解説ができませんので、“割愛”させていただきます。 m(__)m )
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その11
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第13章 あと一年、ご苦労さん! あれ~?双子?
平成11年3月末。
お正月もとっくに過ぎ去り、いよいよ、九州弁護士会連合会の会務も最後の理事会を迎え、最終理事会の前に、平成11年度の次期理事候補を集め、九弁連次期理事予定者会議を実施することになっている。
話は変わるが、九弁連会務は筑紫の国の福岡県弁護士会が理事6名を擁し、そこに活動の中心メンバーが揃う。近ちゃまの九州大学法学部同期のT辺M彦・T辺N克の兄弟(いずれも福岡県弁護士会の弁護士だからすごいよねぇ。)の兄T辺M彦氏も理事として活躍していた。理事は任期1年であるから、次期予定者会議には、平成10年度の現理事が参加することはない。
平成11年度次期予定者会議には、予定者以外に、平成10年度役員中、現理事長殿ちゃま・事務局長古賀ちゃま・事務局次長近ちゃまが参加するのみである。
予定者会議直前、各県から次期理事予定者が次々と弁護士会館の会議室に入ってくる。
福岡弁護士会の理事も全員新顔である。しかし、T辺理事の顔も見える。
殿 「やあ、T辺先生、継続でもう一年ですか、ご苦労さん!来年度も頑張ってください!」
と、殿ちゃまが、T辺理事の肩を叩いて、親しそうに挨拶!
T辺N克 「え?はい?あの~」
T辺N克 「あの~、私は、こういうもので(名刺を出す)、殿所理事長とは初めてお会いするんですが…。」
殿 「え?あれ?ん?」
T辺N克 「兄が平成10年度の現理事で、私は、双子の弟のほうになるんですが。」
あ~あ、殿ちゃま、またまた、ちょんぼ!
廊下で次期理事予定者の方々の受付をしながら全員が揃うのを待っていた近ちゃまのところまで、殿ちゃまが、トコトコやって来て、
殿 「おい! ! また、失敗、失敗。福岡のT辺弁護士は、双子か!現理事のT辺M彦先生とばかり思って、“また、もう1年頑張ってください。”と言って肩をポンと叩いたら、“私は弟です!”と言われてしまったよ!」
近 「あ!そうでした。彼らは、私と九州大学の同級で双子なんですよ~。」
殿 「何で、それを先に教えんのか!」
近 「・・・・・・」
・・・どうして、近ちゃまがお叱りを受けるのだろう?
(法律解説)
この章では、「人間違い」の場合の法律関係を説明するしかないかと思います。
1 刑事裁判での人間違いについて
(1)誤認逮捕
誤認逮捕(ごにんたいほ)とは、警察などの捜査機関がある人物を被疑者として逮捕したものの実際にはその人物は無実であったことが判明した場合の逮捕行為を言います。そもそも法律上許される逮捕は、ある人物に対して犯罪の嫌疑を持った場合に必要性があればなしうるものであり、刑事訴訟法第199条において「検察官、検察事務官又は司法警察職員は、被疑者が罪を犯したことを疑うに足りる相当な理由があるときは、裁判官のあらかじめ発する逮捕状により、これを逮捕することができる。」と定めています。捜査機関は逮捕を行うことで犯人の逃亡や証拠隠滅を防止し、起訴をして有罪判決を得られるだけの証拠を集めるための捜査を行います。この「嫌疑」はその時点の証拠関係から判明した相当程度のものでよいとされるので、逮捕後に十分な捜査をした結果、逮捕した者が実は罪を犯していなかったと判明すること(「嫌疑が晴れる」ということ)は、制度上起こり得ることです。
しかし、誤認逮捕されたほうは、たまったものではありません。逮捕されると日本のマスコミは犯罪者であるという前提での報道をしますので、社会的名誉や仕事を失うことが必ずあります。そのような場合、国家は逮捕された人に補償をしなければならないということになります。
日本国憲法では「何人も、抑留又は拘禁された後、無罪の裁判を受けたときは、法律の定めるところにより、国にその補償を求めることができる」(憲法第40条)と規定しています。刑事補償法第4条第1項で、抑留又は拘禁による補償については、1日あたり1000円以上12500円以下の割合による補償金の交付を受けられる旨を規定しています。
しかし、刑事補償法の対象となるのは、起訴されて無罪判決を得た人が、逮捕・勾留されていた場合だけで、起訴される前に容疑が晴れ釈放された場合については、刑事補償法の対象にはなりません。逮捕後、起訴される前に容疑が晴れ釈放された場合の手当は「被疑者補償規程」に拠ります。第2条は「検察官は、被疑者として抑留又は拘禁を受けた者につき、公訴を提起しない処分があった場合において、その者が罪を犯さなかったと認めるに足りる十分な事由があるときは、抑留又は拘禁による補償をするものとする。」と定めていますが、被疑者補償規程は、法務省訓令という行政機関の内部規程に過ぎず、誤認逮捕された者に補償を請求する権利を与えたものではないので、補償されるか否かは、全て検察官の裁量次第とされていますので、補償されない場合には、誤認逮捕が違法であるとして、国家賠償請求をする方法が残っていますが、今の法律解釈では、誤認逮捕されたことが必ずしも国家賠償法にいう「違法」とはされないという問題が残っています。
(2)殺人行為での人間違いについて
① ある犯人が、Aを殺そうとしてAに向かってピストルを撃ったが、Aには当たらず、隣のBに当って、Bが死亡しました。犯人には誰に対する何罪が成立するでしょうか?
② 同じく暗闇での人影がAだと思ってピストルで撃ってその人に当ったが、人影はBであり、Bが死亡し、Aはその場にはいなかった場合、犯人には誰に対する何罪が成立するのでしょうか。
〇このような問題が刑法の試験で出されます。刑法における「事実の錯誤」という論点の理解を求める問題です。
「事実の錯誤」とは、犯罪構成要件事実に対して錯誤があった場合のことを言います。上記の例では同じ「人違い」であるのですが、①の場合は「方法の錯誤」、②の場合には「客体の錯誤」と呼ばれています。この区別は、犯人の目の前に現実に認識したAがいるかいないかで区別されていますが、(毒薬入りジュースを送り付けた場合のように目の前にAがいないことを前提としてA宛に郵送した場合のような離隔犯の場合には、この区別は難しくなります。
この問題を解決する刑法学説には色々な見解がありますが、基本的な考え方によれば、どちらの場合でも、実際に亡くなったBへの殺人既遂罪を認め、①の場合にはAへの殺人未遂が加わりますが、②の場合にはAへの危険性すら生じていないのでAへの殺人未遂罪は成立しないと解釈されています。
2 民事裁判での人間違いについて
(1)契約する相手を間違えた場合
契約は、契約する人と契約する対象物と契約する内容の意思表示で成立するとされています。その契約の三要素の一つを間違った場合には、契約という意思表示を間違ってしたことになりますので、意思表示の錯誤が生じていることになります。民法第95条には「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。」と定めてありますので、契約相手の人違いについては、「法律行為の要素」に関する錯誤と言えますので、その契約は無効にすることができるとなりそうですが、一般には契約の対象物が重視される契約において、人違いは錯誤とならない(大判大8.12.16)とする判例もありますが、契約相手の個性に着目する無償契約では、要素の錯誤が認められ無効となると解釈されています。
「結婚も」二人の合意による身分契約とされています。この場合の人間違いは相手の個性に着目する場合ですから、相手と違い人との婚姻届けが出されている場合には、婚姻意思がなかったものとして婚姻は無効になります(民法第742条に「婚姻は、次に掲げる場合に限り、無効とする。一 人違いその他の事由によって当事者間に婚姻をする意思がないとき。」と定めてあります。)
なお、格言に「結婚は男と女が互いに錯誤することで成立する。」という種類のものがありますが、これは法律的なことを言っているのではなく、男と女とはお互いに理解し難い間柄であり、間違った認識をしたから初めて結婚することになるのだ。」というエスプリであります。(エスプリとはフランス風ジョークとでも言えましょうかね。)
(2)裁判で訴える人を間違えた場合
民事裁判で、原告がAさんを訴えようとしたのに、訴状の被告名としてBさんと書いた場合に、裁判の被告として裁判に出てこないといけない人は誰でしょうか、という問題があります。
① 訴状が被告Bさんに送られる前に、原告が間違いに気づいた場合には、訴状の訂正をしてAさんへ送ってもらえばそれで解決します。
② 訴状の被告Bと書かれたまま、Bさんに訴状が送られた場合にはどうでしょうか。この場合には、訴状はBさんに届きますので、Bさんが被告となって訴訟の当事者とならざるを得ません。但し、その後に、原告がBさんではなくAさんを訴えたのだとして「表示の訂正」としてAさんを当事者とする方法を取ってきた場合に、「表示の訂正」によって、再度、Aさんに訴状送付をして裁判を続けられるかは問題です。Bさんが全く無駄をふまされただけで終わるからです。Bさんが同意しなければ「表示の訂正」はできないでしょう。原告はBさんへの訴えを取り下げて、新たにAさんを訴え直す必要があります。
③ Bさんを表示した訴状がBさんに送られたのに、Aさんがその裁判の相手は自分のことだろうと考えて、第1回口頭弁論の裁判からAさんがBさんとして出頭して訴訟を行ってきていたが、判決を行う段階で、Bさんの名前でAさんが訴訟をしていて、原告も訴訟行為をしているAさんを訴える意思で訴訟行為をしてきた場合も「人違い」というより、その訴訟の当事者被告として誰を確定するべきかという問題になります。この場合、行動説、意思説、表示説の立場があるようですが、実際に訴訟行為をした者(Aさん)が判決を受けるべきであり、表示がBさんであっても、判決はAさんの表示に変更訂正してAさんに対して行うべきであるという見解が妥当です。
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その10
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第12章 日本の南端の島で~「あれ?これ、どこから覗くんですか?」~
(後編:竹富島-西表島-由布島の三島巡り)
早朝の沖縄石垣の空は、快晴!!!
石垣法律相談センター開設の九弁連会務も昨夜の地元懇親会で終わり、今日は、殿ちゃまと観光予定の一日である。
近ちゃまは、早く起きて石垣の空を見上げて快晴を確認すると、ホテルの電話で殿ちゃまを無理やり起こす。
近「もしもし、先生、起きられました? 天気は晴れです。今日予定していた石垣島一周案はやめます。今日は、もうひとつの案の、竹富島-西表島-由布島の三島巡りにします。船に乗りますので、早くでかけましょ。石垣に来て西表島に行かなかったら、後でみんなから馬鹿にされるそうですよ。」
と、殿ちゃまを説得。
早速、二人でホテルのレストランの朝食を取りながら、
殿「夕べは、石垣の弁護士の件はおどろいたなぁ。病気の弁護士が来ているとは誰も思わんわなぁ。」
近「沖縄弁護士会の会長も、理事長のお話をしたら、ええっ~!って、びっくりしていましたから。それより、早く食べて出かけますよ。」
ゆっくりと朝食を取りたがる殿ちゃまを急かしてあたふたと朝食を済ませ、石垣港から船旅の写真撮影旅行へ、しゅっぱ~つ!
近ちゃまは、買ったばかりの「写し絵覗箱」(一眼レフカメラのこと)を担いで、殿ちゃまもでっかい一眼レフカメラを担いでの旅である。
殿「どらどら、いいカメラを買ったねぇ。初心者用だが機能がいっぱい付いていていいよ。しかしねぇ、その機能を君は使えるかなぁ?その機能を使えんようじゃなぁ~。」
近「いいんです。自動になっていますので、シャッターだけ押せれば写るんです。先生がカメラを買え!って僕に言われたんですよ。」(第6章参照)
殿「う、うん。そうか・・・。」
竹富島は、琉球王朝時代の琉球瓦屋根と珊瑚積みの塀の街並みがそのまま残った生活様式が見られ、星の砂の砂浜「コンドイ浜」もある。竹富島には交通信号機はない。竹富島から出る海中観光船から見る珊瑚礁と魚の群れはほんとに綺麗である。その美しさと静けさに、南の国ののんびりとした生活感を感じ取ることができる島である。
西表島は、熱帯・亜熱帯系植物の原生林の島で、天然記念物のイリオモテヤマネコ、カンムリワシが生息する。川の両側に広がるマングローブの景色は、原始時代を想像させるような異景である。西表島には交通信号機が小学生の勉強用に一ヶ所だけある。若い運転手が奇妙な敬語を使って案内するバスで西表島回りの観光案内をしてくれた。南の国のジャングルという雰囲気の島である。
由布島は、水牛の島である。遠浅の海を西表島から、の~んびりと水牛車に揺られて渡る。南の国の離れ小島という感じの島である。島全体が観光園となっている感じであった。
昼食は、八重山「長命定食(長寿定食)」という名の、地元八重山の食べ物ばかりの定食である。食べる人の長寿を願って地元の長寿者の食事を定食化したもののようである。
殿ちゃまが長命定食を強く希望されて、近ちゃまも仕方なく同じ注文をした。
殿「おい。これ、おいしいねぇ。何だろうか?」
近「それが、ミ・ミ・ガー・で・す。」
殿「ありゃあ~。ブタの耳か!」
(ゲテモノ嫌いで、沖縄の牧志公設市場でも買おうとしやらんかったミミガーを何と、殿ちゃまは、おいしそうに食べやったげな。)
殿ちゃまは、でっかい一眼レフカメラの他に、デジタルカメラを持って来ていて観光用スナップ写真を撮っている。
殿「おい。これでちょっと俺を写してくれ。」
と、デジタルカメラを差し出す。
近ちゃまは、デジタルカメラを受け取り、ポーズを取り始めている殿ちゃまから少しずつ離れて行きながら、
近「はい!いいですよ。写しますよ~。」
近「あれ?これ、どこから覗くんですかぁ~???」
殿「え?お前、どこから覗く?!…」
と言ったきり、・・・・殿ちゃまは、腹を抱え、顔を真っ赤にして、クックックと笑いを押さえるのに必死で、しばらく声も出ない。
ひとしきり笑った後、
殿「どこから覗くったって、デジタルカメラは、液晶に画面が出るから覗くところは無いがね。覗く必要はないがね。・・・。このことは誰にも話さんでおいてやるわな。ふっふっふ。」
近「・・・(心の中で・・・きっと誰かに話すに決まっている・・・)」
西表島のマングローブ原生林の川を観光用ボートで上がっていく。ジャングル探検の雰囲気である。
このオプション選択は、殿ちゃまも気に入ってくれた。昨日まで「オプションのパックツアーは自分の時間がゆっくりないから嫌だ。」と不平を言っていた殿ちゃまの顔つきが、いつのまにかにこにこ顔に変わっていた。
・・・そりゃそうだろう。近ちゃまはホテルのツアーデスクで「の~んびり三島巡り」といって“の~んびり”がわざわざ付いているオプションツアーを選んであげたんだから・・・・・。
殿「おい!カンムリワシがいるぞ。」
とカメラを覗いて激写体勢。カシャカシャカシャと高額カメラのシャッター音がマングローブの森に聞こえている。カンムリワシは逃げないで悠々と木々に止まってマングローブの森を見渡している。
「カンムリワシ」は、国の天然記念物であり、プロボクサー世界チャンピオンの具志堅用高のリングネームやガウン背中の刺繍で有名である。そのカンムリワシも間近に観られたし、その雄姿を写真に写せたし、何より広い青空を見上げられる、南の島の天気は快晴であった。
近ちゃまは、“近ちゃんの企画はすばらしい!”と殿ちゃまから誉めてもらいたかったそうじゃ。
宿泊は、高級リゾートホテル日航八重山である。近ちゃまも高級ホテルには泊まり慣れてしまい、な~んの失敗もない。
しかし、殿ちゃまは聞く、
殿「おい。このホテルの部屋の電灯の消し方は分かったか~?(にかッ)」
と、ホテル事件(第3章)を思い出して殿ちゃまが一人笑っている。
2日目の夜は、次期九弁連事務局長と合流して「居酒屋“栄”」で盛り上がる!地元取れの名前の分からない名前の魚を食べたり、チャンプルーを食べたり…。
殿ちゃまは珍しく泡盛をクイクイッと飲んで上機嫌である。殿ちゃが担当された昔の面白い事件の話が延々と続く。暴力団から人質の女性を助け出した事件(「ダンスしながら耳元で」事件)、強姦事件で「いや」と「いや~ん」の違いを争った事件、不倫石積み暗号事件などなど・・・・。
男三人での事件話が延々と続きながら、南の島の夜が更けていった。
翌日3日目、殿ちゃまも近ちゃまも、少々二日酔いであったものの満足できた心持ちになりながら、JTAのジェット機の窓から、カンムリワシになった気分で八重山諸島の島々、珊瑚礁を下に見ている。「日本の南端への旅」からの帰路に着いた。
沖縄のお土産に、殿ちゃまは、なぜか、精力増進・元気回復のハブ酒を買っていた。2万円!
沖縄のお土産に、近ちゃまは、なぜか、豚の耳(ミミガー)と豚の顔(ツラガー)を買っていた。2,000円。
殿ちゃまと近ちゃまの珍道中は、とうとう、日本の南端まで及んだのであり、二人はそれぞれのお小遣いの経済格差(約10倍)を維持しながら、九州を北から東・西へと、そして南まで行ってしまったわけじゃなぁ。
(法律解説)
1 イリオモテヤマネコ・カンムリワシ訴訟
(1)沖縄県・西表島でユニマット不動産(本社東京)が進めているリゾートホテル建設計画に反対し、全国環境保護連盟(東京)などのメンバー10人が29日、国の特別天然記念物イリオモテヤマネコやカンムリワシなど22種の動物を原告として開発の中止を求める訴えを東京地方裁判所に起こしたという裁判事例(平成14年10月,東京地方裁判所平成14年(ワ)第23454号リゾート開発差止請求事件)があります。
その訴訟では、原告らは「開発予定地は絶滅の恐れがある生き物が多く生息しており、コンクリート護岸化などにより生存権が侵害される」と主張していましたが、平成15年2月26日判決で「原告適格がない」として却下されています。同様に動物を原告にした訴訟は鹿児島県・奄美大島のアマミノクロウサギ訴訟などがありますが、その訴訟においても、「原告適格がない」として却下されています(鹿児島地裁平成13年1月22日判決)。
(2)東京地裁平成15年2月26日判決(上記事件)の内容は次のとおりでした。
① 本件訴えは、沖縄県八重山郡a町付近に生息するなどする前記22種の動物(イリオモテヤマネコ等)を原告として提起されたものである。
② しかしながら、当事者能力については、民事訴訟法第28条が、当事者能力は、同法に特別の定めがある場合を除き、民法その他の法令に従う旨規定するところ、民事訴訟法及び民法その他の法令上、自然物たる動物に当事者能力を肯定することのできる根拠を見いだすことはできず、したがって、自然物たる動物である原告らに当事者能力を認めることはできないといわざるを得ない。
③ よって、本件訴えは、当事者能力を有しない者を原告とする不適法なものであり、その不備を補正することができないから、民事訴訟法第140条に基づき、口頭弁論を経ないで本件訴えをいずれも却下することとし、訴訟費用の負担につき同法第61条、第65条第1項本文を適用して、主文のとおり(原告の訴えを却下する)判決する。
2 野生生物の保護と法律
動物を原告とした訴訟は、自然の権利訴訟と言われ、野生生物や自然界と人間が共存する権利、野生生物の権利というものの保護を意図したものです。
そこで、そもそも、日本の法令では野生生物は保護されているか、を見てみましょう 。
法令としては、①鳥獣保護法(1918年制定)、②種の保存法(1992年制定)、③文化財保護法(1950年制定)、 ④外来生物法(2004年制定)、⑤カルタヘナ法(2003年制定)や⑥各地方公共団体の条例等を挙げることができます(長岡大学吉盛一郎論文「自然の権利訴訟」参照)。
① 鳥獣保護法(鳥獣の保護及び狩猟の適正化に関する法律)では、鳥獣を保護し増やすために鳥獣保護区が設けられ、鳥獣保護区では狩猟が規制されます。
② 種の保存法(絶滅のおそれのある野生動植物の種の保存に関する法律)では、野生動植物が生態系の重要な構成要素であり、自然環境の重要な一部として人類の豊かな生活に欠かすことのでき ないものである(第1条)として「希少野生動植物種」を保護するとしています。
③ 文化財保護法(旧史蹟名勝天然記念物保存法を引き継いでいる)は、天然記念物に指定されるものは、わが国にとって学術上価値が高い動物、植物および地質鉱物であるが、動物が天然記念物に指定されると捕獲が禁止されます。イリオモテヤマネコやアマミノクロウサギなどが指定されています。
④ 外来生物法(特定外来生物被害防止法)は、外来生物を廃除・駆除することによって従来種の生態系への被害を防止するとしています。
⑤ カルタヘナ法(遺伝子組換え生物等の使用等の規制による生物の多様性の確保に関する法律)は、コロンビアの都市カルタヘナでの国際会議で採択された遺伝子に関する議定書の趣旨に沿ったものであるが、遺伝子組換え生物等による生態系や健康への影響を防止するため輸入や使用などを規制するものです。
このような生物保護関連法律や条例に、『自然享有権』や、市民や環境NGOに『自然の権利』を代弁する原告適格規定を設けられていないことから、野生生物が消滅する具体的な危険性が発生した場合の個々の保護、救済手段となる訴訟活動が封じられている状況になっています。
3 デジタルカメラとアナログカメラ
デジタルカメラとアナログカメラの違いはほとんどなく、唯一の違いはフィルムを使用しているかCCD(画素)を使用しているかの違いですが、技術的にアナログカメラで撮影したものをデジタル化することが出来るようですから、更に違いはなくなってきています。
写真を得意な趣味とされている方は、アナログカメラ(フィルムカメラ)にこだわりがある方が多く、フィルムカメラの方が、細かい線もしっかり撮影することができ、絵を撮影した場合には色の変化がくっきりと写ると説明されています。特に、引き伸ばし拡大してもきれいに見ることができるために、大きな写真画像を作る際には、フィルムカメラの方がよいとされています。
4 新型コロナ・ウイルス感染拡大と観光事業
沖縄も宮崎も南国風土を生かした観光事業が行われている地域ですが、中国武漢市から始まったとされる令和2年3月頃からの新型コロナ・ウイルス感染のパンデミック(世界的大流行)は、日本政府の「緊急事態宣言」により人と人との接触をしないことを防止策としたために多くの事業閉鎖となり、観光・飲食店事業においても、外国からの航空便の減便、クルーズ船の寄港の減少等による観光客の減少、さらには、国による小中高校等に対する休校要請や修学旅行等の予定していたイベントの中止・延期要請等により、人々の行き来が無くなり全く事業として成り立たない時期を過ごしてきています。
沖縄県は、コロナ・ウイルス感染防止対策として、観光での来訪を自粛してもらう呼びかけをしています。その内容は次のとおりでした。
「今、首里城や美ら海水族館等、主要な観光施設は軒並み閉鎖しており、沖縄観光を楽しむことはできません。そして、多くの県民が活動自粛している中、沖縄最大の魅力である人の温かさに触れることもできません。また、島しょ県である沖縄県は、医療体制が脆弱です。新型コロナ以外も含めて、病院に入院する必要が生じた場合、病院での受け入れが難しくなることが危惧されます。
県外在住の沖縄ファンの皆さま、愛する沖縄を守るため、そしてご自身を守るため、どうか今は来沖や県内離島への渡航を我慢してください。終息後には「うとぅいむち(おもてなし)」の心で皆様を歓迎いたしますので、今は一番安全な場所である皆さまの「家」でお過ごしください。」
観光事業が成り立たなくなった損失に関する法律問題として、事業者の損失を誰の責任とするのか、事業が成り立たなくなったための従業員の休業状態に対する給与は支払義務があるのかどうか、事業が遂行できないことを理由に従業員を整理解雇できるのか、などの様々な問題が発生します。
基本的には事業閉鎖について日本の制度としては「強制」ではなく「協力要請」をしているにすぎない建前ですから、国への補償請求が当然に認められるわけではなく、又、事業者が国の協力要請で事業閉鎖している以上は、従業員への休業や解雇は「会社の都合による休業又は事業閉鎖」としての面がありますので、従業員は給与の支払いを受け、解雇事由はないとされる可能性があります。
このような事業者にとっての不合理な結果に対しては、現在、国や地方自治体が行おうとしているように特別補助金・支援金として事業損失を補償する制度を創設していく必要があるように思います。
本珍道中記は、そのような感染症パンデミックの無かった「平成の時代」の「のん気な雰囲気での旅行」が楽しめた時代の話であることをお許し願いたく思います。
以上
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その10
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第12章 日本の南端の島で~「あれ?これ、どこから覗くんですか?」~
(前編:「私は元気であります~。」
平成の御世(平成10年)の殿ちゃまと近ちゃまの九州国珍道中の旅も、11月、12月となると、九州弁護士会連合会の殿ちゃま理事長の任期終了が近づき、九弁連会務の仕上げの時期となり、激務の程度も少しずつ軽くなっていく感じじゃった。
これまで数々の珍事件に遭遇した殿ちゃまは、この頃には近ちゃまの少々のミスは慣れっこになったようで、大目にみてくれるようになり、理事長職としての業務の仕上げにと総括準備に入っておりゃったげな。
1) 平成11年3月。
殿ちゃまと近ちゃまは、沖縄・石垣島に旅をしやった。日本弁護士連合会と九州弁護士会連合会が共同して、那覇地裁石垣支部管内に「石垣法律相談センター」を設立し、その開所式と開設記念レセプションに出席するためじゃったげな。
九弁連会務で殿ちゃま理事長が最も力を入れたのが、弁護士0-1(ゼロワン)地域の弁護士会法律相談センター構想の実現である。簡単に言えば、裁判所はあるのに弁護士がいないといういわゆる「弁護士過疎地域」に弁護士による法律相談組織を作っていこうとするものである。
殿ちゃまの九弁連理事長時代の1年間に、なんと!殿ちゃまは、全国3番目に長崎・五島に「五島法律相談センター」を設立し、全国4番目に、南端の島、沖縄・石垣島に「石垣法律相談センター」を開設しゃったわけじゃ。
九州国は離島が多い地域じゃから、全国に先駆けてわずか1年間に2つも「法律相談センター」を開設させたことは、誰が見てん、すごい業績じゃということになるげななあ。
この石垣島への旅は、宮崎-沖縄那覇市(県知事訪問)-石垣市(市長訪問・開設式)-ホテル日航八重山に宿泊という流れで、宮崎―那覇-石垣-那覇-宮崎を2泊3日で観光する余裕のある旅であった。
宮崎空港から那覇空港へ向かう飛行機の中で、
近「先生、今回は今年最後の旅ですから、お互い失敗無しということで慎重に行きましょう。」
殿「君こそ、また、何か失敗するんじゃなかろうなあ?」
近「ところで、石垣は2人の弁護士登録があるのに、何故、弁護士0-1(ゼロワン)地域なんですか?」
殿「沖縄弁護士会の会長の話だと、1人の弁護士は高齢で、病気で倒れていて実働はないということだったなあ。」
近「そうですか、それで、九弁連理事長として働きかけられて、日弁連の0-1地域法律相談センター構想の対象になったわけですね。」
殿「ま、そういうこっちゃ。ところで、那覇空港に着いたら、那覇から石垣町への飛行機は、今度はプロペラ機かな?」
近「えー? 違いますよ。ちゃんとしたジェット機ですよ。40分くらいかかるらしいですから、宮崎-福岡間と同じくらいの距離があるんですよ。しかも、もう間違ってますよ。石垣は町ではなく、石垣市ですよ。」
殿「そうか。田舎じゃろうと思たけどなあ。」
石垣市の人が聞いたら怒りそうな、殿ちゃまのつぶやきである。
那覇市で沖縄県の与那嶺知事(かりゆしのシャツを着ておられました)への挨拶訪問を済ませて、すぐ石垣島へJTA(日本トランスオーシャン航空)の「ジェット機」で移動する。天気は生憎の雨模様・・・・飛行機に搭乗後すぐに、機内アナウンスが「石垣に着陸できない場合は引き返すこともございます。」と告げていた。着陸予定時間が過ぎても、飛行機はなかなか着陸しない・・・石垣上空を40分ほど飛行機は旋回している。
殿ちゃまは、かつての韓国旅行帰路の飛行機引き返し事件を思い出し(*第10章を参照)、“着陸できなかったら、相談センター開設記念式典はどうすればいいか”と心配でたまらんがったげな。しかし、その殿ちゃまの横で、隣座席に座っている近ちゃまは、いびきをグーグーかきながらあんのんと眠っていたげなよ。
ドスンと飛行機が着陸。すぐ急逆噴射。ゴーッと逆噴射音。
体がぐーっと前に引き出される感じになり、飛行機のシートベルトが役立つことが始めて体験できる。
近「あ!やっと着きましたねえ。あーあ、ずいぶん遅れちゃいましたねえ。長く旋回していましたねえ。」
と、冷静に時計を見るふりをして、近ちゃまが一言。
殿「おお、そうじゃったねえ。少し疲れたわ。君は大丈夫か。」
近「はい。寝ないで心配してました。」
しかし、殿ちゃまは、近ちゃまが、着陸の逆噴射のショックで初めて目を覚ましただけで、それまでの40分間の旋回を全く知らず、開設式典に遅れる心配どころか、グーグー寝ていたことは先刻承知の介であった。
石垣空港は滑走路が短く大型機が利用できないために、空港新設計画(白保海上案)があるが、きれいな珊瑚礁を死滅させるとの反対運動が起こり、長い滑走路を想定した空港新設計画は実現していない。そのため、ジェット機のパイロットは、今の短い滑走路に着陸と同時に急逆噴射措置を取らねばならないという極めて技術の要する空港の1つになっているらしい。
2) 石垣島では、医者の資格を持つ石垣市長に挨拶訪問をした後、江戸からきた日弁連会長と日向の国からきた殿ちゃま九弁連理事長が記者会見。近ちゃまも、殿ちゃまの後ろに座って、チャッカリ、瓦版の写し絵(新聞用写真のこと・八重山日報)に写っちょりゃったげな。
開設記念式典レセプションでの殿ちゃまの挨拶は非常に簡明で上手であった。なぜ石垣島が弁護士0-1地域なのかの説明(1人の弁護士が病気で実働していないことまで詳しく解説)まで言及されたものだった。
理事長挨拶と乾杯を終えた殿ちゃまは、その場に石垣から1人だけ出席していた弁護士のテーブルまで挨拶に行き、
殿「やあ、ご苦労さまです。大変でしょうが、法律相談センターもできましたので、今後とも頑張ってください。」
弁「はい。どうも。」
殿「ところで、先生はおいくつになられますか?」
弁「78歳ですわ。」
殿「お元気ですなあ。もう1人の方は、御病気で寝ておられるんでしたねえ。」
弁「いや、いや。もう1人は私より若くてバリバリやっていますよ。」
殿「あ?」 「いやあ?」 「は?」
(ありゃ?こりゃ、まずい!病気の方のほうが開設式典に出てきているようだと、殿ちゃまはすぐ感づいた!!)
殿ちゃまは、ソソクサとその席を離れ、末端テーブルで、普段食べなれない豪華食事をムシャムシャ食べては、沖縄オリオンビールをガブガブ呑んでいた近ちゃまに近づき、
殿「おい。石垣の弁護士は1人病気で倒れているという話じゃったがね。」
近「はい。そうですよ。(ムシャムシャ)」
殿「ところが、今日はその病気の弁護士のほうが開設式典に参加していて、今その人に、“1人は病気で倒れていて実働されていないんですよねえ”、と言ってしまったぞ。」
近「働いていないほうの弁護士が出席されているんですか?」
殿「沖縄弁護士会の会長の話と違うぞ。さっき挨拶で、1人は働いていないから0-1地域になると説明したばっかりじゃ。本人は怒っちょりゃせんじゃろうかなあ。本人は、面と向かって“あんたは働いとらんじゃろ”と言われたようなもんじゃわなあ。」
近「そうなりますねえ。ま。いいじゃないですか。飲みましょ。後で沖縄の会長に話しておきます。」
殿ちゃまの冷や汗もんのお話じゃった。
このお話には、おまけがある。
なんと!石垣のその弁護士先生は、最後に歓迎のスピーチをして、
「先ほどの挨拶の中にも、石垣の1人の弁護士は病気で倒れているとの説明があったが、あれは、多分私のことだろうと思うが、確かに、もう民事の仕事はしてない!しかし、私は、元気であります!………。」と、のたもうた。
殿「ありゃ~。やっぱり、怒っちょった~。」
近「そうみたい・で・す・ね。」
(法律解説)
1、日弁連の「0-1(ゼロワン)地域の弁護士会法律相談センター構想
日本弁護士連合会は、平成時代に入って、「市民にとって利用しやすい、開かれた司法」、「いつでも、どこでも、だれでも良質な司法サービスを受けられる社会」の実現を目指し、司法サービスの全国地域への展開に取り組んできており、特に弁護士過疎・偏在の解消に関しては、1999年(平成11年)の「日弁連ひまわり基金」の設置と全会員からの特別会費の徴収によって、全国に数多くの法律相談センターとひまわり基金法律事務所が開設・運営されるようになりました。国の費用ではなく、弁護士全員が個々人の費用負担で過疎地域への弁護士相談派遣費用や法律相談センターの設置費用を賄うという弁護士たちだけの活動でした。その対象地域は「地方裁判所各支部管内(後に簡易裁判所管内にも適用拡大)の行政区内に弁護士が不在か弁護士1名しかいない場合という0-1(ゼロワン)地域」でした。当時、全国で74か所が対象地域になりました。宮崎では、日南・串間市、日向市、西都市、小林・えびの市が対象とされました。
宮崎県内の0-1(ゼロワン)地域解消事業としては、2002年(平成14年)8月に日南ひまわり基金法律事務所開設、2006年(平成18年)8月に日向入郷地区ひまわり法律事務所開設、2008年(平成20年)10月に小林ひまわり基金法律事務所開設、2010年(平成22年)6月に西都ひまわり基金法律事務所開設を終え、全国的には、2011年(平成23年)12月には全国の地方裁判所支部管内における弁護士ゼロワン地域が一旦解消されるところとなり、当連合会管内においては、現在も弁護士ゼロワン地域の解消状態が維持できています。
ちなみに、殿所弁護士が理事長に就任された九州弁護士会連合会としては、2000年(平成12年)4月のひまわり基金・九弁連対馬弁護士センターの開設に始まり、九州各県の弁護士過疎地域に、ひまわり基金法律事務所の設置を積極的に進め、29か所の公設事務所を設置してきたという実績がありますが、それ以前の1998年(平成10年)の長崎五島福江法律相談センター(全国3番目)と沖縄石垣法律相談センター(全国4番目)の設置は、日弁連費用での設置を九州弁護士会連合会が働きかけたというものです。
2、新石垣空港の開港
石垣空港の新空港建設計画は、その後計画場所の変更(カラ岳陸上案)がなされ、2006年(平成18年)10月20日には起工式が行われ建設工事が始まり、2013年(平成25年)3月7日に新石垣空港が開港し、滑走路が旧石垣空港より500 m長い2,000 mとなったことで、ボーイング777-200・767-300・787-8クラスの中型ジェット旅客機も離着陸可能となり首都圏への直行便も運航可能になったということです。新石垣空港の愛称は「南ぬ島 石垣空港」(ぱいぬしま いしがきくうこう)であり、航空定期便が発着する空港では日本最南端に位置するとのことです。(ウィキペディア(Wikipedia)参照)
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その9
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第11章 殿ちゃまを一人にできない!
殿ちゃまと近ちゃまの九州国珍道中はいつも二人一緒というわけでもない。九弁連理事長という要職にある殿ちゃまだけが一人で旅をする場合もある。殿ちゃまの孤独な旅である。
殿「この前、ブロックサミットに一人で行ったけど、宮崎空港で搭乗手続きを済ませた後、12時50分出発と思ってゆっくり昼食をとって、のんびりとロビーまで行ったら、40分出発だったらしく、 ロビー案内嬢が“殿ちゃま様、殿ちゃま様はいらっしゃいませんか!”“殿ちゃま様はいらっしゃいませんか!”“殿ちゃま様、出発のお時間がきております!”と大声でロビー内を走り回って捜していたんだよ。飛行機の出発を遅らせてしまったよ。やぁ、近ちゃまのことは(第4章を参照)、笑えんなぁ。」
近「な、な、な~んと。飛行機の出発を遅らせたなんて!私は、そこまではしていませんよ。」
殿「君に話したら、それ見よとばかりに笑うだろうなぁ、とその時思ったよ。」
近「そりゃそうですよ。」
殿「やはり、君がおらんといかん。」
やはり、殿ちゃまを一人にしてはおけない、と近ちゃまは思った。
しかし、本来は慎重である殿ちゃまが、そそっかしい近ちゃまの性格に馴染んでしまい、近ちゃま的性格が伝染してしまったのだろうというのが、大方の見方であった。
殿ちゃま68歳、近ちゃま44歳の、もういい年の中年男子であった。
(法律解説)
1,おひとりさまを取り巻く「法的トラブル」
「おひとりさま」という言葉には、独身者の気楽な生活イメージがある反面、身の回りのすべてのことを自分一人でやらなくてはならないシングル生活、又は独居高齢者のイメージもありますが、「法律、制度、お金の三つの知識を強い味方にすれば、たったひとりでも老後は安心!」というスタンスで、「おひとりさまの法律とお金」という本を出している弁護士もおられます。 その本では、夫婦の一方が死亡、又は離婚したりして「おひとりさま」になった場合の法的トラブル、おひとりさまの労働契約の解雇や住宅退去のトラブル、おひとりさま高齢者の振り込め詐欺トラブルなど、多くの孤独な戦いをしなくてはならないための法律知識が助言、解説してあるようです。
(1)おひとりさまになる場合のトラブル
① 配偶者の死亡によって一人になる場合
この場合、法的には「相続(財産の分け方の問題)」や「祭祀承継(さいししょうけい)」(お墓やお骨の管理の問題)のトラブルが生じます。相続で多くトラブルが生じる場合が、第2順位相続の場合と第3順位相続の場合です。 この場合の法定相続人は、配偶者である自分と死亡した配偶者側の血族(父母・兄弟姉妹)であり、残されたひとりぼっち配偶者が他の血族相続人とうまく協議してもらえない状況に追い込まれ相続トラブルになります。 多勢に無勢の場合には、弁護士への早期相談又は家庭裁判所での遺産分割調停などの法的な手続きに則り正当な解決を図る勇気が必要になります。
② 配偶者との離婚によって一人になる場合
この場合、夫婦間において離婚協議がスムーズに行えれば問題は少ないのですが、その場合でも慰謝料の他に財産分与などのお金の問題でなかなか合意できないことが多いようです。離婚は結婚のときよりも何倍ものエネルギーが必要だと言われています。 夫婦で住宅ローンを利用してマンションを購入している場合に、「マンションは自分がもらい、ローンは浮気して離婚の原因となった相手方に払ってもらう」という希望が多く出ますが、浮気の慰謝料と財産分与としてのローン負担は全く別個の法律問題ですので、なかなかうまく協議になりませんし、 他方、「マンションは自分がもらうから、ローンも相手方名義であるが自分の方で払っていく」という場合でも、ローンの債務者名義を簡単に変えることができません(一度ローン残額全額を借り換えれば別ですが)ので、ローン名義だけが残る相手方がなかなか承諾してくれないという問題が生じます。
結局、ローンを返済するためにマンションを売却する方法しか残らず、離婚すれば、従来住んでいたマンションに一人で住むということはあきらめざるを得なくなります。
(2)高齢者社会と高齢者独居生活のトラブル
① わが国の高齢化率は、2019年9月時点で28.4%、4人に1人以上が65歳以上の高齢者となっており、また、少子化等も影響して日本の人口は今後も減少傾向にあることから、高齢者だけの世帯や高齢者の独居暮らしが多くなっています。
ある統計では、高齢者独居の世帯は、平成27年には240万1千世帯、全世帯数の5%程度に上ります。65歳以上の人口に占める割合をみると、男性の13.3%、女性の21.1%が一人暮らしをしているとのデータがあります。
② 独居高齢者の消費者被害による国民消費生活センターへの相談件数は年々増加しており(平成27年度には18万3千件の相談)、そのトラブルの内容については、高齢者宅に直接電話してサービス勧誘する「電話勧誘販売」、訪問してサービス販売する「訪問販売」、 インターネットサービスによる「インターネット通販」が多く、その極めつけが、電話での「オレオレ詐欺」や「振り込め詐欺」による被害であり、全国で総額何兆円もの被害が出ています。
③ 認知症高齢者の場合には、徘徊による近所間トラブル、財産管理懈怠又は財産紛失トラブルなどが介護者や介護施設又は近隣者、親族間で起きたりしています。 この点は、介護保険制度と同時に平成12年4月から開始された成年後見制度の利用を積極的に行ってもらう必要がありますが、同制度を利用せずに、親族又は知人の一人が事実上の介護や財産管理をしていることからトラブルになっています。
2,弁護士同士の関係について
(1)法曹界とは
裁判官、検察官、弁護士、法律学者、法務局・刑務所等の法務関係者の法務・司法など法律関係の仕事に携わる職業の業界関係を「法曹界」と言っています。特に、裁判官、検察官、弁護士を指すことがあり、「法曹三者」とも言われています。 平成28年度で裁判官2,755名、検察官1,930名、弁護士3万7,680名という4万人を超える業界になります。「法曹」という言葉は、もともとは「下級の監獄官吏」の意味で、それが転じて「法を司る官僚」という意味になり、裁判官と検察官を指す言葉として用いられたようです。
(2)弁護士の呼び方について
① 法曹三者で最も多いのが弁護士ですが、弁護士は、他の二者とは異なり公務員ではなく自営業者になります。そこで、弁護士は自分で法律事務所を経営するか、大きな法律事務所に雇用されるか、大きな会社の法務担当者として雇用されるか、国や地方公共団体の職員(期限付き)として採用されるか、という方法で弁護士業務を行うということになります。 もっとも、弁護士資格(法曹資格)を持ちながら、弁護士登録をせずに会社や地方自治体に一般職員として採用される方法もありますが、その場合には弁護士業務を行うことはできないし、行った場合は弁護士法違反となります。
② 法曹界内部の呼び方になりますが、弁護士業務の仕方のうち、最初から法律事務所を経営する場合を「即独弁護士」、雇用される場合を「居候弁護士(イソ弁)」、雇用されないが先輩事務所の一部屋に間借りして仕事をもらう場合を「軒下弁護士(ノキ弁)、企業等に雇用される場合を「組織内弁護士(インハウスローヤーの略で「インハウス」)などと呼んでいます。 一旦検察官となった後に弁護士になった場合を「辞め検弁護士(ヤメケン)」と呼んだりしていますが、他の業界では通用しない呼び方ですし、好意的な呼び方とも言えませんので、品位をモットーとする法曹界にあっては、徐々に呼び名としては消えていくのではないかと思います。
③ なお、殿ちゃまも即独弁護士であり、近ちゃまも最初から即独弁護士です。近ちゃまは、殿ちゃまの事務所の「イソ弁」だったという噂がありますが間違いです。 ただ、殿ちゃまは、近ちゃまが即独弁護士一年目から法律相談客や事件紹介をいただき、大きな案件での共同受任もさせていただきながら弁護士業務を基本から指導していただいた大恩人であります。
今、この文章を書いている令和の時代で、殿ちゃまは90歳の「卒寿」を迎えられ、近ちゃまも66歳の「緑々寿」を迎え、高齢者の部類に元気に突入しております(笑)。
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その8
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第10章 こんなに疲れる韓国旅行って、な~んだコリア(Korea)?
(お詫び:第8章「シーガイアであたふた、あたふた。(九弁連宮崎大会)」及び第9章 「僕は浮気防止役?(摩女梨花での夜)」は、私の勝手な都合により割愛させていただきます。)
1,平成の御代の10年目の6月は雨の多い梅雨であった。
九弁連では年1回の大きなイベントとして、海外視察交流旅行がある。その九弁連海外視察で、「今年は、ハワイか!」という近ちゃまの大きな期待に反し(?)、韓国のプサンとソウルの各弁護士会との交流及び研修を行うことが九弁連国際委員会で決定されちゃったのであり、事務次長の近ちゃまの権限なんて何一つもないみたい・・・・。 近ちゃまは、梅雨の雨空を見上げ、韓国も雨なのかなぁ、ハワイは晴れているだろうなぁ・・・と諦めが悪い。
韓国の英名は「Korea(コリア)」である。韓国は、日本と共通する箸と米食の文化を持ち、長い歴史的交流のある隣国であり、同じ民主主義国家としての経済面、政治面でも相互友好関係の国である。人々の交流が盛んとなり、裁判や弁護士の世界でもその法律家の交流が重要さが増しちょったから、いい研修旅行になるじゃろうと企画されたげな。
研修旅行先が決まり、九弁連理事長の殿ちゃまは旅行団団長、近ちゃまはその随行秘書役となった。
日向の国の宮崎県弁護士会においては、「宮崎の弁護士が誰も参加せず、殿ちゃま先生の団長一人だけで韓国に行かせるわけにはいかない!」という近ちゃまの悲痛な呼びかけに、松ちゃん(松岡茂行弁護士)、谷ちゃん(谷口悟弁護士)たちも交流旅行に参加してくれたげな。近ちゃまのこの言葉に、何かイメージしませんか?
そう、近ちゃまのこのときの言葉は、数年後にイギリスのロンドンで開かれた五大陸優秀選手運動大会(「ロンドンオリンピック」とも言う。)の際に、日向の国出身の水泳メダリストの松田丈志選手が、同競技の北島康介選手が個人種目メダル無しに終わると、「康介さんを手ぶらで帰すわけにはいかない!」と話して結束し、メドレーリレーで銀メダルを獲得したという歴史的な言葉の原点となったんじゃろなぁ。
実際に、韓国視察の準備を始めると、殿ちゃまは、団長としての会議等における挨拶が待っており、韓国との歴史的背景をもとに国際交流上の配慮事項を調査したり、近ちゃまは、団長挨拶にシーガイア九弁連宮崎大会へのご招待や韓国交流実績のある南郷村(現美郷町)「百済の里」の紹介の文言を入れるということで、それらの資料と挨拶文起案にバタバタ、あたふた。
そして、近ちゃまは、こんにちは=アンニョンハシムニカ、ありがとう=カムサムニダなど挨拶に使える韓国語は~何がいいかと考えながら、ハングル語の本を買って来ては、付け焼刃のハングル語の挨拶に挑戦してみたりし、とにかく自分の旅行準備よりも韓国での会議準備の方が大変だったのじゃ。
殿ちゃまは、韓国視察の出発直前にも、筑紫国福岡で日本法律家協会の会合に出席したり、福岡高等裁判所長官や福岡高等検察庁検事長が参加する九州法曹会議に九弁連理事長として参加したりと、筑紫国福岡に滞在し、日向の国宮崎には帰れぬまま韓国に出発するという強行スケジュールである。
2,いよいよ、韓国に到着する。
韓国は、銀行倒産等の大不況(IMF支援)の時期で、経済的にも街並みの雰囲気も活気が無い。空港に降り立つ前に飛行機の窓から見えた韓国は、赤茶けた山が印象的で、ほこりっぽい感じがする。気分的にはキムチの匂いがするような異国の雰囲気があり、旅行のワクワク感が十分に感じられたようじゃ。
ところで、韓国の赤茶けた山の風景は、韓国の日本軍占領下で日本軍が大量の樹木を伐採したからであるという説もあるが、韓国焼き物とオンドル暖房という伝統的文化のため大量の樹木が伐採され続けた結果だという説明のほうが正しいようである。
殿ちゃまは、韓国でもプサン-慶州-ソウルと移動する旅程の中で、団長としてそれぞれの都市に行くたびに大忙し・・・・近ちゃまの起案したハングル混じりの読みにくい原稿で挨拶をしたり、通訳を通じて言葉をかけながら韓国側のそれぞれの弁護士に握手をしたりと外交官並みの立ち振る舞いをしなくてはならない。 韓国側の弁護士は、韓国語で話をされるのだが、実は英語以外に日本語も話せる人が多い。日本側の弁護士は、韓国語がほとんど分からない。語学教育の差だろうか?
近ちゃまは、九州各県弁護士の皆さんに頼られたかどうかは別にして、旅行代理店の随行者みたいな役回りとなり、各訪問先の入場料や食事代の支払いなどの会計担当である。 参加者からの預り金の入ったリュックをいつもスーツの上に背負ったままアタフタと動きまわっていたげな。松ちゃんも谷ちゃんも、換金の計算に戸惑っている近ちゃまをテキパキと手伝ってあげてたげな。カムサムニダ~。
観光客のようにのんびりと飲み食いして楽しめる企画や予定もなく、ガイド付きの真面目な史跡観光の他は、韓国プサン弁護士会、韓国ソウル弁護士会での交流会、弁護士会館見学、国会見学、憲法裁判所見学、地方裁判所見学と、研修見学行事や意見交換会議ばかりで、観光旅行気分で参加していた松ちゃんと谷ちゃんは、だんだんと不機嫌(!)になり始める。
しかし、二人は、各自の自由時間も殿ちゃまと近ちゃまに合わせて一緒に行動してくりゃって、近ちゃまはありがたかったげな。カムサムニダ~。
近ちゃまの「殿ちゃまを一人にするわけにはいかん!」という松田丈志的な一言の下で、松ちゃんも谷ちゃんも自由行動を控えてくれたのである。
しかし、最後のソウルの最後の夜は、ちゃっかり殿ちゃまをホテルの部屋に置いたまま、三人でそ~っと抜け出してソウルの夜の街へ・・・(実際は、ソウルの飲み屋街の屋台で通りを歩いている韓国美人を眺めながら、大いに飲み食いしただけで終わってしまったが)。
韓国ならではの経験といえば、殿ちゃまと近ちゃまたち三人は、公式行事を終えた夕方の自由時間に「カジノ」に行ったことじゃねぇ。ホテルの中に外国人専用の「カジノ」が入っているのである。 殿ちゃまの「みんな、1万円ずつで終わっちょけよ。」という厳しいお達しに従い、1万円限定のカジノ遊び(ルーレットゲーム)じゃったげな。肝心な殿ちゃまは、すぐに1万円負けてさっさとホテルの部屋に戻ってしまった! 松ちゃんは、1万円で3時間も粘っていた。 流れをつかんだ人の懸けたところに自分も懸けるというせこい勝負方法ではあったが、流れをつかんだ人が誰かを見極められるというのはすごい才能であると感心した次第である。 近ちゃまも1万円を限度にカジノゲームをしたが、殿ちゃまの次に早く負け、松ちゃんのカジノの風を読む風情を3時間も眺めておりゃったらしい。谷ちゃんは、最後のスロットルで「中当たり」程度のコインをジャラジャラと出していて損はしなかったようであった。強運の谷ちゃんである。
3,九弁連韓国視察の帰路は、ソウループサンー福岡-宮崎へと一日をかけての飛行移動である。
問題が発生したのは、入国後の最後の旅程の福岡空港でのことである。福岡発-宮崎行の飛行便の案内でがっくり。福岡に着き、更には結構長い入国手続きでも疲れ果てていたのであるが、「宮崎は天候不良!」との情報が飛び込む。詳細に情報を確認すると、午後4時発の福岡-宮崎便は飛ぶ、次の午後5時発の便は飛ぶか飛ばないか検討中とのこと。 殿ちゃまは、松ちゃん、谷ちゃんや他の参加者と一緒の4時の便、近ちゃま一人だけが5時の便である。何の手違いだったんじゃろかい?
殿ちゃまは「じゃ、先に帰るからね。」と冷たいお言葉を残し、他の参加者と一緒に4時の便に搭乗して行きゃった。・・・ 残された近ちゃまは、天候回復を祈りながら、人の少なくなった福岡空港で一人疲れ果てて待つのであった。
ところが、空港場内案内で「宮崎行き4時発の便は天候不良のため、折り返しになりました。5時発の便も欠航となります。」とアナウンス。近ちゃまは自分の便の欠航の残念さよりも、前の便が戻ってくるということに大喜び!
「みんなも帰って来る!」
と元気な気持ちになっていた。
近ちゃまは、福岡空港の到着ロビーで殿ちゃまたちが重い荷物を抱えて出てくるのをニコニコ顔で「お帰りなさい。」と出迎えてあげた。 心の中で、「万歳、万歳」と近ちゃまは叫んでいたが、みんな宮崎上空で40分も旋回飛行に揺られていたらしく、憮然として、かつ、疲労困ぱいの表情・・・今回の韓国視察は、最後まで疲れに疲れる旅行であったという結末を象徴するトラブルであった。
谷ちゃんは、「もう頭にきた!今日は博多に泊まる!」と言ってぷりぷり怒って福岡空港から出て行き、博多の街へ消えて行きゃった。 他には、ゴルフバッグを抱えて次の便で無理に飛んで行って鹿児島空港に向かわされ(着陸地変更)、鹿児島から更に高速バスで帰らされたという参加者もおりゃった。
殿ちゃまと近ちゃまは、最後に、夕食も取る暇もないまま、天神バスセンターへ急遽移動し、高速バス・フェニックス号の指定席を手に入れることができ、二人で宮崎までの帰路に着く。殿ちゃまは高速バスの席に深く沈むよう疲れて眠っておりゃった。暗い高速バスのガラス窓に映る殿ちゃまのその横顔には疲れが出ており、68歳の老いが覗いていた。 近ちゃまは、小さくつぶやいたげな。「殿ちゃま、本当にお疲れ様でした。」
宮崎到着は夜10時半、ソウルを出発して17時間の長旅の一日であった。
参加した日向の国の宮崎県弁護士会の全員がとてもとても疲れた、「なんだコリア?!」とダジャレでも通じないくらい疲れた初めての韓国旅行じゃったげな。ひんだれたねえ~。
ところで、韓国は、観光目的でゆっくりのんびり食べて飲んで楽しめる外国です。ご飯やみそ汁、魚料理を箸で食べるという日本式で通用する部分もあり、それに加えてチヂミ、トッポギ、おでん、なべ料理など韓国独特の料理も存分に味わえるようですし、気楽で楽しい外国旅行が経験できる良い国ですよ。
皆さん、韓国旅行は、最初から観光旅行を企画した方が絶対に楽しいと思います。「コリア(こりゃ)また、行こう!」ということになりますよ~。
(法律解説)
1,九弁連海外視察
九弁連には、20の連絡協議会(委員会)が設置されており、その中の国際委員会により毎年、韓国・台湾・ハワイ・シンガポール・オーストラリア等の海外弁護士会との交流を兼ねて海外視察旅行が企画されます。参加者は自費ですが事務所経費として認められるところにメリットがあります。 これは、現代の法律・裁判関係において国際的な枠組みでの対応(外国人との離婚、外国との契約トラブル等)が必要となったことに関して、外国弁護士会と交流を持ち、手続き対応、資料提供、相互研究をしていく必要が生じていることから、各単位会だけでなく、九弁連全体で活動しようという意図で行われてきているものです。 九弁連理事長が旅行団の団長となり訪問先の多くの弁護士たちの前で挨拶をします。当然、通訳が付いた会議になるのですが、渉外事務所で働く弁護士ならともかく、外国人と馴染みのない国内生活を送っている多くの弁護士にとっては、語学下手が多く、国際交流は、言葉が通じない点でとても重荷に感じます。
2,アジア通貨危機
(1)平成9年7月よりタイを中心に、インドネシア・韓国と広がったアジア各国の急激な通貨下落(減価)現象を「アジア通貨危機」と呼んでいます。 韓国では、起亜自動車の倒産を皮切りに、経済状態が悪化。国際通貨基金(IMF)の援助を要請する事態となり、現代グループなどに対して財閥解体が行われたりして「IMF危機」と呼ばれていました。
(2)その不況の冷めやらない平成10年に九弁連韓国視察を行ったのですが、韓国の街にも活気がなく、宴会も自粛ムードで静かな雰囲気で過ごしたという印象でした。
(3)この韓国IMF危機について、後日、金大中政権が開催した「IMF危機事態の責任」を問う国会聴聞会で、前政権担当者が、「日本系の金融機関が、日本国内の予想外の金融事情から短期債権の満期延長を拒否し、1997年11月~12月に急に70億ドルを回収していったのが金融危機をもたらした原因だ。」 との発言に対して、金大中政権は、「欧米系金融機関が資金を引き揚げたのに対し、日本系金融機関は、最後まで韓国金融機関への協調融資に応じていた。」と事実関係を明らかにし、日本の非難に終始した前政権を激しく非難して、日本を擁護したということがあるようです(「Wikipedia」による)。
(4)日本の通貨「円」と韓国の通貨「ウォン」は、1:10の価値比率となるようなので(1円が10ウォン)、韓国で買い物をする際に「10,000」という値札を見ると、一瞬“高いなあ”と思いますが、すぐに換算すると“あ!千円かあ。安いんだぁ。”と思い直しながら、買い物をしました。
その後、日本国内の何かの行事で賞金を渡すときに、「2万・・・・」という段階で一旦息を止めると、みんなが「うぉ~」とびっくりして、その後おもむろに「ウォン、を贈呈します。」と続けると、みんなが「な~んだ、2万ウォンかあ。2千円じゃが(笑)」となっていくウケ狙いで使わせてもらったことがあります。
3,カジノについて
我が国でも、2016年(平成28年)12月15日の衆議院本会議で「特定複合観光施設区域の整備の推進に関する法律」(IR推進法)が成立し、カジノの法制度化への道が開かれることになりました。 しかし、2020年(令和2年)1月6日、カジノを含む統合型リゾート(IR)事業をめぐり、現職の国会議員が収賄容疑で逮捕された汚職事件で、贈賄側とされる中国企業が国会議員5人に現金を配ったと供述するなど、政治的な利権も絡む問題が露見しています。
カジノ導入により、外国観光客の大量来日、カジノ税収入の増大とそれによる国家や自治体の財政健全化というメリットが挙げられますが、国民のギャンブル依存性の問題や治安の悪化、犯罪組織の関与等の大きな弊害も指摘されています。
そもそも、「カジノ」は、イタリアでの音楽、ダンスの集会所に起源をもち、19世紀後半からゲーム、賭博の場となったもので、賭け事を主とする遊興施設を意味しており、モナコ、マカオ、ラスベガスなどが有名ですが、イギリス、フランス、ドイツ、ボルトガル、ギリシャのヨーロッパ各国にもあるようです。
韓国では昭和50年頃にカジノが解禁され、現在では15箇所以上もあり、韓国の夜を盛り上げています。韓国のカジノは、外国籍で19歳以上の方であれば入場が認められており、韓国籍の方はカジノで遊べないことになっていましたが、平成12年以降は韓国人も利用できるカジノが認められています。
入場料は無料ですが、入場にはパスポートが必要となります。18歳未満の未成年者・幼児は付き添いの成人が同伴しても入場できないようです。
4,再度の韓国旅行(済州島での国際会議)
近ちゃまコト私は、この韓国視察後の十数年後にあたる平成23年9月23日~25日に再度、韓国を訪問しています。日韓の弁護士トップ層が合同会議を行う「日韓バーリーダース定期会議」へ日弁連理事としての参加でした。 場所は、韓国のハワイと称される「済州島(チェジュ島)でした。高級海浜リゾート地、テレビドラマの撮影地として美しい景色が人気の場所です。 会議後のパーティーの御馳走や「城山日出峰(ソンサンイルチュルボン、2007年にユネスコ世界自然遺産に登録された火山)」の朝焼けの風景、日の出撮影、強い風の中のミニ観光など、僅か3日間でしたが韓国の観光を満足しました。「コリア(こりゃ)また、行こう!」という気持ちになりました。
済州島の特徴を言い表すのに、「三麗」と「三多」、および「三無」という言葉があるそうです。
三麗とは、「美しい心」「素晴らしい自然」「美味しい果物」といった島民の心や景観の美しさ、特産物を意味します。
三多とは、「石と風と女の3つが多い」という意味。火山島であるため、火山の噴火により流出した火山岩が多く、台風が度々通過する上、季節風の吹く地域であるということです。
三無とは、「泥棒がいない」「乞食がいない」「外部からの(泥棒と乞食の)侵入を防ぐ門が無い(必要無い)」という意味だそうです。 かつての済州島は、厳しい自然環境を克服するため協同精神が発達しており、そのこともこの3つが無かった(あるいは必要とされなかった)とされてきた所以であると言われています。アジアの良い精神風土が育っているようでいいですよね。
以 上
恋愛か?わいせつか?(中学校の教師と生徒)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1,青少年育成保護条例(通称「淫行禁止条例」は、都道府県ごとに規定されており、その条例のほとんどが、基本的には「18才未満の者と淫らな性行為をすることを禁ずる」と定めています。 民法等の改正により成人年齢を20歳から18歳に下げても、この基準は変わらないだろうと言われていますが、そもそも、女性が16才で婚姻できる(民法第731条)にも関わらず、18歳以下の女性と性交渉を持ってはいけないという矛盾点は、なかなか説明しづらいものがあります。
矛盾点の解消としては、「淫行」の定義及び解釈で行なわれています。 「淫行」とは、簡単に言えば「性欲を満たすために青少年とセックスおよびそれに類した性行為を行うこと」とされ、恋愛感情を伴う婚姻目的の真剣交際は「淫行」にあたらないとの解釈です(昭和60年10月23日最高裁大法廷判決―福岡県青少年育成保護条例事件)。 ここで言う「真剣交際」とは、誘惑、威嚇など相手を困惑させる手段を伴わず、性欲を満たすためだけの性行為ではない場合を指すようです。
2,事例で考えてみましょう。 大学卒業後にアルバイトの塾講師を辞め、中学教師となる予定だったA男(以下「A男」という。)と15歳の女子中学生B子(以下「B子」という。)」の交際についての判例があります。 2人の交際は、A男が大学生時代に塾講師のアルバイト先の教室で、同塾に通っていた当時中学3年生のB子と平成27年2月頃に携帯電話のラインの交換を始めたことが契機となり、B子がA男に交際を申し出たことから始まっています。 これに対して、A男は2度交際を断りましたが、3度目(平成27年3月末)にはB子の想いが真剣なものであることを理解し交際を始めたようです。この時点において、A男は学習塾の「講師が生徒と連絡先を交換することは禁止する」との契約に違反していますが、大学卒業と同時に塾講師を辞める時期でもあったことから契約違反の認識は薄かったようです。 問題は、交際開始直後の平成27年4月からA男が公立中学校(B子の通った中学校とは別の中学校)の教員として採用されたことから、B子との交際をB子の保護者(両親)に報告したいと相談したところ、B子が「親は許してくれないし、理解を得ることはできない。」と拒否したこと、そして、B子から「休日の部活動(顧問)に行っている間にA男のアパートに赴いて昼食を作って一緒に食べたい。」と申し出られ、A男が合鍵を渡したこと、交際が発覚するまでの5か月間に10回程度アパートに出入りがあったということです。 アパートや外出先でのデート内容は後述のとおりです。 この交際が発覚(B子の母親が娘の携帯電話の着信履歴を確認し、A男との交際を知る)後、教育委員会が地方公務員法第29条第1項第1号(地公法第33条信用失墜行為、服務規定違反)及び第3号(全体の奉仕者たるにふさわしくない非行のあつた場合)の規定により「懲戒免職」とする処分を行ったが、A男は「懲戒免職処分になるほどの悪いことではないのではないか。」として、処分取消の訴訟を起こし、一審のさいたま地方裁判所(平成29年11月24日判決)は、A男の言い分(真剣な交際だった)を取り入れ処分を取消したのですが、二審の東京高等裁判所(平成30年9月20日判決確定)では、「本件交際は非違行為であり正当化することはできない。」として懲戒免職処分を有効としました。
交際内容 | 一審裁判所の評価 | 二審裁判所の評価 |
交際開始後の平成27年5月上旬に東京スカイツリーでデートし、キスをした。キス姿のプリクラも撮影した。 | 交際は女子中学生B子が積極的に望んだもので、将来を見据えて真剣に交際していたもの。 A男の性的欲求を満たすために行った非違行為とは認めらない。 青少年健全育成条例違反に問われていない。 |
B子は当時15歳の高校生で未成熟であり十分な判断能力があったとは言えず、また適齢期にも達していないことからB子の同意があっても正当化されるものではない。 キスや抱擁は、性的行為であり性的羞恥心の対象となるものでありわいせつ行為である。 |
7月 江の島・お台場でデートし、B子がA男の背後から抱きつき夜景を見たりし、その日はA男アパートに宿泊、一緒のベッドで就寝した(性行為やこれに準ずる行為はしていない)。 | アパートに宿泊することを許した点は、B子の保護者の監護権等を侵害し公務員としての信頼を得る立場の意識や責任感に欠ける。 アパートの宿泊は一度だけであり、キスや抱擁以上の性的行為には及んでいない。 |
B子は当時15歳の高校生で未成熟であり十分な判断能力があったとは言えず、また適齢期にも達していないことからB子の同意があっても正当化されるものではない。 外形的に見ると15歳の未熟なB子と性的関係を持ったものと受け取られかねないものであり、その程度としても深刻且つ重大であるというべきである。 |
アパートの合鍵を渡し、交際期間中にアパートで抱きしめキスをする行為(お互いに立ったままでのキス)を合計10回程度した。(午後6時にはB子を帰宅させていた) | 鍵を与えアパートへの自由な出入りを許したことは公務員としての信頼を得る立場の意識や責任感に欠ける。 キスの程度や体勢から、わいせつ性の程度は低い。 |
B子は当時15歳の高校生で未成熟であり十分な判断能力があったとは言えず、また適齢期にも達していないことからB子の同意があっても、正当化されるものではない。 キスや抱擁は、性的行為であり、性的羞恥心の対象となりわいせつ行為にあたる。 外形的に見ると15歳の未熟なB子と性的関係を持ったものと受け取られかねないものであり、その程度としても深刻且つ重大であるというべきである。 |
7月頃には相互に一生一緒に居たい旨伝え合った。交際発覚後もB子の保護者にはA男もB子も「互いに一生一緒にいるつもりで交際していたと述べた」。 | (そのまま認定) | B子は当時15歳の高校生で未成熟であり十分な判断能力があったとは言えず、また適齢期にも達していない状況において、A男はB子の保護者に一切話をしないまま非違行為に至っており、「将来を見据えて真剣に交際していた」と軽々しく評価できない。 |
B子の両親に発覚する8月末まで、B子の保護者への交際報告や許可を得ることをしなかった。 | B子の保護者の監護権等を侵害したことは公務員としての信頼を得る立場の意識や責任感に欠ける。 B子が保護者への報告を拒否したのでありA男の責任性は減弱される。また発覚後A男はB子の保護者に謝罪している。 B子の保護者の意向に応じてB子とは一切会っていない。 |
B子は当時15歳の高校生で未成熟であり十分な判断能力があったとは言えず、また適齢期にも達していないことから、交際中の非違行為を正当化することはできない。 謝罪したとしてもB子の保護者からの宥恕は受けていない。 |
交際全般への評価 | 自身の勤務先の生徒とほとんど年齢の変わらない婚姻適齢期にも達していない女子生徒を恋愛対象としたことが、保護者において「我が子の未成熟さに乗じて性的行為したと不信感を抱いてもやむを得ないものであり(教育の現場から退かせることをB子の保護者は希望している)、中学校の教職、公教育全体への信頼を損なう行為で、「職の信用を傷つけ、全体の奉仕者たるにふさわしくない非行」として懲戒事由に該当する。 ただし、結果としてB子の健全な育成が妨げられるような心身の傷を受けたものではなく、学校やB男への非難苦情も1件のみで他の生徒や学校・社会に与えた影響が重大であったとまでは言えず、処分選択につき、職を失う免職処分は重すぎるため違法である。 |
勤務先以外の中学校の生徒との交際でも自校の生徒と交際するのと同視すべきである。 B子は不祥事として両親や世間に知られ、A男が懲戒処分を受け責任を感じておりその心身に少なからず悪影響を与えている。中学校の生徒・学校や社会にも疑念や不安・不信を呼び起こしたことが想像できる。 本件処分において停職より重い処分である免職が選択されたことが不合理であるとは到底言えず、処分権者の裁量の範囲内の処分量定であり、適法である。 |
3,そもそも、恋愛による交際は何歳くらいから認められるのでしょうか。また、学校の先生は自分の生徒との恋愛や交際はなぜ許されないと考えられているのでしょうか。
有村架純主演のTBSのドラマ「中学聖日記」においても(この場合は、判例の事案と異なり女性が高校教師で男子生徒からの恋心を受けるかどうかに悩み尽くすというドラまであった)「愛は時に暴走する。人は時に間違う。だけど、決して勘違いしてはいけない。自分たち以外の誰かを傷つけてまで許される恋などないのだと。世の中には踏み越えてはならない法的なルールと心の掟があるのだ。」という良心的な結末(スキャンダラスな性的関係に発展しないままで新しく歩みだすという結末)で終わりました。 教育の関係は、先生が生徒を保護し育成していくものであり、生徒から何かを得たり生徒の未成熟さによる判断や想いに乗じたりすることは当然許されるものではありません。 生徒と恋愛するというのは、生徒の未成熟さによる判断や想いを利用することになり、教育者としてあるまじき行為です。周りの生徒やその保護者だけでなく同じ教員仲間たちからも非難の目を向けられることになります。
また、先生と生徒の恋愛がダメな一番の理由は、それが法に触れることだからです。 児童福祉法第34条第1項第6号「児童に淫行をさせる行為をしてはならない」に違反し、各都道府県で定める青少年健全育成条例の18歳未満の未成年者との淫行・性交類似行為禁止規定にも違反することになります。大人は18歳未満の子どもと恋愛関係になってはいけないことになっています。 普通の恋愛をすると、親しくなるうちにスキンシップや性的行為をするようになります。しかし、恋人同士の仲睦まじいキスやハグであっても、それが先生と生徒という関係である以上、「淫行」「性交類似行為」へと解釈され問題になってしまうのです。 児童福祉法は子どもを守るための法律なので、たとえ生徒から迫ったことだったとしても、処罰対象は先生のみです。先生は生徒との交際が判明した時点で法律違反を犯したとされるのです。そして懲戒免職という厳しい処分で仕事も失うことになります。
今回のA男とB子の恋愛の結末は、A男が教師職を失い、B子と会わないことを承諾して、二人それぞれの生活が始まっていますが、一審どおりにA男が失職しなかったとしてもその後もA男は学校の教師を続けていけたでしょうか。 ただ、教師を続け、B子が成人する時期に結婚まで至ったのであれば、元教え子と卒業後に結婚する例は多い(社会的に許されている)ようですから、教師生活を続けていけたのではないかと思ったりします。皆さんは、A男さんの人生を考えた場合、一審判決を支持しますか、二審判決を支持しますか?
以 上
お正月と法律(その⑥)~~お年玉~~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1,お年玉の由来
お年玉とは、お正月に子供たちに渡す小遣い銭・金員を言いますが、由来としては、子供たちに与えていた「餅」だったようです。そもそも一連のお正月行事というのは、新年の神様である「年神様」を家に迎え、もてなし・見送るための行事として伝えられてきています。 年神様は、新しい年の幸福や恵みとともに、私たちに魂を分けてくださるものと考えられてきました。鏡餅は、年神様の依り代であり、餅玉には年神様の「御魂」(みたま)が宿ります。この年神様の御魂が宿った餅玉が、その年の魂となる「年魂」です。 そして、年魂をあらわす餅玉を、家長が家族に「御年魂」「御年玉」として分け与えました。これがお年玉の由来のようです。この餅玉を食べるための料理が「お雑煮」で、餅を食べることで体に魂を取り込みます。お年玉の「玉」には「魂」という意味があるわけです。 江戸時代には、お餅だけではなく品物やお金を渡すこともあり、こうした年始の贈り物を「お年玉」と称するようになり、お年玉の風習は明治、大正、昭和と受け継がれ、昭和30年代後半の高度経済成長期ごろから都市部を中心にお金が主流となり、今やお年玉袋にお金を入れて子供たちに渡すのが「お年玉」という風習になっています。
2,お年玉は、法律的には、「金銭の贈与契約」
お正月に「お年玉」としてお金を子供たち渡すという行為は、法律的には「金銭の贈与契約」ということになります。贈与の場合、贈与税がかかるかどうかの問題があります。
(1)どのような贈与に贈与税がかかるのか?
贈与税は、その年の1月1日から12月31日までに贈与された財産の価額を合計し、その合計金額から基礎控除額110万円を差し引いた課税価格に対して、税率を乗じて計算します。 (相続税法第21条の5 贈与税の基礎控除として、「贈与税については、課税価格から60万円を控除する。」との定めになっていますが、租税特別措置法第70条の2の4 贈与税の基礎控除の特例として「平成13年1月1日以後に贈与により財産を取得した者に係る贈与税については、相続税法第21条の5の規定にかかわらず、課税価格から110万円を控除する。」と定められています。)
この場合の税率は、累進税率といって、基礎控除を行った後の課税価格に応じて定められており、金額が高くなるほど、税率が高くなる仕組みになっています。
贈与税の申告と納税は、贈与があった翌年の2月1日から3月15日までにすることになっています。
さて、一般的には、子供たちはいくらくらいのお年玉をもらうのでしょうね。合計110万円ももらう子供はいないでしょうね。合計何万円単位が常識の線でしょう。そのため、「お年玉には税金はかからない。」「申告する必要もない。」と覚えていていいのでしょうね。
(2)誰が払うの?
それでも、大金持ちの人たちは、成人した子供たちにも、お正月に、お年玉として110万円以上のお金を「高額福袋を買ったりして自由に使いなさい。」とあげる家庭もあるかも知れません(うらやましい限りですが・・)。そのような場合の贈与税は誰が払うのでしょうか?
相続税法第1条の4(贈与税の納税義務者)第1項により「 贈与により財産を取得した個人で当該財産を取得した時においてこの法律の施行地に住所を有するもの」すなわち、貰う側が納税義務を負うとされており、更に、相続税法第34条(連帯納付の義務)第4項により渡す側にも連帯納付義務を課しています。もらった子供かあげた親のどちらかが贈与税を払うことになります。
(3)複数の人から贈与を受けた場合と基礎控除110万円との関係は?
相続税法第21条の2で「贈与により財産を取得した者がその年中における贈与による財産の取得について第1条の4第1項第1号又は第2号の規定に該当する者である場合においては、その者については、その年中において贈与により取得した財産の価額の合計額をもつて、贈与税の課税価格とする。」と定めていますので、贈与税は、その人が一年間に贈与された財産の総額に対してかかるという点です。 贈った回数、贈った人ごとに基礎控除の枠が別々に設けられるわけではありません。従って、例えば、父から控除額限度内として100万円を贈与されたが、更に同一年内に祖父からも100万円の贈与を受けた場合には、取得した側としては、合計200万円の贈与を受けた結果になりますので、110万円を超える贈与となり、贈与税がかかります。
3,お年玉と贈与税
(1)お正月に複数の人からお年玉をもらい、合計で120万円となった場合
例えば、田舎に親戚が多く、何十人という親族から数千円ずつもらったお年玉が110万円を超えた場合にはどうなるでしょうか?
「お年玉」は「個人から受ける香典、年末年始の贈答・祝物などのための金品で社会通念上相当と認められるもの(相続税法第21条の3-9 昭50直資2-257改正、平15課資2-1改正)」になるのであれば、結果として110万円を超えても「非課税」となると思われます。
(2)少数の人から高額お年玉をもらった場合
例えば、お年玉として父から100万円、祖父から100万円をもらった場合はどうでしょうか?
相続税法第21条の3第1項第2号において「扶養義務者相互間において生活費又は教育費に充てるためにした贈与により取得した財産のうちの通常必要と認められるもの」は、非課税となると規定してありますが、お年玉の額としては100万円ずつというのはそれぞれ高額であり、社会通念上相当と認めにくい額をもらっていることになりますので、贈与税課税のリスクが生じます。 しかし、世の中には経済的格差というものもあり、被扶養者の需要と扶養者の資力その他一切の事情を勘案して社会通念上適当と認められるか否かが判断されますので、高額所得者層の「お年玉」としては相当と認められる場合もあるのかも知れませんが、高額所得者層をそこまで優遇する必要はないでしょうねぇ。
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その7
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第7章 沖縄のステーキは大きいなあ(おっきなわ)!
昔、「北海道はでっかいどう!」というテレビコマーシャルがあった。それと反対の南にある沖縄でも「沖縄は大きいなあ(おっきなわあ)!」という体験をした。
殿ちゃまと近ちゃまは、琉球国沖縄にも2回ほど旅に出ている。琉球国沖縄は、日向の国宮崎に比べ観光客がたくさん訪れており活気のある雰囲気に満ちていた。空も抜けるような青さ、海もきれいなマリンブルーが遠くまで広がり、そこに住む人々の情も温かい。
平成の時代になってようやく復元し終えた朱の漆で彩られた“首里城”・・・琉球王国の歴史的遺産であるが、殿ちゃまと近ちゃまは、その首里城観光も行ってきている。
令和の時代に一夜にして火災で焼失するという出来事が待っているということなど知らない、修学旅行生やハネムーンの新婚さん等でにぎわっていた時代のことである。
殿ちゃまと近ちゃまは、沖縄弁護士会での弁護士会会務を終えて、那覇空港から日向の国まで帰る夕方の飛行機まで時間がある。観光客であふれる国際通りをぶらぶら歩いており、殿ちゃまの提案で昼食を国際通りのど真ん中にある「牧志公設市場」でしようということになった。牧志公設市場へ行くと、一階の市場フロアには、肉・海鮮類が豊富に並ぶ。 近ちゃまは殿ちゃまにブタの顔の皮丸ごと(チラガー・面の皮の意味)、ブタの耳(ミミガー)、豚足(アシテビチ)を、「これ珍しいですよね。これいいですね」などと声をかけて、殿ちゃまに買わせようとするが、殿ちゃまは買おうとしない。
“殿ちゃま先生は「ゲテモノ」(安くて美味しい食べ物)はお嫌いか…?!”
貝類も多いが、人の顔より大きな夜光貝には驚きしかない。魚はアオブダイというマリンブルー色の魚が中心で、他にも熱帯魚みたいな赤、青、黄色の色とりどりのものが並んでいる。 さすがの近ちゃまも故郷である南郷(目井津)のカツオやマグロを食べて育ったので、正当派魚通(さかなつう)としては、なかなか食べようという気になれない。
殿ちゃまが言う、
殿「一階で牛ステーキ肉を買って、二階で調理してもらってステーキを食おう!」
近「そんなことができるんですか?」
殿「できる!そうしよう!わしに任せとけって。」
殿ちゃまは、誠実そうな若夫婦のやっている肉屋を選んで、
「一番高い肉をステーキ二枚分切ってちょうだい。」
と頼んで、厚さも「もっと厚く厚く。」「そこの脂肪は切り落として」と細かい指示をしている。
とてつもなく大きなステーキ肉となってしまった。
それを若夫婦が二階の食堂に持ち込んでくれて、一枚500円の料理手間賃で豪華なステーキ料理にしてくれた。野菜もポテトもつけてくれた。焼いても、やはりとてつもなくでっかいステーキである。 運ばれてきたときに、「沖縄のステーキは大きなわあ!」と近ちゃまがダジャレを言ったのだが、殿ちゃはスルーした。
殿ちゃま、近ちゃまは、ほふほふ、ムシャムシャと食べ始めるがなかなか食べ終わらない。
殿「おい。帰りの飛行機の時間がないぞ。」
近「まだ、一切れ分。もう入りませんね。食べ残して行くしかないですねえ。」
殿「ちょっと、大きすぎたか。あっはっは。」
近「私、こんな・・(モグモグ)でっかいステーキ・・・(ムシャムシャ)・・・初めてですよ。沖縄のステーキは大きなわあ!」
殿「・・・・。行くぞ。」
帰りは、タクシーの運ちゃんが裏道ばかりを走ってくれて、沖縄ラッシュにかからずに飛行機の時間に滑り込みセーフで間に合わせてくれた。
近ちゃまは、飛行機に乗った途端、“あ~ぁ!”とため息をついた。食べ残したステーキの一切れに未練が残っていた。
そのとき、殿ちゃま曰く、
殿「おい。残したステーキ肉に未練を残すなよ。」
近ちゃまは、思った。・・・・・・“なんでわかるんだろ?”と。
(法律解説)
1,世界遺産と“首里城”
(1)近ちゃまは、沖縄には、九弁連会務以外に個人的に沖縄返還直後の大学生時代に父親の戦友探し(沖縄本部町や伊江島等を訪問)や、裁判所書記官時代の出張、弁護士になってからの事務所旅行、家族旅行、長男央国・彩夫婦の結婚式などで訪問しています。 首里城にも復元されている時期に数回訪れています。2000年(平成12年)12月、「琉球王国のグスク及び関連遺産群」として世界遺産に登録された。(登録は「首里城跡(石垣など)」であり、復元された建物や城壁は世界遺産に含まれていない)。 守礼の門を絵柄にした「2000円札」も発行され、私も1枚大切に所持しています。
2019年(令和元年)10月31日未明に火災が発生、正殿と北殿、南殿が全焼したことは、テレビニュースの火災映像が日本全国民の目に焼き付いて記憶されていくことだろうと思います。首里城歴史での5度目の焼失らしいのですが、何度でも復元への道を歩み始めていくしかありませんね。
(2)世界遺産の登録手続きについて(Wikipediaを参照)
国際連合教育科学文化機関(United Nations Educational,Scientific and Cultural Organization:ユネスコ)の世界遺産の登録決定は次の手順で行われます。
1.各国政府は暫定リストの中から条件の整った物件をユネスコ世界遺産センターに推薦(自薦)
推薦は2019年推薦分から1国あたり1年につき1件まで
2.推薦物件につき、ユネスコの諮問機関が現地調査
3.文化遺産については ICOMOS(国際記念物遺跡会議)、自然遺産についてはIUCN (国際自然保護連合)に依頼
4.諮問機関は現地調査に基づき評価結果を勧告する(勧告は「記載」「情報照会」「記載延期」「不記載」の4段階)
5.ユネスコ世界遺産委員会(年1回開催)で、諮問機関の勧告を基に審議し、記載(登録)の可否を決定
また、世界遺産登録の前提条件として、
①国が世界遺産条約を締結していること。
②登録をめざす物件は「土地や土地と一体になった物件(不動産)」であること。
③登録をめざす物件は国の法律で確実に保護されていること。
例えば日本の場合には、文化遺産は文化財保護法によって国宝、重要文化財、史跡、名勝、重要文化的景観などに指定されていること。自然遺産は自然環境保全法によって国立公園や都道府県が指定する自然環境保全地区などに含まれていることが必要になります。
2,食材持ち込みの食堂での飲食と契約の種類
沖縄の公設市場である牧志市場二階の食堂街で行なっている「食材持ち込みの食事」(料理代金500円)の契約は何の契約と言えばいいのでしょうか。普通の食堂の場合には、メニュー食品提供契約であるが、食材持ち込みの場合には店の品物を提供するわけでもなく、調理という労力を手持ちの調味料を負担して提供しているだけであるので、調理という業務委託契約か調理請負契約とでもいうべきものでしょうか。 普通の食堂では料理品という物を有償で提供するので「物の売買契約」に近い契約ですが、食材持ち込みの場合には、「物」はこちらの所有物なので、物の売買契約という側面はなく、物を加工する労力を提供してくれている「雇用契約又は請負契約」に近い契約ということになります。そうすると、食材持ち込みの場合の調理代金500円は、料理人の手間賃ということになり、物を売った代金ではないため、仮にそもそも持ち込んだ食材が傷んでいてお腹を壊したという場合には、お店は傷んだものを売ったわけではないので、その責任を取る必要はないことになります。 ただし、料理器具等にばい菌が付着していてそれが調理の過程で食材に感染した結果の食中毒であれば、調理方法に問題があったことになりますので、その場合にはお店に責任を取る義務が生じます。
(なお、通常の食堂での料理提供契約の場合には、食材の傷みであろうが調理過程でのばい菌感染であろうが、食中毒の責任を全面的に負うことになります。)
3,沖縄の公設市場(牧志市場)について
沖縄の公設市場(牧志市場)は、令和元年6月から建替え工事が始まり、令和4年4月からの新市場開場予定で、その間は、仮設市場での営業になるようです。
【市場閉場、移転・仮施設準備期間】
2019年6月17日(月)~2019年6月30日(日)
【仮設市場開業期間】
2019年7月1日(月)~2022年3月31日(木)
沖縄那覇市の中心街である国際通りに隣接する公設市場(牧志市場)は、戦後のヤミ市から続いており、市場内は新鮮で色鮮やかな魚や、豚の足(テビチ)、バラ肉(三枚肉)、豚の顔の皮(チラガー)まで売られています。 その他ゴーヤーや島らっきょ、ヘチマなど沖縄の食文化に欠かせない食材がずらりと売られています。二階には数店舗の食堂があり、市場で買った食材を有料で調理してくれますし、新鮮な食材で作った沖縄料理を食べることもできますので、殿ちゃまと近ちゃまは、この方法で「でっかい沖縄ステーキ」を食べさせていただいたわけです。
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その6
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第6章 菊池“温泉”じゃなかったの?
肥後熊本の旅(熊本県弁護士会訪問の旅)は、殿ちゃまの超高級車トヨタクラウン・マジェスタで行くことになった。カーナビ付きである(平成4年にトヨタ車にカーナビが搭載され始めたばかりである)。 運転は当然近ちゃまの役目と思いきや「お前は運転が下手みたいだ。高速道路以外の難しい通常の道は自分で運転する。」と殿ちゃまが一言。
出発一週間前、殿ちゃまいわく、
「今度の熊本は車で行くから、会務が終わったら菊池へ回ってゆっくりしようかねえ。」
近ちゃまは、“菊池”“ゆっくりする”この二言で「やったーぁ!菊池温泉だ。」と、ニンマリして「いいですねえ!」と返事をした。
出発当日、殿ちゃまの超高級車に乗ったとき、近ちゃまは、ふと、車の後部座席に“帽子”と“ウォーキングシューズ”が載せてあるのが目に留まったが、「休みの日にどこかの運動公園まで行かれて、ウォーキングコースでも歩かれたのかなぁ。」と思った程度で、別段気に留めることもなかった。
肥後熊本での会務を終え、高級ホテルにて食事を終えて就寝する際、
殿ちゃまいわく、
殿「明日は朝4時起床で、菊池渓谷に写真撮りに行くぞ!」
近「え?菊池渓谷?菊池・温・泉・じゃ・な・か・っ・た・ん・ですね。」
殿「早朝の菊池渓谷はいいぞ~!朝陽が木々の間からパァーッと差し込んでねぇ~。」
近「はい~?!」
翌朝、早い目覚めの移ろいの中で、薄暗い山道を殿ちゃまの運転で超高級車が進んでいく。
菊池渓谷入り口に到着するや否や、殿ちゃまは、撮影用チョッキを着て、ウォーキングシューズに履き替えて、帽子を被って、完全なイデタチ。
近ちゃまは、背広スーツの上着だけを脱いで白のビジネスワイシャツにビジネス革靴のままである。
殿ちゃまの超高級車の後ろのトランクを開けてみると、そこにはカメラ機材がびっしり!
近ちゃまは、殿ちゃまのカメラ三脚を運ぶ役である。渓谷の山道をとぼとぼと運ぶには運んでいたが、運び慣れていないのと生来貧乏だがおぼっちゃま育ちのためすぐ肩が痛くなり、それを見るに見かねた殿ちゃまが、カメラ三脚と弁当の入った袋とを交換してくれる。 「殿ちゃまって、やさしい!」と思いながら、弁当の入った袋だけを大事に持って菊池渓谷を歩く近ちゃまでありました。
菊池渓谷の奥に入って、清々しい朝の光を浴びたせせらぎの中で、写真の光の取り方、自然の色・陰影の見方を近ちゃまは初めて教わり、殿ちゃんのカメラでシャッターも切らせてもらった。半日をかけての写真の勉強であった。
持参したお弁当は、大自然の中で食べるわけだから、美味しかったなあ。
しかし!近ちゃまは、最後まで思っていた!
~~「“菊池でゆっくり”というのは、なんで菊池温泉じゃないんだあー!」と。
(法律解説)
1,旅行契約と行先の間違い(意思表示の錯誤)
実際にはあまりないのでしょうが、旅行会社と個別的に「菊池温泉宿泊1泊旅行」契約をしたところ、実際に企画された旅行先が「菊池渓谷日帰り旅行」だった場合に、そもそも「菊池渓谷日帰り旅行」に行かなければならないことになるのでしょうか?
(1)この殿ちゃまと近ちゃまとの「菊池」への旅行の約束においても、「菊池」という言葉に対して、殿ちゃまは「菊池渓谷写真撮影の旅」の意味で言われている一方で、近ちゃまは「菊池温泉一泊ごちそうの旅」の意味で理解しており、二人の解釈の食い違いが生じています。
このように、表現した言葉と思っていた言葉の意味が違う場合を、法律上は「錯誤」(さくご)と言います。
(2)契約などの法律行為を有効とするか無効とするかを定める民法では、人が契約しようとする意思(真意)に基づいて法律の効果を認めようとしています。 これを「意思主義」と言います。逆に、契約しようとして言った言葉に基づいて法律の効果を認めようとすることを「表示主義」と言います。
意思主義の下では、例えば、殿ちゃま側で言いますと、“菊池渓谷に行って写真を撮ろう。近ちゃまに菊池渓谷に行こうと言おう”という内部意思(真意)があり、その真意どおりに言葉にしようという表示意思もあって「菊池へ回ってゆっくりしようか」と表示されて、菊池渓谷へ行くことになったので、殿ちゃま側には、何の錯誤も生じていません。
それに対して、近ちゃま側は、まず、内心の意思を決める動機としては、“菊池温泉でゆっくりできて豪華料理を食べられるのだなあ。”という内容になります。 そして内心の意思としては、その動機に基づき“行きたいなあ。”と思って、“行きたい”と言おうという表示意思もあって、「いいですねえ。」と同意しています。 その結果、実際には、“菊池温泉で豪華食事だ”という動機とは異なり、“菊池渓谷に行く”という別な結果になっていますので、本当の意思とは違う結果になっており「錯誤」が生じています。しかもその錯誤は「動機」と「表示した結果」との間で生じています。これを「動機の錯誤」と言います。
(3)現民法第95条では「意思表示は、法律行為の要素に錯誤があったときは、無効とする。 ただし、表意者に重大な過失があったときは、表意者は、自らその無効を主張することができない。」と定めていて、錯誤の意思表示は無効となるとしています。
改正民法(2020年施行)第95条では
1 意思表示は、次に掲げる錯誤に基づくものであって、その錯誤が法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるときは、取り消すことができる。
一 意思表示に対応する意思を欠く錯誤
二 表意者が法律行為の基礎とした事情についてのその認識が真実に反する錯誤
2 前項第二号の規定による意思表示の取消しは、その事情が法律行為の基礎とされていることが表示されていたときに限り、することができる。
3 錯誤が表意者の重大な過失によるものであった場合には、次に掲げる場合を除き、第一項の規定による意思表示の取消しをすることができない。
一 相手方が表意者に錯誤があることを知り、又は重大な過失によって知らなかったとき。
二 相手方が表意者と同一の錯誤に陥っていたとき。
4 第一項の規定による意思表示の取消しは、善意でかつ過失がない第三者に対抗することができない。
と定めています。
ところで、意思主義の下でも、なぜそのような意思表示をしたのか?という部分の「動機」は、契約上は取り上げられません。例えば、リンゴを売ってくださいと果物屋さんに申し出た人に、果物屋さんは「なぜ買うのですか?」という動機は問いません。 動機には「そのリンゴが美味しそうだから」とか「子供に食べさせたいから」とか「スケッチの題材にしたいから」とか人様々な動機があり、それをいちいち確認しないと売れないというと、すごく取引が煩雑になってしまうからです。 ですから、「美味しいだろう」と思って買ったら「美味しくなかった」という錯誤を理由にリンゴの売買契約を無効にすることはできません。現民法の規定では「動機の錯誤」の取り扱いは明記されていませんでしたが、改正民法では、上述のとおり改正民法第95条第1項第二号により動機の錯誤が明記され「法律行為の目的及び取引上の社会通念に照らして重要なものであるとき」取り消され無効となることが認められています。
なお、現民法下でも解釈上「動機の錯誤は、その動機が表示された限りで意思表示の要素の錯誤となり無効とすることができる」とされていましたので、全く動機の錯誤を取り上げないというわけではありませんでした。
(4)そこで、近ちゃまは、殿ちゃまが「菊池に回ろうか」と言われたときに、近ちゃまが心の中で思ったまま、言葉に出して「菊池温泉ですね。豪華料理を食べるんですね。」と言っておけば、動機の錯誤を主張して、無効だから「菊池渓谷には行かない。」と言えたのですが、菊池温泉と豪華料理の話は一言も言葉に表示していませんので、近ちゃまの同意は、法律上の錯誤とはならず有効なものとなり、菊池渓谷へお供しないといけないことになる次第です。
2,弁当に関する契約は?
菊池渓谷で食べた美味しいお弁当は、殿ちゃまに買っていただきました。弁当の「贈与契約」が有効に成立した次第です。でも、「勤労の対価」としての弁当であったのであれば、無償の贈与契約ではなく、雇用契約や委任契約が有効に成立したということにもなります。
以 上
犯罪被害者の実名報道について(実名報道反対の立場から)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(冒頭)今月は、シリーズ連載を中断して、喫緊の時事問題を取り上げさせていただきます。
皆さんもまた地方自治体の公務員の方々も考えてもらえないでしょうか。
京都市伏見区のアニメ制作会社「京都アニメーション」放火殺人事件(令和元年7月18日発生)で社員など35名が亡くなった被害者遺族に関する京都府警の記者発表とマスコミ報道について、法的な観点から問題点を検討してみたいと思います。
1,京都府警は、事件後40日を過ぎる令和元年8月27日に、身元が公表されていなかった死亡被害者のうちの25名の実名を公表し、新聞テレビのマスコミは一斉にその被害者または遺族についての「実名報道」をしているようです。 宮崎の地方紙でも過去の取材写真を使用して死亡した被害者の写真を載せて「被害者の実名報道」をしていました。
京都府警によると、今回公表された25名のうち20人のご遺族が実名公表に難色を示したり、拒否したにも関わらず「事件の重大性に加え、社会的関心が非常に高く、公益性があるため公表した方がいいと判断した」との理由で公表しています。 宮崎の地方紙は、被害者実名報道に関する「おことわり」として「事件・事故の被害者については、その現実を的確に伝え社会全体の教訓とするため原則実名で報じており・・・事件を風化させないためにも多くのファンを持つ作品に関与した一人一人を実名で報じる必要があると判断しました。 社会的影響が大きい重大事件であることも考慮しました。」と併記してありました。
2,平成28年4月1日から「犯罪被害者等基本法」が施行されています。この法律の立法趣旨として「犯罪等を抑止し、安全で安心して暮らせる社会の実現を図る責務を有する我々もまた、犯罪被害者等の声に耳を傾けなければならない。 国民の誰もが犯罪被害者等となる可能性が高まっている今こそ、犯罪被害者等の視点に立った施策を講じ、その権利利益の保護が図られる社会の実現に向けた新たな一歩を踏み出さなければならない。」と冒頭附則で定められています。 同法第5条では「(地方公共団体の責務)地方公共団体は、基本理念にのっとり、犯罪被害者等の支援等に関し、国との適切な役割分担を踏まえて、その地方公共団体の地域の状況に応じた施策を策定し、及び実施する責務を有する。」と定め、 同法第6条では「(国民の責務)国民は、犯罪被害者等の名誉又は生活の平穏を害することのないよう十分配慮するとともに、国及び地方公共団体が実施する犯罪被害者等のための施策に協力するよう努めなければならない。」と定められており、 各地方自治体には被害者支援施策の実施義務があり、マスコミ各社は国民の一人として「犯罪被害者等の名誉又は生活の平穏を害することのないように行動する義務」があるとされています。
犯罪被害者が、法律制度の中で一人間として人権保障されるようになり始めたのは、ここ十数年のことです。それまでの犯罪被害者やご遺族は、日本の社会の中で何ら声も出せないまま、その機会も手段も与えられないゆえ、刑事裁判では証拠として扱われ、報道の世界からは、社会への警鐘のために勝手に報道される対象に過ぎませんでした。 そのことは、同法の冒頭附則の「近年、様々な犯罪等が跡を絶たず、それらに巻き込まれた犯罪被害者等の多くは、これまでその権利が尊重されてきたとは言い難いばかりか、十分な支援を受けられず、社会において孤立することを余儀なくされてきた。さらに、犯罪等による直接的な被害にとどまらず、その後も副次的な被害に苦しめられることも少なくなかった。」と表現されています。
3,私は、このコーナーで「犯罪被害者と犯罪報道①②③」を寄稿していますが、その中で、『犯罪被害者の人権保護は、国家がその人権保障・手続保障・制度保障をしていないという意味で、昨今、新しく問題とされた人権問題であり、犯罪被害者に関しては、マスコミも放置し、あるいは逆に報道被害を与え続けてきた分野であります。 (ちなみに、犯罪被害者によるアンケート結果では、犯罪被害者の実名報道の禁止についての意見としては、まず、マスコミでの犯罪被害者の実名報道に何らかの問題があると考えている人は68.8%の多数である。) また、犯罪被害者の人権を考える場合、犯罪被害者は犯罪被害後も、その「地域」で生きていくという事実の直視が重要であります。マスコミ報道による「地域での影響」「地域からの被害者への目」「地域での被害者の立場・環境」を考えれば、「被害者実名報道」はほとんど意味を持たないだろうと思われます。 なぜなら、現在のマスコミの犯罪被害者実名報道の意義は、地域において被害者だと知らなかった人に「この人が被害者だ」と教えるだけの「被害者実名報道」なのであり、地域での弊害を増やすだけのことしかできておらず、そこに、報道としての高貴な配慮・真実を伝えるという高貴な職業性は全くないことになっています。 市民側に立った「個々の市民の権利」を保障できる社会的存在としてのマスコミ・報道機関の役割からすれば、犯罪被害者の報道に関しては、「匿名」報道の原則が導き出されるだろうと考えます。犯罪被害者が「被害者実名報道」を望んでいない場合に、「犯罪被害者の実名報道」をする必要性と価値がどこにあるのか?・・・・考えてみてください。 「犯罪被害者の実名報道」の問題は、新しい人権問題として、犯罪被害者救済・犯罪被害者支援という新しい視点をもって、マスコミ報道各社全体で考えて改変していくことが必要な問題なのです。』『被害者報道は、警察の実名発表、報道機関は匿名報道であるべきである。』と指摘させていただきました。
また、神奈川県弁護士会は、平成29年11月17日に『(神奈川県座間市9名殺人事件に関して)警察が報道機関に被害者氏名等を発表する際、ご遺族が顔写真の公表や実名報道をやめてほしいと申し入れていても、未だにそのような報道は行われている状況です。報道する側にも理由があるのでしょう。 犠牲者の痛みを共有するためとか、社会全体で事件について考えるために、実名であることが必要だと言う方もいます。私たちとしても、「報道の自由」や「取材の自由」の重要性を否定しているわけではありません。 しかし、そこには、犯罪被害者、遺族のプライバシーがなぜ暴力的に奪われるのか、なぜ本人や遺族の同意なしに生活状況を書き立てられ、勝手に写真を使われるのか、なぜ自宅を報道陣に囲まれて帰宅できないような生活を強いられるのかについての答えはありません。プライバシーの権利とは、自分についての情報を適切にコントロールする権利と理解されています。 「知られたくないことは知られない権利」「放っておかれる権利」ともいえます。犯罪被害者には、遺族には、プライバシーはないのですか。報道の正義のために、社会全体の理解のために、犯罪被害者、遺族のプライバシーが損なわれることが許されるのでしょうか。』という弁護士会会長談話を出しています。
4,今回の京都アニメーション放火殺人事件の被害者実名報道の理由も「社会的影響が大きい重大事件であるから」「事件を風化させてはいけないから」という理由ですが、そのことで、なぜ「報道されたくない」という被害者やご遺族のプライバシーの権利や心理的負担という犠牲が強いられてよいのか、それについての法的根拠は何ら示されていません。 このように、犯罪被害者やそのご遺族に関する実名報道と取材行為が全国的に旧態依然に行なわれている報道の視点は犯罪被害者支援・被害者の人権保障という新しい視点は学び取れていないように思います。
犯罪被害者等基本法の根本理念は「犯罪被害者等の権利利益の保護が図られる社会の実現」(冒頭附則)」なのです。この基本理念からすると、犯罪被害者等から「実名報道されてもよい」という同意を得られない以上は、マスコミは匿名報道をすべきなのです。
マスコミは警察機関のように権力機関ではありません。国民側に寄り添う「国民」の一人です。国民の一人としてマスコミ機関が「犯罪被害者等の名誉又は生活の平穏を害することのないよう十分配慮するとともに、国及び地方公共団体が実施する犯罪被害者等のための施策に協力するよう努めなければならない。」(基本法第6条)と定められてことを厳守されるように要望する次第です。
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その5
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第5章 汽車の旅でのコーヒー事件
1,グリーン指定席事件
陸の孤島日向の国から豊後の国大分に行くには、飛行路線はない。電気で走る列車で行くことになる。まだまだ映画『バック・トゥ・ザ・フューチャー』(Back to the Future)のタイムマシン列車や銀河鉄道のように宇宙を走る列車999(スリーナイン)のように、列車が空を飛ぶ時代でもなかった。 更に昔は石炭で走る蒸気機関車(汽車)というものや重油で走るディーゼル機関車で陸上の鉄の線路を走る形式で豊後の国に行っていた。 日本国有鉄道と呼ばれていた時代(平成の御代の前の昭和時代)もあったが、この頃は、分割民営化により「JR九州」と呼ばれる株式会社の列車になっていた。 特急列車の座席には、自由席、指定席、グリーン指定席の種類があり、グリーン指定席は金額も高く、えらいお金持ちの社長さんか芸能人などのハイクラスの人たちしか乗らない。
日向の国と豊後の国を通る日豊本線では、にちりん特急シーガイア号も走っていて、それにはツバメレディというきれいな「おなごし」が乗務していたげな。 なぜ「ツバメレディ」というのかというと、JR九州の主要本線は、筑紫の国から薩摩までの鹿児島本線である「特急ツバメ号」が走っており、その特急ツバメ号の女性乗務員を「ツバメレディ」というのだが、日豊本線(日向国と豊後国間)を走るにちりん特急シーガイア号は、その特急ツバメ号の車種を転用していたからじゃげな。
① 近「大分弁護士会訪問は何で行きましょうか?JR列車だとしたら、殿ちゃまはグリーン車でしょうか。」
と、近ちゃまが、殿ちゃまの事務所秘書(光ちゃま)に聞いていた。秘書光ちゃまは、お客様の伝言をそのままを一字一句間違わずに殿ちゃまに伝えられる几帳面かつ有能な秘書(ただし年齢不詳、しかし若い)である。 それをそのまま聞いた殿ちゃまは、
殿「また、近ちゃまが変なことをわざわざ聞いてきたねえ。何を考えているんだろ?JR列車のときはグリーン車で行かんで、何で行くつもりやろか?」
と不思議がっていた。
そう。弁護士は弁護士報酬規定で、旅費は最高額(グリーン料金を含む。)を請求できるという規定があるので、列車出張の際はグリーン車を利用するハイクラス階級なのである。しかし、薄給公務員を長く経験した近ちゃまは貧乏根性が染み付いていて、まだ一度も特急グリーン車を利用したことがなかったのである。
いよいよ、近ちゃまにとってグリーン車初搭乗の日。
殿ちゃまと隣同士の席である。ゆったりした大きめの席。スリッパまである。しかも、グリーン車料金なんて高くはないのだ!普通特急料金より1,000円高いだけである。近ちゃまは、「な~んだ。」と頭の中でつぶやきながら、今までえれ~高いはずだと思ってグリーン車を利用しなかったことを後悔する。
ツバメレディがいる!うん、美人の部類である。
その美人ツバメレディーが「コーヒー、お茶はいかかですか?」とやってくる。
近「いくらですか?」と聞く。
隣に座っていた殿ちゃまが、その途端にあわてて、近ちゃまの横腹をつついて
殿「こら、こら、グリーン車は、コーヒー、お茶は無料なんだよ。」
と小さな声でささやく。
近ちゃまは、大きな声で
近「えー!タダー?!ほんとですか!」
近ちゃまは、早速ツバメレディに
近「コーヒーもお茶も、どちらもください!」
殿「どっちか、ひとつだけやがね~。」
近「え?そうなんですか。」
美人ツバメレディ「うふふふ。」
② 殿ちゃまと近ちゃまは、長崎(幕府天領)-佐賀(肥前国)、佐賀(肥前国)-福岡(筑紫国)と西九州を横断する旅に出た。この旅もJR列車利用である。グリーン車の味をしめた近ちゃまは、佐賀-福岡もグリーン車利用と思い込み、肥前の国佐賀駅で「緑の窓口」(JA列車の切符を買うところ)へサッサと歩く。
殿「おいおい。どこへ行く?」
近「え。グリーン車の切符を買いに。」
殿「福岡まで30分もかからんのだぞ。」
近「え?グリーン車じゃないんですか?」
殿「…………」
殿ちゃまは、近ちゃまが、わざと緑の窓口に行くふりをしたように思ったのだが、近ちゃまは本気でグリーン車に乗りたかったんだそうな。
③ 殿ちゃま、近ちゃまは、大分(豊後国)には二回旅に出た。大分から宮崎への帰りは、グリーン車が満席で予約ができなかった。殿ちゃまも仕方なく空席が多かったので一般自由席に座って帰ることになった。 席を並べて、車窓を眺めながら、訴訟の話、特に訴訟で問題となった男女関係、日本の古の男女関係の話、三行半とは?妾(めかけ)とは?などの話であるが、二人で話が盛り上がる。
そこに、車内販売が「お茶、コーヒーはいかがですか、ジュース、週刊誌はいかがですか」とやってきた。
殿ちゃまは、近ちゃまに話しを続けながら
殿「コーヒー頂戴」
と注文する。コーヒーが殿ちゃまの席のテーブルに置かれ、殿ちゃまがゆっくりとコーヒーを飲む。
しばし、話も休止。
車内販売の女の子は、黙って、そこに立ったままでいる………?。
そう。殿ちゃまが代金を払おうとしないのである。
長い、なが~い、殿ちゃまと販売員の子だけの、停止画像状態であった。
それに気づいた近ちゃまが言う
近「先生、ここはグリーン車じゃないんですよ。お支払は?」
殿「あ!あ!そうか。グリーンじゃなかったんだ。コーヒーいくら?」
女の子「(ほっとした顔で)300円でございます。」
(法律解説)
1,国鉄分割民営化と裁判
国鉄分割民営化とは、自民党中曽根康弘内閣が実施した昭和末期の行政改革を言います。日本国有鉄道改革法(昭和61年12月4日法律第87号)に基づいて民営化方策が取られました。 日本国有鉄道(国鉄)を「JR(ジェーアール):Japan Railwaysの略。」として、6つの地域別の「旅客鉄道会社」と1つの「貨物鉄道会社」などに分割し、民営化するものである。北海道旅客鉄道(JR北海道)、東日本旅客鉄道(JR東日本)、東海旅客鉄道(JR東海)、西日本旅客鉄道(JR西日本)、四国旅客鉄道(JR四国)、九州旅客鉄道(JR九州)の各旅客鉄道会社6社と、日本貨物鉄道(JR貨物)1社の計7社が、1987年(昭和62年)4月1日に発足しました。
(1)国鉄分割民営化は、国鉄時代の巨額赤字負債を解消する方策であり、国鉄分割民営化の時点で、累積赤字は37兆1,000億円に達していた。このうち、25兆5,000億円を日本国有鉄道清算事業団が返済し、残る11兆6,000億円を、JR東日本、JR東海、JR西日本、JR貨物、新幹線鉄道保有機構(1991年解散)が返済することになりました。 経営難の予想されたJR北海道、JR四国、JR九州は、返済を免除されましたが、ローカル線の多い各社は、民営化後もローカル線廃止が必要になるなどの赤字運営対策が余儀なくされている面があります。(ウィキペディアより抜粋引用)
(2)他方、この法律に基づき実行された昭和62年(1987年)4月1日の国鉄分割民営化により、約27万7,000人の国鉄職員のうち、JR各社に再就職できたのは約20万人で、結果として約7万7,000人の再就職未定者が発生し、最終的に1,047人がJR以外の再就職を拒否し解雇された結果となりました。 この解雇者は、国鉄当時の労働組合員が多く、「JRが社員採用時に所属組合による差別という不当労働行為を行った。」として、昭和62年(1987年)に相次いで全国の地方労働委員会に救済を申し立てました。各地方労働委員会や中央労働委員会(中労委)は、対象者全員を分割民営化当日にさかのぼって採用する旨の救済命令を出したのですが、JR各社はこれを不服として東京地方裁判所に中労委命令の取消を求めて行政訴訟を起こし、東京地方裁判所、東京高等裁判所、最高裁判所はすべてJR各社勝訴の判決(不当労働行為に関する使用者責任は、JR各社が承継しているのではなく、国鉄清算事業団が承継しているので、JR各社には責任がないとの趣旨の判決)を出し、平成16年(2004年)11月11日、国労が最後に残った事件の上告を取り下げ、JR各社の完全勝訴が確定したという裁判での争いが生じました。(ウィキペディアより抜粋引用)
(その後、元原告ら(解雇された労働者)は、上記最高裁の判決に基づき、国鉄清算事業団の業務を引き継いだ独立行政法人鉄道建設・運輸施設整備支援機構を相手取って解雇無効と慰謝料を求めた裁判を起こし、平成17年(2005年)9月15日に、東京地方裁判所は慰謝料請求について原告側勝訴の判決を出しました。)
2,JR各社と企業イメージカラー
JR各社について、分割民営発足時にイメージカラーが発表されています。
(1)北海道旅客鉄道 - ライトグリーン(萌黄色)。真白な雪の大地から一斉に芽生え、やがて野山を彩る柔らかな色。新会社のさわやかで伸びやかなイメージを表現した。
(2)東日本旅客鉄道 - グリーン(緑色)。東北・信越・関東の豊かな緑色で、力強く発展していく新会社の未来を象徴させる。また、東北・上越新幹線のカラーでもある。
(3)東海旅客鉄道 - オレンジ(橙色)。限りなく広がる東海の海と空の彼方を染める夜明けの色。新鮮ではつらつとしたオレンジのように、フレッシュな新会社を表す。また、この地域を走る湘南色の電車にあやかっている。
(4)西日本旅客鉄道 - ブルー(青色)。日本の文化と歴史に彩られた地域にふさわしい色とされ、地域に密着した会社を表している。また、山陽新幹線のカラーでもあり、豊かな海と湖を象徴するカラーでもある。
(5)四国旅客鉄道 - ライトブルー(水色)。太平洋の青さより、さらに鮮やかなブルーであり、「青い国・四国」で知られる澄みきった空のブルーとして、新会社のフレッシュさを表現している。
(6)九州旅客鉄道 - レッド(赤色)。南の明るい太陽の国には、燃える熱意の色「赤」がふさわしいとされた。全力で明るくスタートダッシュを切る新会社の意欲的な姿勢を表現している。
(7)日本貨物鉄道 - コンテナブルー(青22号色)。新会社のフレッシュさと信頼感を演出するカラー。国鉄末期にコンテナ色として使用されてきていた。
それぞれのJR列車に乗ったときに、車掌さんの帽子や制服のポイントにどんな色が使われているか見てみると楽しくなるかも知れませんよ。
3,食堂車と社内販売
(1)食堂車
日本の鉄道における食堂車は1899(明治32)年、山陽鉄道(現在のJR山陽本線)を走る列車に「食堂付1等車」が連結されたのが始まりとされています。その後、第二次世界大戦をはさみ、鉄道の発展とともに食堂車を連結する列車も増えていきました。昭和の高度成長期における鉄道の豪華発展時代が、食堂車が最も盛んに利用された時期でしょう。駅弁好きの私も一度だけ食堂車を利用したことがあります。 やはり贅沢な感じがして気後れしたことを覚えています。その後、新幹線が超高速化し乗車時間が短くなれば、到着先で食事を取ることができることから利用者が少なくなり、平成12年頃に新幹線等の一般車両からも食堂車は廃止されました。
しかし、近年において「食堂車」は一般的な列車のものではなく、JR九州の「ななつ星in九州」といった豪華クルーズトレインなど観光列車に食堂車が連結される形になってきました。
(2)車内販売
列車等の車内において、ワゴン車やカゴに物品(飲食品や雑誌など)を並べて、車内を巡回して販売するサービスのことです。日本では1934年(昭和9年)、食堂車が連結されていない列車で弁当類販売の要望があったため、鉄道省が試験的に販売したところ好評であったことから、 1935年(昭和10年)11月より列車内乗込販売手続を制定して開始されたようです。 現代では、駅構内の売店や「駅ナカ」と呼ばれる商業施設、駅周辺のコンビニエンスストア・ファーストフード店など、駅内外の飲食店や小売店が充実してきていることからあらかじめ乗車前に購入する客が増えてきており、車内販売は縮小ないし廃止傾向にあります。 社内販売を担当するものは、JR社員の専門部門が行っていた時代もあるようですが、車内販売のある列車を運行するJR各社は車内販売専門の子会社を持っていたり、他の販売会社に業務委託したりするので、子会社や委託会社の従業員が担当しているのが通常であり、また、正規従業員ではなく派遣・契約やアルバイトといった非正規雇用で採用しているケースも少なくないようです。
(ご注意!)なお、後日の私の体験からすると、グリーン車両のお客様にコーヒー等の無料サービスをしていたのはJR九州だけのようで、JR九州もそのサービスを平成22年3月に取り止めており、現在はグリーン車での車内販売でも有料となりますのでご注意ください。
次号に続く
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その4
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第4章 安価で飛行機の旅を楽しむ方法?(ヒコーキドタバタ搭乗珍事件)
昔、日向の国宮崎は、“陸の孤島”と呼ばれていて交通の便は不便じゃった。筑紫の国、博多の九弁連会務に旅するのも、九州国を巡回する旅も「ヒコーキ」という「空飛ぶ鉄の固まりの乗り物」で移動しなければならなかった。
殿ちゃま、近ちゃまも「ヒコーキ」を利用することが多くなり、JASの会員になり、平成10年当時の航空路線過当競争時代にあった数々の割引制度や格安制度を研究しながら「ヒコーキ」を利用しちょりゃったげな。格安航空券を利用する際の条件として、「ヒコーキ」便の変更はできないか、または変更すると元の料金との差額負担(追加料金)が求められるというものもあったげな。 殿ちゃまは「ぶげんしゃ」じゃったから、あんまり割引航空券や格安航空券は気にしやらんがったけど、近ちゃまは貧乏弁護士じゃったし、近ちゃまのえれ~きれいなカミサンの秀(ひで)ちゃまが、節約が好きな人じゃったかい、格安航空券を見つけてきて出張時に近ちゃまにその航空券を渡すときに「ヒコーキ便の変更すると高くなりますからね。予定どおり行動してくださいね。」と厳しく(?)近ちゃまに言いつけちょりゃったげな。
① 筑紫の国での九弁連会務が早く終わった日の筑紫国空港行き地下鉄電車の中で~~
殿「会務が早く終わったから、飛行機を一便早くして午後2時の便で宮崎に帰ろうかねえ。」
近「え?あの~、私の航空券は変更できないやつで、午後5時の便なんですが…」
殿「変更できない?君は、どんな航空券を買っているんじゃ?」
近「早割航空券ですよ。カミサンが買ってくれたんです。」
殿「あんたんところの奥さんは偉いねえ~。」
近「先生だけ先にお帰りください。」
殿「4時間も空港で何をしとくの?試しに変更したら何円くらい追加料金が必要なのか、聞いてみたら?」
近「そうですねえ。ひょっとしたら追加料金なしにしてくれるかも知れませんし。」
殿「それは無いよ。しかし、弁護士たるものが追加料金の額を聞いて“じゃ、変更しません”というのも恥ずかしいな。」
近「そうですねえ。」
殿「しかし、知識としての勉強にはなるわな。やってみたら?」
近「はい。そうですねえ。」
近ちゃまは、地下鉄空港駅に着いて、福岡空港のJAS搭乗受付カウンターにおもむろに近づき受付嬢に
近「この券、次の便に変更できますぅ?」
嬢「これは早割券でございますので、追加金が必要になりますが…」
近ちゃまは、「やっぱりそうか。」「どうしようか。」と思案し、後ろにいてくれたものと思っていた殿ちゃまを見たが、後ろには誰もいない!
…殿ちゃんを捜すと、ずーっと端のカウンターで、一人離れて搭乗手続きをしてござる。俺は知らんよという様子で。
近ちゃまは、寂しそうに
近「じゃ、5時のままで結構ですから、5時の便の搭乗手続きとJASマイルカードの手続きをお願いします。」
と、JASカードを受付嬢に差し出すと、
嬢「カードをお持ちですか、ちょっとお待ちください。」
と言って、受付嬢が部屋に下がって、そして出てきていわく、
嬢「2時の便は空席が多ございますので、搭乗していただいても結構ですが。」 と!
そのころ、ようやく殿ちゃまがおもむろに私に近づいてきて、
殿「どうやったか。」
近「ただで、いいそうです。」
殿「えー!そうか!よく変更してくれたね。」
近「私がハンサムだからでしょう。しかし、先生は何であんな遠いところで搭乗手続きをしていたんですか?すぐ隣のカウンターも空いていたですよ。」
殿「いやいや、アハハ。アハハ。タダで良かったがね。」
殿「ところでさ、君は航空券の回数券は知らんのかね。僕は回数券にしているんだが、変更も利くからいいよ。何でそれにしないの?」
近「そんなのもあるんですか、カミさんと相談して、これからはそうします。」
② 近ちゃまは、その後、カミサン秀ちゃまにその話をして、次の出張からは、航空券回数券を購入してもらい、これで殿ちゃまと対等に飛行機に乗れるぞ~と自信満々で筑紫の国の九弁連会務のため殿ちゃまに同行した。
その帰りの福岡空港での話である。
近「先生、私も今回は回数券ですからどれに変更してもいいですよ。」
殿「そうか、奥さんが買ってくれたか。しかし、今回は変更なしじゃ。予定どおり午後5時の便で帰ろう。」
殿ちゃまと近ちゃまが空港の搭乗受付カウンターで搭乗手続きをすると、受付嬢が、近ちゃまにやさしくのたまう。
嬢「お客様、回数券のホルダーもお願いします。」
近「え?ホルダー?なに?それ?」
嬢「回数券の一番上の部分になりますが…。」
近「なーんだ。それなら、宮崎の僕の自宅に置いてあるよ。」
嬢「はい?は??・・・回数券の場合はホルダーをご持参いただかないと困りますが・・・」
近ちゃまは意味が分からない。
殿ちゃまが、「また何かしたのか?」と、心配顔で後ろから顔を出す。
近「いいえ。回数券のホルダーが無いと言われちょるだけです。」
殿「何処に忘れたんだ?」
近「忘れたんじゃありません。自宅にちゃんと置いてあるんです。」
殿「馬鹿なこつ!回数券はホルダーと一緒に持ってこんこつ。」
近「しかし、宮崎空港ではホルダーがないまま乗れたじゃないですか。」
殿「回数券はホルダーと一緒に提示してくださいと書いてあったどが。ホルダーが無いとヒコーキに乗れんがね。」
近「え?そうなんですか?」
このやりとりを笑えみながら聞いていたカウンター嬢が、近ちゃまにやさしく、
嬢「お客様、この次からは、ホルダーをご持参ください。今回は、どうぞご搭乗ください。」とおっしゃる。
近「いや~。あんたはいい人じゃね~。」と、近ちゃまは、満面の笑み。
近ちゃまは、無謀にもまた易々とヒコーキに乗れることになった。
後で、殿ちゃまいわく、
殿「今の受付嬢は、“この二人はきっと田舎もんで、何も知らんようだから、説明してもわからんであろう。”と思って、半ばあきれ果てて乗せてくれることにしたんだろうなあ。宮崎弁で二人ともしゃべっとったからわからんじゃったろな。」と。
③ 殿ちゃまと近ちゃまは、九弁連の沖縄弁護士会訪問で琉球(沖縄)に行くことになった。日向(宮崎)~琉球(沖縄)間のヒコーキ機便は1日一往復便しかなく遅れることはできない。しかも、日向~琉球便は、観光ルートで旅行会社がツアーで航空券を買い占めているのでなかなか予約ができなかったが、近ちゃまの秘書の努力で「指定席指定済みの航空券」を手に入れることができた。その券は、既に座席指定が書き込まれているので、空港カウンターでの搭乗手続きは終わっているようなイメージになるので、空港でよく「〇〇様、お手持ちの航空券は受付け手続きが必要ですので、受付けまでお起こしください。」と呼び出される間が抜けた感じの人もチラホラ見ていた経験があった。
“今日は、沖縄まで行かなくちゃならない。遅れると後の便はない。”と、近ちゃまは、日向の国・宮崎の飛行場近くの南バイパス道路を、高級車でない中級クラスの中古トヨタ・クレスタで走りながら、気が急いでいた。
飛行機の出発15分前には空港に着けるだろうか?
今朝は飛行機の出発時間を20分後と勘違いしていてのんびり朝食を済ませていたが、カミサンの秀ちゃまが航空券を最終確認していたら、時間が違うということになり、サザエさんのドラ猫がお魚食わえて走るように、沢庵をパリパリ食べながら、あわてて自宅を飛び出し、カミサンの運転で車を走らせて来たのである。
一方、殿ちゃまは、出発30分前に宮崎空港に着いて、近ちゃまが来るのを待っていたが、なかなか顔を現さない。
出発15分前から、空港ビル内放送で「近ちゃま様、お手持ちの搭乗券は搭乗受付が必要です。搭乗受付カウンターまでお越しください。」と名指しで呼び出しを始めた。殿ちゃまは、「また、何かシデカシタな。」と気が気ではない。
近ちゃまは、出発10分前に受付カウンターに、ぜいぜい言いながら息を切らして到着。
その時、空港ビル内放送で「近ちゃま様、お手持ちの搭乗券は受付手続きが必要です…………」と放送中。
それを聞いた近ちゃまは、受付嬢に
近「ちゃんとここに来ているでしょ。まるで私が搭乗手続きを知らない人間みたいな放送になっているじゃないの。ちゃんと訂正放送してよ。」と訳の分からない抗議をしていた。要は、急げ!なのである。近ちゃまが殿ちゃまを見つけて近寄ると、
殿「また、何をしたんだ。さっきから君の名前が呼び出されていたぞ!」
近「座席指定搭乗券なので、私が搭乗手続きをしないでいいと思っているのではないかと搭乗受付嬢が誤解して呼び出しをしていたようで、けしからんです。私はちゃんと座席指定券でも搭乗手続きが必要なことは知っていたんですから。」
殿「それで、時間もないのに文句言っていたのか?」
近「はい。ちゃんと受付嬢に搭乗手続きをしなくちゃならないことは知っていたと説明しておきました。」
殿「遅れてきて、また無駄な時間を費やして~。呼び出しは、ただ、時間内に搭乗手続きをしなかったからだろ? …しかし、あれだけ呼び出されれば、これで君の名前も少しは有名になったかなあ。アハハ・・・。」
(法律解説)
1、「ぶげんしゃ」の意味と「分限」制度
(1) 文中にある「ぶげんしゃ」は、鹿児島及び宮崎西南部地区の方言(又は古い言葉の残り)で、「金持ち物持ちの人、経済力のある人、裕福な身分の人」を指す言葉です。単なる方言ではないということについては、江戸時代において金持ちを表す言葉には、「長者」と「分限者」があったそうで、江戸語辞典(東京堂出版;新装普及版)によれば、「長者」は「金持ち」と載っており、「分限者」は「ものもち、富豪」となっていて、「ぶげんしゃ」の漢字表記は、この「分限者(ぶげんしゃ、ぶんげんしゃ)」であるとされています。そして「分限」は、元は「身分」という意味であって、ここから「富んだ身分」「経済力」を表すようになっただろうされています。
また、日本大百科全書でも「物事の程度や分量、物事を行う能力や限度、あるいは身分の程度や分際をいう。「ぶげん」とも読み、分限者などと使う。また、その置かれた立場の様子や経済状態もいい、とくに江戸時代には、財産・資産の程度をいい、その財産や資産を多く有している人、すなわち富豪や資産家をさしていうことばとして用いられる。さらにこの上をゆく富豪を長者と称してこれを区別している。」されています。
(2) 法律の中で「分限」という言葉を探すと、「公務員の分限制度、分限手続き」が思い浮かびます。法律上で分限とは、「公務員の地位」を指します。
① 分限処分については国家公務員法または地方公務員法に定められていますが(国家公務員法第74条、78条、79条等、地方公務員法第27条、28条等)、公務員の地位に不利益な影響を与える行為を「分限処分(ぶんげんしょぶん)」といい、非行などを理由に公務員の道義的責任を追及する「懲戒処分」を除いたものを総称する身分に関する処分ということになります。
② 分限処分をなし得る事由は、分限処分の目的が広くは公務能率の維持および適正な運営を目的とするものですから、「勤務実績がよくない場合」、「心身の故障のため、職務の遂行に支障があり、またはこれに堪えない場合」、「その他官職に必要な適格性を欠く場合」という職員側の事由(国家公務員法第78条、地方公務員法第28条)が抽象的に定められている他、いわゆる人員整理も認められていますが、具体的には様々な事案が考えられます。分限処分の種類には免職、降任、休職、降給の4種があります。
③ 公務員の身分保障と分限処分の濫用の禁止分限処制度の前提として、公務員には身分保障があります。公務員の身分保障は、公務員職員は、法律又は人事院規則に定める場合(勤務実績不良、心身故障による職務遂行困難等)でなければ、その意に反して、降任され、休職され、又は免職されることはないという定めを置いて(国家公務員法第75条1項、地方公務員法第27条)、公務員職員が恣意的にその職を奪われることのないように身分を保障しているものです。法はこのことにより、公務の中立性・公正性を確保しようとしているわけです。従って、公務員職員の分限処分においては、恣意的な濫用は許されないのは当然です。最高裁判例(昭和48年9月14日判決)は「分限処分については、任命権者にある程度の裁量権は認められるけれども、もとよりその純然たる自由裁量に委ねられているものではなく、分限制度の…目的と関係のない目的や動機に基づいて分限処分をすることが許されないのはもちろん、処分事由の有無の判断についても恣意にわたることを許されず、考慮すべき事項を考慮せず、考慮すべきでない事項を考慮して判断するとか、また、その判断が合理性をもつ判断として許容される限度を超えた不当なものであるときは、裁量権の行使を誤った違法のものであることを免れないというべきである。」として分限処分の濫用は許されないとしています。
2、格安航空券の解約手数料(違約金)は高すぎる?
(1)ある裁判で、片道4万3,800円の航空券を割引運賃1万3,290円という約70%割引格安航空券を購入したのであるが、搭乗62日前にキャンセル事情が発生したのでキャンセルしたところ、8,190円の取り消し手数料がかかったという例があり、購入者が「少なくとも60日も前であれば代わりの乗客を確保することができ、航空会社に損害は生じないし、「そもそも購入代金1万3,290円の約61%もの手数料率は絶対的に高すぎる。消費者契約法に違反している」と主張している例があります。
(2)消費者契約法第9条第1項第1号において以下のとおり定められています。
次の各号に掲げる消費者契約の条項は、当該各号に定める部分について、無効とする。
1 当該消費者契約の解除に伴う損害賠償の額を予定し、又は違約金を定める条項であって、これらを合算した額が、当該条項において設定された解除の事由、時期等の区分に応じ、当該消費者契約と同種の消費者契約の解除に伴い当該事業者に生ずべき平均的な損害の額を超えるもの 当該超える部分」
つまり、キャンセルをしたときの違約金・手数料は、キャンセルの理由や、時期などに応じ、キャンセルに伴う事業者に生ずべき平均的な損害の額以下でなくてはならず、それを超えるキャンセルをしたときの違約金・手数料は無効となるという規定です。
(3)格安航空券のキャンセルで航空会社にどれだけの損失が発生するか、その判断は難しいところがありますが、割引運賃ではなく普通運賃(4万3,800円)と比較すれば、8,190円は20%程度の金額にすぎず、キャンセル料としては高額とはいえないという反論や旅割系のチケットを購入する際には、取消手数料が高額であることがきちんと表示されており、利用者はそれを認識したうえで購入しているのだから、航空会社の定める違約金や解約手数料に不当性はないという反論もあり得るでしょう。
みなさんは、どう考えられますか?
次号に続く
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その3
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第3章 え?こんなに高いお宿に泊まるの?
今は令和。昔々の平成の御代の頃は、お宿は、カプセルホテル、ビジネスホテル、シティホテル等の大衆ホテル(料金1万円以下)以外に、高級有名ホテルがあり、トランプ米国大統領が宿泊したプラザホテル、帝国ホテル、ホテルオークラ、ホテルニューオータニが最高級ホテル(料金2万円以上)と言われていた時代じゃった。 最高級ホテルは、江戸時代の大名が泊まる「大本陣」というようなものじゃろう。 殿ちゃま、近ちゃまの場合、旅に出て行く先々でのお宿の手配は原則として秘書役(カバン持ち)の近ちゃまの仕事ということになっちょった。
宿泊出張が盛んになる4月下旬の頃、
近「先生、出張のお宿はいかがいたしやしょう?」
殿「福岡は、ホテルニューオータニにしよう。僕は会員だから、君もニューオータニ会員になれ。あそこの朝食はビュフェ形式でおいしくていいよ~。卵料理も選べるし、野菜サラダもあるしね。」
近「え!そんな高いとこ、あっしゃ~、一度も泊まったことないザンス!」
殿「いいじゃないか。泊り方教えてやるから。」
近「泊まり方?…」
近ちゃまも、殿ちゃまが会員入会の保証人となってくれたので、めでたくニューオータニ会員となって、初めてゴールド色の会員カードを所持することを自慢するかのように、最高級ホテルに宿泊することになった。
福岡での九弁連会務を終えて、食事を済ませてホテルニューオータニ福岡へ。近ちゃまは、広いロビーの高い天井をキョロキョロと見上げながら、殿ちゃまの後を付いていく。部屋はそれぞれ別個に取ってある。
すごい部屋である。とてつもなく広~いツインの部屋を一人で使う。今では当たり前かも知れないが、歯ブラシ・石鹸・シャンプー以外にヘアーブラシもミニ化粧品まで備え付けてあり、室内の白いスリッパは持ち帰ってもいいという具合である。
そういう部屋で、近ちゃまは、殿ちゃまと同じような「殿様」になった気分でゆったり過ごして、さぁ寝る時間である。ツインベッドのどちらに寝たらいいのか迷ったが、朝の陽射しで目覚めるように入り口から遠い窓際のほうを選んだ。そして、ベッド上部にあるベッド灯を消そうとしたが、
ON/OFFのスイッチが見当たらない。花の飾りはついているけど…。
近「あれ?」
OFFにするつまみスイッチか紐かがあるはずだが…ない。フロントに聞くのも恥ずかしいし…。
近「よし!入り口のルームキーボックスのキーを抜けば消える。しかし、部屋全体が消えて真っ暗になるだろうし、部屋が広いからキーボックスのところからベッドまで遠いな。真っ暗になるとベッドまで行けない。あらかじめベッドの位置の見当をつけて、キーを抜くなりベッドに飛び込めばいい。よし!」
と、近ちゃまはキーを抜くなり入り口から遠いベッドに走り飛び込む。
成功!
近「あれ?電気が消えないじゃないか。」
と、ベッドの上で近ちゃまがつぶやいていると・・・ 徐々に明りが暗くなっていく。
近「あ!ちゃんとベッドに行けるようにしばらくは点いているんだ。すごい!
明日の朝、殿ちゃまにも教えてあげよう!」
と、大感激の夜であった・・・・zzzzzzzzzzz。
翌朝、朝食ビュッフェで、殿ちゃまと朝の挨拶をして、野菜サラダを取りながら
近「先生!すごい発見したんですよ!あのですね、ベッドの灯りの消し方が分からなかったのですが・・」
殿「は?ちゃんと灯りの所に飾りボタンのつまみがあるだろうが。」
近「あれ~、あの飾りがスイッチですかあ。」
殿「じゃ、夕べはどうやって寝たんだ?電気をつけっぱなしで寝たのか?」
近「いいえ。つけっぱなしじゃ僕は眠れない気質(タチ)なので、入り口のキーボックスからキーを引き抜いて寝ました。」
殿「え?え!え!え?それじゃ、夜トイレに行くときは真っ暗じゃがね。」
近「はい。でも、キーを抜いてもすぐ消えずにジワーッと消えるんですよ!知ってました?? キーを抜くなりベッドに飛び込んだのですが、ゆっくりベッドまで行けるようになっているんですよ!」
殿「そうじゃなくて、ベッドの灯りのつまみを回せばいいだけじゃがね。」
近「あぁ、あの飾りは、単なる飾りじゃなかったんですねぇ~。」
殿「田舎もんは、電灯を消すには紐があるはずじゃと思っちょるわなあ。」
*徐々に消えていくライトを「フェードアウトライト(FOライト)」と言うようです。
ところで、大分にはニューオータニはない。次の大分出張では近ちゃまにホテルの選択とその予約一切を殿ちゃまが任せてくれた。近ちゃまの慣れ親しんだ大分市内の某ビジネスホテルに宿泊(料金6000円で安い!)。 ツインのシングルユースだともったいないから殿ちゃまもシングルームを予約してあげた。(後で「なんで、ツインのシングルユースにしなかったんだぁ?」と殿ちゃまに不満を言われたが・・・。)
受付フロントで、フロント係が「歯ブラシ、髭剃りはお入用ですか?」と聞いてきた。殿ちゃまは「え?」と言って理解できないようである。このホテルは、資源節約のため、歯ブラシ・髭剃りは持参していないお客だけにフロント係がそれを渡す方式で、部屋には備え付けていないのである。
殿「なんで、部屋に置かないのかな?」と不思議な経験をされたようである。 部屋に着くと、殿ちゃまは「狭いなあ」「ベッド灯は紐じゃね。(笑)」「ベッドから足が出やせんか。」と少しだけうるさい。最後には「部屋じゃ狭くてゆっくりできんから、明日は起きたらすぐ出発しよう。」とわがままなことをおっしゃる。
しかし近ちゃまは、その夜は紐を引いて消灯もできゆっくり眠れたげな。
話は、またホテルニューオータニに戻るが、ニューオータニ会員には宿泊料金が会員料金になる以外に、宿泊の度に10パーセントの割引券が交付されるようであるが、航空機JASマイルカードのマイル獲得ホテルでもある。
既に2~3回の宿泊を経験して、ホテルニューオータニの宿泊通になったつもりの近ちゃまは、事前にニューオータニでJASマイルカードが使えることを調査し、殿ちゃまに先んじて殿ちゃまに善いことを教えてあげたいと思って、ニューオータニ福岡のフロントで、10パーセント割引券とJASカードを出して格好良くチェックイン手続きをしていた。
それを見ていた殿ちゃまが、
殿「そのJASカードは何だ?」
近「先生、知らなかったんですか、このホテルではJASマイルがもらえるんですよ。」
殿「へえ~、そうかい。」
近「先生もJASカードを出されたらいいですよ。エヘン。」
ところが、見目麗しいフロントのお嬢さんいわく、
女「お客さま、大変申し訳ございません。割引券ご使用の場合には、マイルは付かないことになっております。」
近「え?、あ?」と、近ちゃまの面目はつぶれ、立ち往生?!?。
殿ちゃまは、その場に腹を抱えて、クックックと笑いを必死で押さえていたのでありました。
(法律解説)
1、JASマイルカードによるマイル取得と公務員の公務出張に関する問題点
(1)「JAS」とは、株式会社日本エアシステム( JAPAN AIR SYSTEM CO. LTD)の英語略語である。1971年(昭和46年)から2004年(平成16年)まで存在した日本の航空会社です。それ以前は、東亜国内航空(TDA)であった。 福岡と宮崎間の飛行機は、この航空会社の便が多く運行されていました。
マイルカードとは、マイレージカードであり、マイレージ(マイル)とは、各航空会社が提供するポイントサービスのこと。主に飛行機への搭乗で貯まるもので、貯まったマイルは各航会社の無料航空券に交換することができるサービスとなっています。
(2)ところで、官庁や会社等の公的出張で航空マイルを個人が取得することについて、法的な問題が生じています。
そもそも、航空マイルは、法人向けカードがなく、会社がマイルを取得して法人として使用することを想定しておらず、マイルは飛行機搭乗者個人がマイル取得登録をした上で、飛行機に登録者個人が搭乗しなければ付与されないため、航空券の購入のみでは発生しません。したがって、マイルは実際に飛行機に搭乗した搭乗者個人を対象として付与されているとする立場があります。それに対して、会社経費や公費で搭乗券を購入して搭乗しているのだから、マイルの経済的価値は会社経費や公費から発生したものであり、会社や官公庁のものになるという立場があるわけです。
中央官庁におけるマイルの取り扱い例がありますが、各省庁は、当初は、公費により購入した航空券での搭乗によって得られたマイルは、個人のマイレージカードに登録しないように求めていました。
ただし、中央官庁の現時点での取り扱いは分かりませんが、地方自治体や民間団体等では、そのままではマイルが誰のものにもならず無駄になってしまうことから、定期的に出張をする必要がある職員などには、公用マイレージカードの作成を促している取り扱いも認めているようです。その場合には、マイレージクラブの仕組み上、カード自体は個人名義のままですが、プライベート用のカードとは使い分けをして、公用マイレージカードに出張の分のマイルが蓄積され、官公庁の出張時の航空券をそのマイレージで無料で取得できるという取り扱い例になっているようです。
(3)個人的見解
私は、個人的には、マイレージ取得に関するルールを会社や団体が決めていない場合には、会社等はそのマイレージの権利を放棄している又は取得意思はないものとして、また、マイレージクラブの仕組み上、カード自体は個人名義のままで個人の搭乗者の搭乗を根拠に付与されているもの以上は、公費・私費の区別はマイレージ制度には何ら関係の無い問題であり、公費出張による搭乗であっても、マイレージの権利は個人のものになると考えます。
2、「朝の陽射しで目覚める」ことの意味
体内時計を御存じでしょうか?「生物の体内にあるとされる、時間を計る仕組み」を言うのですが、生物の活動性が光や温度などの外界条件に影響されると同時に、その外界条件が変化しない環境においても、その活動性が日周期性を示す(例えば、意識しなくても日昼はカラダと心が活動状態に、夜間は休息状態に切り替わる)ということから、生物の中には独自の活動周期性(時計的なリズム)があるとされています。 ヒトの体内時計は、隔離環境では約25時間の周期で刻まれており、1日24時間周期の昼夜のリズムとはズレが生じるため、起床後、太陽の光を浴びることにより毎日このズレを修正しています。ヒトの体内時計は、脳の一部である視床下部の視交叉上核にあり、網膜からの光信号を受けて松果体からの「メラトニン」というホルモンの分泌をコントロールしています。 「メラトニン」は睡眠を誘うホルモンですが、人間の体は、朝に光を浴びると脳にある体内時計の針が進み、体内時計がリセットされて活動状態に導かれ、その体内時計からの信号でメラトニンの分泌が止まるため体が目覚めて活動的になれるのです。 朝の目覚めは、太陽の陽射しを受けることで、正確な一日の始まりとなるのです。
日本の法律(民法)では、民法第139条で「時間によって期間を定めたときは、その期間は、即時から起算する。」民法第140条で「日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は、算入しない。ただし、その期間が午前零時から始まるときは、この限りでない。」と定めて、私たちが時間や期間に正確に従って生活するという前提での規定を設けています。この時間や期間に合わせる私たち人間の社会生活の基本は、人間の体の周期的な目覚めや睡眠を前提にしていることを改めて自覚する次第です。
次号に続く
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)その2
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
第2章 記者会見するの?しないの?~(日向の国の瓦版)
4月初め、筑紫の国での役員就任の挨拶回り、記者会見を終えて筑紫の国から日向の国に戻ると、日向の国の地方瓦版の記者会見もしなくちゃならないということになる。
日向の国にも3つの電子台局(テレビ局のこと)と5社の瓦版屋(新聞社のこと)があり、殿ちゃまが日向の国から初めて九弁連理事長に就任したことはビッグニュースであるから、当然、日向の国でも記者会見しなければならないはずである。
近「先生、地元でも、理事長就任記者会見をしていただいたほうがよろしいかと思いますが、会見設定、会見内容、理事長プロフィール等は私の方で準備しますし、記者の質問に2~3答えてもらえればいいのですが。いかがしましょうか。」
と、近ちゃまが提案する。
殿ちゃまは、
殿「地元での記者会見はもういいんじゃないか。僕はあんまりマスコミには 出たくないんだ。」と拒否される。
近「前年の佐賀の葉隠れの理事長は、地元佐賀でも記者会見して、電子台(テレビ)でも放送されたようでござんす。」と、近ちゃまは粘る。
殿「佐賀は佐賀。私は私だ。あんまりマスコミには出たくない。」
近「ああ。そうですか。じゃ、記者会見は無しとします。」
と、近ちゃまはあっさりと断念したようであったが、内心は、殿ちゃまの記者会見があったら自分も脇役としてチョッとは電子台に映る可能性があったので、残念でならなかった。
1週間後、日向の国の野崎弁護士が、殿ちゃま理事長の地元記者会見はないのか、と問い合わせてきた。
近「殿ちゃまがマスコミは嫌いだと言われるのでしません。」
と回答したところ、
野崎弁護士から話があるということで、事務所まで赴くと、なぜかお叱りを受ける。
野「殿ちゃまは絶対に地元での記者会見はしないと言われましたか?」
近「マスコミは嫌いだ。あまりマスコミには出たくない。と言われました。」
野「でしょう。“あまり“だったでしょ。それは記者会見するように、もう少し押さないといけないということなんです。3回断られるまで諦めない。偉い人は、自分が目立つようなことを一度頼まれただけではでハイと言う訳ないんです。」
近「え?そうなんですか。記者会見するか、しないかというだけですよ。一度で決断できるでしょ。」 野「近ちゃまは、殿ちゃまの性格をまだ押さえていませんねえ。」
近「いえ、確かに記者会見はもういいんじゃないか、と断られましたよ。」(憮然)
野「“もういい”ではなく、“もういいんじゃないか”でしょ。断定しておられないでしょ。」
近「確かに…。三顧の礼ってことで、3回頼んでみましょうかね。」
それから、近ちゃまは毎週一回、殿ちゃまにお会いする度に「地元での記者会見をしましょうか。」と尋ねてみた。なんと!2週間後、殿ちゃまが地元記者会見に同意!!!?
近ちゃまがバタバタと記者会見を設定し、めでたく記者会見終了。電子台のニュースで放送され、それを契機に殿ちゃまには祝電が次々に送られてきて、殿ちゃま事務所は就任お祝いのお花で満杯状態。事務員はお祝いの電話の対応にてんてこ舞いになったということである。
瓦版の記事は間違っているわけではないが正確に記載されていない場合が多い。殿ちゃまの記者会見での理事長見解についても記事になってみると間違った表現をしている瓦版があり、殿ちゃま曰く、
殿「近ちゃまの押しに負けて地元記者会見をしたが、やはり不正確に伝わることが多いだろ?だから嫌じゃと言うたんじゃ。」
……人の上に立つ人の心持ち、謙譲、謙遜、遠慮、支えてくれる者の動きや行動した場合の結果の見通し、結果に対する評価や影響等いろいろと、偉い人の世界には難しい心の動きや強い影響があるもんじゃ……。
しかし、近ちゃまも電子台のニュース画面にチョコット映って嬉しかったげな。
(法律解説)
1,公的機関の記者会見について 公的機関が報道機関に向けて行う記者会見は、法律に定めたものではなく、公的機関側は「行政等の説明義務、周知義務」として行うものであり、報道機関側は「憲法第21条の表現の自由・報道の自由・国民の知る権利」を支えるものとして行うというものであり、その方式は慣例として認められてきたものです。記者会見の主催が公的機関か報道機関かの争いはありますが、日本の記者会見において公的機関が報道機関向けに行う発表は、通常、記者クラブが主催しており、日本新聞協会は、その理由を、「情報開示に消極的な公的機関に対して、記者クラブという形で結集して公開を迫ってきた」と歴史的な経緯があること、逆に公的機関が主催する会見は一方的な運営がなされるとの疑念を抱いていることを説明しています。
その場合、各記者クラブが主催する記者会見には、その記者クラブのメンバー以外は原則として参加できないという不都合が生じる場合もありますが、ただし、幹事社の事前承認があればメンバー以外の報道機関も参加できるという取り扱いもされています。
2,三顧の礼とは
三顧の礼とは、「地位のある者や権力者が格下の者に何度も出向いて物事を頼むこと」であり、三国志の英雄である劉備が諸葛亮を臣下に加える際に彼の庵を三度訪れて礼を尽くしたということが由来となっています。近ちゃまの場合は、格上の殿ちゃまに三回頼みに行くという場面ですから、逆の関係になるので、厳密には「三顧の礼で迎える」という例ではありませんので、その点ご留意願います。
3,報道内容が事実と異なる場合の法的問題
マスメディア等の報道により、事実と異なる報道がされ名誉権等の人格権を侵害された個人は、その報道内容に関し、「反論する権利ないし法的保護に値する利益」を持っているのではないか(いわゆる反論権、反論文掲載請求権の有無)が論じられてきています。
しかし、最高裁判例昭和62年4月24日(サンケイ新聞事件)は、以下の通り述べて、不法行為として成立しない場合には反論権は認められないとしています。
(1)「この制度(反論権又は反論掲載請求権)が認められるときは、新聞を発行・販売する者にとつては、原記事が正しく、反論文は誤りであると確信している場合でも、あるいは反論文の内容がその編集方針によれば掲載すべきでないものであつても、その掲載を強制されることになり、また、そのために本来ならば他に利用できたはずの紙面を割かなければならなくなる等の負担を強いられるのであつて、これらの負担が、批判的記事、ことに公的事項に関する批判的記事の掲載をちゆうちよさせ、憲法の保障する表現の自由を間接的に侵す危険につながるおそれも多分に存するのである。このように、反論権の制度は、民主主義社会において極めて重要な意味をもつ新聞等の表現の自由に対し重大な影響を及ぼすものであつて、たとえ被上告人の発行するサンケイ新聞などの日刊全国紙による情報の提供が一般国民に対し強い影響力をもち、その記事が特定の者の名誉ないしプライバシーに重大な影響を及ぼすことがあるとしても、不法行為が成立する場合にその者の保護を図ることは別論として、反論権の制度について具体的な成文法がないのに、反論権を認めるに等しい上告人主張のような反論文掲載請求権をたやすく認めることはできないものといわなければならない。」
(2)その結果現行法の下において、反論権が承認されるための条件について
「人格権としての名誉権に基づき、加害者に対し、現に行われている侵害行為を排除し、又は将来生ずべき侵害を予防するため、侵害行為の差止めを請求することができる場合による。」ことは、当裁判所の判例(北方ジャーナル事件判決参照)に基づくところであるが、「右の名誉回復処分又は差止の請求権も、単に表現行為が名誉侵害を来しているというだけでは足りず、人格権としての名誉の毀損による不法行為の成立を前提としてはじめて認められるものであつて、この前提なくして条理又は人格権に基づき所論のような反論文掲載請求権を認めることは到底できないものというべきである。」
以 上
殿ちゃま・近ちゃま九州国珍道中記(法律解説編)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(巻頭言)
平成22年4月から「何でも法律塾」コーナーを9年間担当させていただいておりますが、平成の時代をも終わり、今年5月から「令和」時代に入ります。 そこで、平成時代を振り返りつつ、面白い話を交えながら分かり易い法律の話をしてみたいと思っています。 この「珍道中記」の登場者「殿ちゃま」「近ちゃま」は、宮崎県町村会の顧問弁護士であり、この二人の実話を面白く脚色させていただきました。 このコーナーでは、時事の法律問題も時折入れることもあると思いますが、可能な範囲でこの「珍道中記(法律解説編)」を続けて掲載させていただきたいと思います。
1、珍道中期間・・平成10年4月1日~平成11年4月5日
2、主題・・九州弁護士会連合会の会務活動に関する理事長・事務局次長同道の旅での出来事、笑い話等を綴る傑作コメディー
とその関連法律制度の解説。
3、登場人物
①殿ちゃま・・宮崎県弁護士会所属弁護士、弁護士会会長経験2回、宮崎県弁護士会の大御所的存在、訴訟以外に公的委員
・宮崎県等の地方自治体や大企業顧問などを兼任し社会的地位も確立している。平成10年度に宮崎県内初選出として九州弁
護士会連合会理事長に就任し、九州の弁護士のトップの地位に立つ。後進の育成に熱心な人物で、経済的には無駄はしない
が一流の物には金銭を出すのはいとわない性格、宿泊は一流ホテルのツインないしダブルの一人使用を好み、趣味はカメラ
写真(写真展入選多数)。昭和5年3月3日生まれ(理事長就任当時68歳、現89歳)、小林市出身。妻・殿所F子様
②近ちゃま・・宮崎県弁護士会所属弁護士、平成5年登録の初心者弁護士、裁判所書記官(公務員)として14年間の公務員生
活を送りながらの司法試験受験生活を経ての弁護士生活であり、殿ちゃまより弁護士生活に関する基本的指導を受ける。殿
ちゃまが九州弁護士会連合会理事長就任と同時に殿ちゃまから九州弁護士会連合会事務局次長兼理事長秘書を委嘱される。
受験生活が長かった割には、悪癖もなく、冗談好き。小さな事務所を独立経営し、財布の中身も公務員時代の貧乏生活感覚
を維持している。宿泊は安いビジネスホテルのシングルを好み、趣味は特になし。昭和28年11月1日生まれ(次長就任当時44
歳、現65歳)、南郷町出身。妻・近藤H子様
4、目次
第1章 昔々、桜の咲く頃、(筑紫の国の舞鶴城址で)
第2章 記者会見するの?しないの?(日向の国の瓦版)
第3章 え?こんなに高いお宿に泊まるの?
第4章 飛行機の旅を安くでする方法を知っています!なに、それ?
第5章 汽車の旅で、コーヒーがタダ!
第6章 菊池“温泉”じゃなかったの?
第7章 沖縄(琉球国)のステーキはでっかいぞ!
第8章 シーガイアであたふた、あたふた。(九弁連大会宮崎大会)
第9章 僕は浮気防止役?(摩女梨花での夜)
第10章 こんなに疲れる韓国旅行ってな~んだ?
第11章 殿ちゃまを一人にできない。(殿ちゃまの失敗編)
第12章 日本の最南端の島で~あれ?これ、どこから覗くんですか?~
第13章 もう一年、ご苦労さん! あれ~?双子?
第14章 殿ちゃま、男になる!(理事長実績編)
終 章 そして、桜の咲く頃に(女房に感謝を込めて)
第1章 昔々、桜の咲く頃、~(筑紫の国の舞鶴城址で)
(はじめに)
今は令和元年。今になっては、もう昔々の平成時代の話になるんじゃが、優しそうな顔立ちの平成天皇と見目麗しい美人で才女と誉れ高い美智子皇后がおられた平成の御代、それも戦争もない平和な時代の話じゃった。
日の本(現在の日本国)の南にある九州国の日向の国の話じゃ。日向の国は太平洋という大海原に面していて、漁業と農業を中心に産業が興されている田舎で、蒸気機関車よりも速く走るという新幹線もまだ通っておらず、交通は不便なところじゃった。 しかし、日向の国の気候は、日照時間も日本一で、「日本のひなた」と呼ばれるように温暖で穏やかだったので、土地の人々は、「男はいもがらぼくと、女は日向かぼちゃの良か嫁女」ということで人柄も、の~んびりしていて、争いごともあんまりなかったそうじゃ。
そんな日向の国の争いごとを一手に引き受けて解決してきた「殿ちゃま」という偉~い弁護士さんがいて、平成10年4月に九州国の一番偉~い「九州弁護士会連合会理事長」になりゃったげな。 理事長として、九州国全部を巡回して争いごとの解決の仕組みを広めるという大変な役目を担わなくてはならなくなったげな。 一人じゃ大変じゃということで、殿ちゃまは、自分の役目の手伝いをさせるために、もっと昔々の水戸黄門様のお話の格さん助さんみたいに細かいことをきちんとやれそうで、気の良さそうな若い弁護士「近ちゃま」を自分の秘書役(カバン持ち)にして、九州国を二人で巡る旅をしやったげな。 その旅の話をまあ聞いてみるとほんと面白いっちゃから、まあ、聞いちみてくだっさい。
(これから以下は、準・標準語に修正しています。)
(桜の咲く頃)
九州弁護士会連合会の理事長・殿ちゃまと事務局次長・近ちゃまは、日向の国から筑紫国(福岡県福岡市)まで、月に最低2回程度出張せんといかんかった。 九州弁護士会連合会(以下、「九弁連」と略称する。)の事務局が筑紫国にあり、九弁連の会務の統括業務をしなければならないからである。
九弁連事務局は舞鶴城址の筑紫国高等裁判所と同敷地内にある。敷地周囲は隣接している舞鶴城址公園と同様に「そめい吉野桜」で蔽われており、春には、咲く桜・散る桜でその風景全体が淡い桜色に染まる・・・。
その桜の咲く頃に、近ちゃまが日向の国からの飛行機から慌てて筑紫国に降り立って、そのまま地下を走る電気式移動車(地下鉄)に飛び乗って、あわてふためきながら、桜咲く舞鶴城址に着くと、殿ちゃまが会務資料の入った大きなカバンを抱えながら、一人お堀の端にたたずんで城址のお堀一面に広がる桜の景色を見入っていた。
近「先生、遅れました。すみませ~ん。」
と、その直前まで法曹関係者への理事長就任挨拶回りを殿ちゃま一人に任せてハワイ旅行に行っていた近ちゃまは、まだハワイでの南国的気楽さを残したまま、軽快なフットワークで、殿ちゃまに駆け寄る。
殿「おお、ようやく君の事務所の5周年記念事務所旅行のハワイから帰って来たか。昨日の理事長就任の挨拶回りは僕一人だけだったから大変だったよ。」
近「そうですかあ。お疲れ様でしたあ。」と気楽な答え。
殿「それにしても、この桜、見てごらん。光も向こうから来ている時間帯だから、いい写真が撮れる景色だよ。」
と殿ちゃまが言う。
殿ちゃまは、趣味の写真もしばらくあきらめて九弁連理事長会務に没頭しなければならないこれから一年のことを真剣に考えていた。 “もう自分も若くはないが、九弁連理事長としての激務でも無理をしなければ大丈夫だ。
この桜を、理事長を退任する一年後の春には、きっと清々しい気持ちで見れるはずだ。” ・・・殿ちゃまは、そんな自分の決意を今の桜景色に一年間預かってもらっておくのだという気持ちで桜を眺めていたのであった。
そんなことも知らない呑気で気楽な近ちゃまは、
近「ほんとですね~。ここの桜景色を見ると、私が弁護士になる前の平成3年4月1日にこの筑紫国裁判所を退職したとき、花束を抱えて裁判所職員同僚・部下に玄関から見送られて、それも黒塗り高級公用車に乗せられて見送られたことが想い出されます。 その時も今の様に桜が満開でした。そのときは、すぐに100メートル先で公用車を降りて、バタバタと裁判所書記官室に舞い戻って、書き残していた裁判調書を書いたんだったなあ。 退職後も2、3日登庁して裁判記録の引継ぎ整理をしたんだったなあ。 あのときは、司法試験に合格した喜びと司法研修所への入所準備での期待感の反面、残務整理の時間が足りなくて寝る暇もなく、大変だったなあ~。」
と、勝手に自分だけの回顧にふけっていた。
……実は、殿ちゃまの覚悟していたとおり、九弁連会務の「激務」がこれからスタートしようとしていた。
(法律解説)
1、そもそも「九州弁護士会連合会」とはどういう法的根拠で結成された連合会なのでしょう?
弁護士の資格と弁護士の組織については、弁護士法という法律が定めています。 弁護士法では、第8条(弁護士の登録)「弁護士となるには、日本弁護士連合会に備えた弁護士名簿に登録されなければならない。」、 第9条(登録の請求)「弁護士となるには、入会しようとする弁護士会を経て、日本弁護士連合会に登録の請求をしなければならない。」、 第32条(弁護士会設立の基準となる区域)「弁護士会は、地方裁判所の管轄区域ごとに設立しなければならない。」、 第89条(同じ区域内の弁護士会の特例)「この法律施行の際現に同じ地方裁判所の管轄区域内に在る二箇以上の弁護士会は、第三十二条の規定にかかわらず、この法律施行後もなお存続させることができる。」 という定めに従い、単位弁護士会は、地方裁判所の管轄区域ごとに設立するのが原則で、45の府県庁所在地と札幌・函館・旭川・釧路の各地方裁判所に対応して設けられている。 東京だけ例外として、歴史的経緯から3つの弁護士会(東京弁護士会、第一東京弁護士会、および第二東京弁護士会)が存在する(法第89条第1項)ことから、日本全国では52の弁護士会が存在します。
しかし、いわゆる高等裁判所を基本とした地区(九州・四国・近畿・関東など)に応じた弁護士会(例えば、九州弁護士会)の定めは弁護士法にもありません。 九州弁護士会連合会は、九州管内の各県単位会弁護士会の任意団体として結成されたものであり、法律に基づく正式な団体ではないのです。 名称も「弁護士連合会」ではなく、「弁護士会連合会」になっています。 任意団体とは言え、九州弁護士会連合会の理事長は九州内の当時は4,000名の弁護士のトップに立つことであり、1年に1回開催される九弁連大会(福岡高裁長官、福岡高検検事長、知事、市長等の来賓をお迎えした大会・参加弁護士数500人規模)を宮崎の地で計画実行するという大きな役目があります。 宮崎県弁護士会から初めてその九弁連理事長に就任されたのが、殿所哲弁護士(殿ちゃま)なのであります。
2、裁判所書記官とは、どういう立場の人でしょうか。
近ちゃまは、弁護士になるまでは、裁判所で裁判所書記官として働いていました。 裁判所に勤務する人には、裁判官、裁判所書記官、裁判所速記官、裁判所事務官、家庭裁判所調査官、裁判所技官、執行官、廷吏という職種があり、すべて国家公務員になります。 裁判所書記官は、裁判所法第60条で「1 各裁判所に裁判所書記官を置く。 2 裁判所書記官は、裁判所の事件に関する記録その他の書類の作成及び保管その他他の法律において定める事務を掌る。 3 裁判所書記官は、前項の事務を掌る外、裁判所の事件に関し、裁判官の命を受けて、裁判官の行なう法令及び判例の調査その他必要な事項の調査を補助する。 4 裁判所書記官は、その職務を行うについては、裁判官の命令に従う。 5 裁判所書記官は、口述の書取その他書類の作成又は変更に関して裁判官の命令を受けた場合において、その作成又は変更を正当でないと認めるときは、自己の意見を書き添えることができる。」 と定められている公務員です。 官職としては、書記官、主任書記官、次席書記官、首席書記官があり、最高位は、最高裁判所大法廷首席書記官になります。
3、司法試験制度について
司法試験とは、裁判官、検察官または弁護士になるための国家資格、すなわち法曹資格を付与するための国家試験ですが、1923年(大正12年)以前は、判検弁統一の法曹資格試験は存在せず、裁判官と検察官の候補生である司法官試補(現行法における司法修習生に相当)の採用試験である判事検事登用試験と弁護士試験が別個に行われていたようです。 その後、高等文官試験司法科試験となり、戦後の昭和24年から司法試験法が制定され、裁判官、検察官又は弁護士になろうとする者に対して、それに必要な学識及び応用能力を問うことを目的とした国家試験(司法試験法第1条)となっていますが、直接的には、裁判所法第66条2項で定める司法修習生になるための採用試験であり、司法研修所を卒業する際の「司法修習生考試試験」(いわゆる二回試験)に合格して始めて裁判官、検察官又は弁護士になる資格を得ることになります(裁判所法第67条1項)。
ただし、旧司法試験制度は、2002年(平成14年)の司法試験法改正により2011年(平成23年)の試験を最終として、新司法試験へ移行しました。 両試験の大きな違いとしては、(1)受験資格の点において、旧司法試験は受験資格制限がなく、中卒・高卒でも受験することができました(ただし、大学で一定の単位を取得していない人は教養試験に合格しなければなりません)。 が、新司法試験は法科大学院修了者のみを対象とした試験ですので、大学を卒業し法科大学院に入学、卒業した人しか受験することはできません(ただし予備試験に合格することで法科大学院を修了していない人も受験資格を獲得することができます。)。 (2)受験科目数や方式の改正により、新司法試験では、民事訴訟法・刑事訴訟法が両方試験対象科目に入っており、旧司法試験で行なわれた口述試験は廃止されています。 (3)合格者数については、旧司法試験が約400名から500名程度でありましたが、新司法試験では1,500人(多い時で3,000人)程度の合格者が発表されています。
(第2章へ続きます)
以 上
「無実の人の『無知の暴露』」と「真犯人の『作出した虚構』」のどっち?(将来の裁判員になる方々へ)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1、日本の刑事司法手続きにおいて、平成21年5月21日に一般市民が裁判員として重大刑罰の刑事裁判に関与する「裁判員裁判
制度」が始まって、10年を経過しようとしています。私は当初、この制度導入については消極的な立場でしたが、10年近く実施さ
れてきて裁判員に選任された方は大変な苦労をされながら裁判員裁判制度の意義を理解されているだろうと考えますと、この制
度を充実させていく方策を検討するということも法律家の役目なのだろうと思います。
2、判例時報2389号に立命館大学の浜田寿美男教授の刑事裁判上の「虚偽自白」についての論考「虚偽自白がどのようなものか
を知らずに虚偽自白を見抜くことができるのか」(以下、「論考」という。)があり、それを読んで非常に感銘を受け、このような判断
手法もあるということを裁判員の方々にも身に付けてもらいたいと思ったので、判例について私なりに理解した点をお話したいと
思います。
ここで、あらかじめ申し上げますと、「虚偽自白」という言葉ですが、普通「自白」は「相手方の主張する自己に不利な事実、又は
検察官の主張する犯罪事実を認めること」を言いますので、自白は自ら不利を認める真実のものだと考えられるため、通常は自
白で虚偽のことを言うことは想定されません。
しかし、自白の中に「自白した犯人が有利になるような虚偽の事実が入り込む」可能性はあります。例えば、他に共犯者はいな
いのに共犯者がいるという引き込み供述やもっと重い罪を隠すための、虚偽の事実の軽い罪についての自白などがそれです。
これを「真犯人の『作出した虚構』」と言います。
さらに最も大きな問題になっているのが、「犯人でもないのに犯人であると犯罪事実を作り出して供述する」という「無実の
人の虚偽自白」というものがあり得るかという点です。一般的には真犯人をかばうために自己犠牲となる虚偽自白が考えられま
すが、「真犯人をかばう必要もない無実の人が虚偽の自白をする」ということは一般的に考えられないとされています。
しかし、浜田教授の論考は、そのような虚偽自白は冤罪事件において示されるように頻繁に起きてしまうということを分析されて
います。無実の人の自白が客観的証拠と合わなくなって虚偽であることが判明する場合を「無実の人の『無知の暴露』」と言いま
す。
3、平成30年8月3日東京高裁(刑事)判決での「栃木小1女児殺害事件」(事件発生:平成17年12月1日、栃木県今市市(現日光
市)で下校途中の小学1年女児A=当時(7歳)=が行方不明となり、翌2日、茨城県常陸大宮市の山林で遺体が発見された。
約8年半後の26年6月、栃木、茨城両県警がK被告を殺人容疑で逮捕した事件(なお、凶器のナイフは見つかっていない。K被告
は捜査段階で自白したが、公判では否認している。)の有罪判決を問題としています。
(1) まず、この東京高裁判決では、一審判決(宇都宮地裁判決―無期懲役)で認定した公訴事実が、被告人の捜査段階での自白
どおりに「被告人は、平成17年12月2日午前4時頃、茨城県常陸大宮市甲字乙丙番丁所在の山林西側林道において、A(当時
7歳。以下「被害者」という。)に対し、殺意をもって、ナイフでその胸部を多数回突き刺し、よって、その頃、同所において、同人を
心刺通(心臓損傷)により失血死させた」というものであるのを、東京高裁判決は、控訴審での審理を通じて検察官の訴因変更
による殺害の日時を『平成17年12月1日午後2時38分頃から同月2日午前4時頃までの間に』と、場所を『栃木県内、茨城県
内又はそれらの周辺において』とそれぞれ改めた犯罪事実を認定して、一審判決を破棄しながらも、K被告が犯人であることは
間違いないとして一審判決と同様に「無期懲役」の有罪実刑判決をしています。
殺害時間については約13時間の幅が生じており、殺害場所も当初の茨城県常陸大宮市だけでなく、茨城県内どころか栃木県
内まで広げられた形の事実認定に変わっています。
(2) この点をわかりやすく説明するとすれば、控訴審判決は次のように言っている判決なのです。すなわち、刑事裁判では、本件
の場合、被害女児Aを「だれが、いつ、どこで、どのようにして」殺害したかという犯罪事実が認定される必要がある。第一審判決
はこの「誰が」という犯人性の部分は被告人が自白しているとおり正しく認定しているが、「いつ、どこで、どのようにして」という殺
害の日時、場所、態様については、被告人の自白を鵜呑みにしてこれを認定したために、本来なら「客観的に裏付ける証拠、そ
の信用性を支える事情の有無について検討すべき」ところを、それが不十分であり、犯人性の判断の中に埋没するようなことに
なって、結果的に殺害の日時、場所、態様に関して被告人が語った自白内容が客観的事実と矛盾することを見抜けなかったの
で、改めて、控訴審で客観的証拠の範囲内で殺害の日時、場所、態様に関して広い範囲での事実認定をして、有罪(無期懲役)
判決を維持したというわけです。
(3) このような控訴審の判断手法に対して、浜田教授は心理学的な視点から、また、自白調書を「証拠」として見るのではなく、取調
べの場における人間現象を記録した「データ」と見るという視点から、大きな疑問を呈しています。「裁判官たちは、無実の人が自
白に落ち、虚偽の自白を語っていく、語らざるを得なくなるその心理過程を正しく理解しているのだろうか。」という疑問です。
そして、自白調書に犯行事実に関して客観的証拠と明らかに異なる虚偽の事実が入っている場合に、法律的には「真犯人が
『作出した虚構』」という方向へ評価されるのか、それとも無実の人が『作出せざるを得なかった虚構』(このことを浜田教授は「無
知の暴露」と呼ばれている)という方向へ評価されるのかの問題になります。
4、「殺害の日時、場所、態様」に関する自白と客観的証拠の不一致をどのように評価するかについて
(1)弁護人は「本件自白供述のうち殺害の日時、場所、態様等に関する部分が、遺体発見現場付近や遺体の客観的状況と矛
盾するのは、被告人が取調官の追及により実際には体験していないこと(知らないこと=無知)を誘導や想像で供述させら
れたからである。被告人が真犯人でないことを示している。」という評価をしています。
(2)これに対して、控訴審判決では「本件自白供述のうち、殺害犯人であることを自認する部分を超えて、本件殺人の一連の
経過や殺害の態様、場所、時間等に関する部分にまで信用性を認めた原判決の判断は是認することができない。」
ただし、「本件自白供述における殺害の経緯及び態様は、通常想定されるものとはいえないし、遺体に認められる創傷か
らそのような犯行態様が推認されるものではなく、その他、本件の関係証拠の中にそのような経緯や殺害態様であったこと
を示すものがあるわけでもない。したがって、本件自白供述が取調官の誘導に基づくものとは考えられないし、そのような
状況をうかがわせる証拠もない。以上のとおり、被告人が供述しようとしても、犯行の体験がないために、具体的な供述が
できず、捜査官から与えられた情報に基づいて本件自白供述が構成されたというような状況は認められず、弁護人の所論
は、根拠を欠くものである。」とし、犯人性の認定には影響を与えないとした。他方、「状況証拠から認められる間接事実を
総合すれば、被告人が本件殺害犯人であることが合理的な疑いをさしはさむ余地なく認められる。」「原審判決は、(客観的
証拠との不一致の犯行日時・場所・態様等は)被告人の作出した虚構である可能性に思い至らなかった(にすぎない)」とし
ています。
(3)その点につき、浜田教授は、自白供述過程の心理学的視点から、無実の人は、取調官の誘導で事実を語るのではなく、自
分が犯行事実については「無知」であるからこそ、事実を想像して語るのであるということを指摘されています。
論考では「虚偽自白は、一般に取調官が把握した客観的事実から犯行筋書きを想定して、その想定に沿って無実の人を意
図的に誘導して出来上がるものだと考えられやすいが、実態はそういうものではない。むしろ、無実の人が自白に落ちてし
まった後は、自ら「犯人になり」「犯人を演ずる」形で、取調官の追及に沿いつつ、犯行の筋書きを自分から想像して語り出
していくほかない。」「そして、自白内容が後の捜査あるいは検証過程で客観的証拠と合致しないと判明したとき、それは無
実の人が想像で語ったためだという可能性が浮かび上がる。
そのことを私は『無知の暴露』として犯行の非体験者の自白の証拠であると指摘してきている。」「無知の暴露は、被告人
のみの無知ではなく、被告人と取調官の両者の無知なのである。」と説明されています。
5、無実の人の犯人性の虚偽自白後の犯罪事実に関する自白供述過程について
犯罪事実は、犯人と被害者と神のみが知っている事実です。取調官も裁判官も証拠から犯人性を推認できるだけです。そこで、
真犯人以外の無実の人は本当は知らないのにどのような心理過程を経て自白調書ができ上がるのでしょうか。論考で説明され
ているその心理過程をまとめてみますと、
(1) 無実の人が取調べが苦しくなって「自分が犯人である」と自白した。
(2) 取調官は、犯人が「落ちた」ということで無実の人を犯人だと確信を強める。
そして、取調官は「犯行内容は犯人しか知ら
ないから、自白した者自身の口で語ってもらうしかない」と考える。
(3) 無実の人は、実際には犯行は体験していないのだから、取調官から質問されても「知らない」と答えるしかないが、犯人性を自
白した以上は、取調官は「分からない」では済ませないだろうと考えてしまう。そこで犯人になった場合を想像して考えていくこと
にする。
(4) 想像した話をしてみる。
(5) 取調官は客観的証拠に合致する話であれば調書へ記載する。合致しない話は再度質問を繰り返し、客観的証拠と反しない話
が出るまで取調べを続ける。取調官に客観的証拠が得られていない事実内容については、不自然なものでない限りそのまま無
実の者の供述が受け入れられていく。(無実の人と客観的証拠の無い取調官双方の「無知」)
(6) その繰り返しで、徐々におおよそ客観的証拠と矛盾しない自白調書全体が作られていく。
(7) 一旦、自白調書が出来上がった後に、事後の捜査や弁護人の反証によって、客観的事実と合致しない自白調書であることが判
明する(無知の暴露)場合が起こる。
(8)被疑者・被告人が全面自白した後に、真犯人がもはや嘘を言う理由もなく、記憶違いをする可能性もない部分について、客観的
証拠と決定的に食い違う自白が語られたとき、それは無実の人がその犯行を知らないこと(真犯人ではないこと)を示している。
とされています。このような「無実の人」が「真犯人を演じて」「犯罪事実を語る」という自白供述の心理過程は、裁判員の方々に
も基本的な知識として必要だろうと思います。
6、控訴審判決の手法への批判
栃木小1女児殺害事件控訴審判決は、「被告人の自白と客観的な事実との不一致が確認できた場合に、もっぱら有罪を前提
に、その不一致に関して真犯人である被告人の「作出した虚構」である可能性のみを考え、その不一致が「無実の人の虚偽自
白」であった可能性を検討すらしようとしていない」(浜田教授見解)と非難されているように、本来の刑事司法での「無罪推定の
原則」を理解しない不当な判決だと批判されてもやむを得ないものと思われます。
以 上
ゴミ袋のゴミの所有権は誰にあるの?
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
「ゴミの所有権」って??
そもそも、みんなが不用なものとして捨てる物、又は、ゴミ回収に出す物などに「所有権」という法律上の権利が問題になんかなるの?と思われるでしょうね。
しかし、次のような法律相談を法律的にご回答する場合には、「ゴミの権利」「ゴミの所有権」から考えないと解決できないのです。
〇(相談Ⅰ)市町村のゴミステーション(集積所)に廃棄排出されたゴミや、回収日に道路脇に出された資源ゴミが、廃品回収業者などに 勝手に持ち去られてしまいます。
勝手に持ち去る業者に刑事上の処罰を受けさせることはできないのでしょうか。
○(相談Ⅱ)市町村としては、ゴミステーションに出されたゴミ袋が廃棄区別をしていないものも多く、廃棄基準や選別基準に合っていないゴミは排出者に返還する対応をしたいが、市町村(担当職員・委託を受けた者)が排出者特定のためにゴミの中を勝手に調べてよいのでしょうか?
○(相談Ⅲ)市町村は警察が求めて来た1軒ごとに回収したゴミ袋を他のゴミ袋と混ざらないように回収して欲しいとの要請を受け、回収した特定の1軒のゴミ袋を警察が任意提出を求めてきたので提出したがそのゴミの付着物から刑事犯罪の犯人のDNAが検出された。警察へのゴミの任意提出及び領置は、本来、特定の1軒に存置する物(ゴミ)を捜索差押令状で取得すべきものであり、令状主義違反の手続きではないでしょうか? (参照条文:刑事訴訟法第221条:(領置)検察官、検察事務官又は司法警察職員は、被疑 者その他の者が遺留した物又は所有者、所持者若しくは保管者が任意に提出した物は、これを領置することができる。)
(ご説明)
この相談例を考える場合、冒頭に申しましたように、そもそもゴミステーションやゴミの回収場所に置かれたゴミについて、そのゴミの所有権は誰にあるのでしょうか、それとも捨てられた物「無主物」として、誰の所有権もないのでしょうか、ということを考える必要があります。
○≪回答≫
1、ゴミの所有権の帰属について―対外関係について
物に対する所有権は、「所有権絶対の原則」から所有権放棄をすることもでき(無主物となる)、他に処分をする(所有権移転等)ことも所有者が自由にできるというのが原則です。しかし、ゴミについては、廃棄物の処理及び清掃に関する法律の第16条(投棄禁止)で「何人も、みだりに廃棄物を捨ててはならない。」との法律による制限規定があるので、勝手に所有権放棄(廃棄)はできないことになっています。
そうなると、条例の定めるゴミ出し日に、ゴミステーション等に出された(ゴミ出し者の)ゴミ袋、及びその中のゴミの所有権は、「所有権放棄ではなく、所有権が移転する」という形で出されていること」になります。
この点、判例上は、ゴミステーションに出されたゴミ袋から目ぼしいものを勝手に持ち去った行為が遺失物横領罪又は窃盗罪になるかどうか、又は条例の罰則適用は合法かという観点で、ゴミの所有権の帰属を判断した例があります。以下のとおり、対外的な第三者に対する関係では、所有権放棄ではなく、地方公共団体か、ゴミ排出者のどちらかに所有権はあるとの判例上の判断が出ています(下記(1)(2)(3)の判例)。
なお、ゴミステーションではなく、公道上の集積場所に置かれたゴミについては、下記(4)の判例があり、判例上は遺留物とされています。また、ゴミステーションのゴミは一般的には「無主物(所有権放棄された物)」とは言えないとしても、住居者が廃棄したという意思を明確に有する場合には、民法上は「無主物」とせざるを得ないとした判例(平成19年12月13日東京高裁判決)もあります。
(1)平成19年12月13日東京高裁判決(世田谷区清掃・リサイクル条例違反事件)
区民が集積日に集積所へ排出した古紙や缶等の資源廃棄物については、区が回収することを前提に集積されるもので、区民
が集積所に排出したからといって所有の意思を放棄したものではなく、むしろほとんどの場合は、区によって回収されるまでは区
民によって所有・占有されており、区が回収することによってその所有権や占有権が区に移転、承継されるものと考えるのが相
当である。したがって、集積所の資源廃棄物は、一般的には無主物ではないというべきである。
(2)平成19年12月26日東京高裁判決(世田谷区清掃・リサイクル条例違反事件)
区民は、行政回収のために区に引き渡す意図で集積所に古紙等を置き、区側は、程なくこれを必ず回収することになるのである
から、古紙等が集積所に置かれることによって、民法第239条第1項の無主物の状態が出現するということ自体が、甚だ疑問で
あり、むしろ、行政回収システムに基づき集積所に置かれた古紙等は、民法の解釈としても、その置かれた時点から区の所有に
属することになり、
同項の定める所有者のない動産には当たらないと解するのが相当である。
(3)平成20年1月10日東京高裁判決(世田谷区清掃・リサイクル条例違反事件)
区民が、古紙等の資源を収集日に資源・ごみ集積所に排出するのは、これを再生利用の目的となる有価物のものとして、
区の収集、回収によるリサイクル事業に委ねるためである
から、区又はその委託を受けた収集運搬業者が資源・ごみ集積所からこれを収集してその占有下に収めるまでは、一般に、
区民は、なお継続してこれを所有占有している
ものとみるべきである。
(4)平成20年4月15日最高裁判決
公道上の集積場所に置かれたゴミの領置について「ゴミ処分者は、その占有を放棄していたものであり、排出されたゴミが通常
収集されて他人にその内容が見られることはないという期待があるとしても、捜査の必要がある場合には、刑事訴訟法第221条
によるこれを遺留物として領置することができる。
2、ゴミの所有権の帰属について―内部関係について
しかし、ゴミステーションのゴミの所有権が、回収する市町村か、ゴミ排出者のどちらかにあるかという内部関係での所有権の帰属を直接判断した判例は見当たりません。
ゴミ廃棄は、法律的には、ゴミ排出者とゴミを回収する市町村との間にゴミ廃棄委託契約があると思われますので、暗黙に、「①ゴミ排出基準に合ったゴミについては、ゴミの所有権は回収する市町村に所有権及び処分権を移転させ市町村が廃棄する。②ゴミ排出基準に合わないゴミについては、市町村は引き取らずに所有権も移転させない。」という合意のある制度になっていると解釈することが可能だと思います。
また、ゴミ廃棄委託契約においては、黙示の契約として、「廃棄排出基準に合うかどうかの審査のために、回収する市町村はゴミ排出者の所有権の下にある間でも、ゴミステーションの置かれたゴミの検査・調査ができる権限を与えられている」と言える(合理的解釈)と思われますが、明確な口頭合意があるわけでもないし、個々の住民との間で委託契約書を取り交わすことも不可能ですので、市町村は条例でその旨(ゴミ所有権の移転時期の定めと、ゴミ所有権が移転しない場合でも排出基準検査のための検査権を有するとの定め等)を規定することが望ましいと考えます。
そうすれば、市町村及び市町村から管理委託された自治会役員等が、違法なゴミ排出者特定のためにゴミの中を勝手に調べても、原則として、プライバシーの侵害等にはならないということになります。(注意:違法なゴミ排出者の特定又は基準違反かの判断に必要な範囲での調査が許されるだけで、そのような調査に不必要なゴミの内容・不必要な個人情報にまで調査してしまうと、プライバシーの侵害となるので、その点は注意する必要があります。)
3、(相談Ⅰ)の回答
条例の定めるゴミ出し日にゴミステーション等に出された(ゴミ排出者の)ゴミ袋の所有権は、所有権放棄ではなく、回収側の市町村かその回収業務担当
者へ所有権が移転する形で出されていることになります。
この点、判例上も、ゴミステーションに出されたゴミ袋から目ぼしいものを勝手に持ち去った行為が、遺失物横領罪又は窃盗罪になるとしていますので、勝手にゴミを取っていく行為は刑事上の処罰を受ける可能性があります。また、条例に定められた「持ち去り行為禁止違反」として処罰される場合もあります。
4、(相談Ⅱ)の回答
市町村(担当職員・委託を受けた者)が排出者特定のためにゴミの中を調べることは、原則として許されます。しかし、調べる範囲は違法なゴミ排出者の特定又は基準違反かの判断に必要な範囲に限定されますし、それらに不必要なプライバシ―を侵害するような内容の調査や方法を採ると違法な行為となる場合がありますので、その点を留意して下さい。
5、(相談Ⅲ)の回答
この相談事例は、東京高裁平成29年8月3日刑事判決で問題となった事案です。問題点としては、①警察がゴミ収集での協力を依頼してきたのは、1軒毎回収方式でまだ犯人の屋敷の中のゴミ回収場所に置いてあるゴミ袋についてのことであったこと(この時点で警察が領置するには捜索差押令状が必要になると思われる。)、②市町村はゴミ収集目的で各軒の屋敷に立入りゴミ袋を回収ができる契約(合意)になっていたことに基づき、ゴミ袋を回収した時点でゴミ所有者は市町村になるので、その時点で市町村からの任意提出を受け領置させるのは、市町村に立入許容範囲外の立入をさせており、市町村の屋敷立入行為の違法性があり違法なゴミ回収になるのではないか、という点です。
東京高裁判決では「本件ゴミ袋は、被告人宅敷地内の木箱の中に置かれていたものであって、その時点においては、被告人に物理的な管理支配関係としての占有が残っており、刑訴法第221条にいう遺留物には当たらないと解される(領置はできない)」「しかしながら、本件ゴミ袋は、被告人宅敷地内の木箱の中に置かれた時点で、市のごみ収集担当職員に対しゴミとしての収集が委ねられたものであり、同職員としても通常業務の一環として本件ゴミ袋を被告人宅敷地内から収集したものであって、遅くとも同職員において敷地内から搬出した時点で本件ゴミ袋について正当に物理的な管理支配としての占有を有するに至ったというべきである。
その上で、その後、運搬先で警察官に本件ゴミを任意提出したものにすぎず、本件は住居侵入及び強盗強姦という重大事件の捜査に必要なものであり、高度の捜査の必要性が認められる(領置は違法ではない)」としています。
しかしながら、個人的見解ですが、この判例の結果には違和感があります。
犯罪捜査であるとしても、一般人を基準としたプライバシーの権利を不当に侵害するものであってはなりません。相談Ⅱで述べましたように、ゴミ収集委託についての常識的な解釈としては、一般人がゴミ袋に入れたゴミを収集担当職員に引き渡すのは、最終的な焼却・廃棄まで内容物が何人の目にも触れないで処理されるという合理的な期待をしていると解することになるのではないかと思います。このプライバシーの保護の観点から言えば、本件事案のように、ゴミ収集職員は収集後に警察がゴミの内容を捜査するということを事前に知りながらゴミ収集をしているのだとしたら、仮に「物理的な管理支配としての占有」を取得したとしても、他人に内容捜査をさせてもいいという意味での収集委託は受けていないと解釈できますので、市町村及びその担当者においては、警察捜査機関からの任意提出の求めに応じる権限まで有しないのではないでしょうか。
その意味で、任意提出権限のない市町村担当職員からの任意提出に基づく領置は、法的根拠を欠く違法な手続きとなる可能性があるようにも考えられます。この点は、警察の捜査手続きの違法性に結果的に関与してしまう可能性があるという意味で、市町村のゴミ収集業務としては、プライバシーの保護という観点は留意しておくとよいでしょう。
以 上
ジョギングも気をつけて走りましょう!(犬にぶつかりそうになって転倒)
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
(問題)ある日の午前中、町内の公道を、Xはジョギングをしており、Yはミニチュアダックスフンド(犬)を散歩させていたところ、Yの飼い犬が他の犬に興奮して強く走り出してしまったためYは、リードから手を放してしまい、Yの飼い犬が勝手に前の通行人Aの後ろへ走り出してしまった。他方Xは、かまぼこ型に曲がっていた公道の反対側から時速約10km程度のスピードでジョギングしていたが、曲がり終わった地点で、通行人Aを急に発見する状態になって、Aとの距離約2m手前で衝突を避けるために右側にAを避けたところ、丁度その右側後方からYの犬が走ってきていたのでそれに驚き、その犬を更に避けようとして転倒してしまい、右手前腕の骨折、顔面挫創(入院9日・通院54日)のけがを負ってしまった。このけがについての法的責任(賠償責任)は誰が負うのでしょうか。
逆に、この事案で、Xが対向歩行者のAにぶつかってしまい、Aが転倒してけがを負った場合は、誰がその責任を負うことになるでしょうか。
(解説)健康志向の世の流れに沿って、日本のお家芸であったマラソン競技や駅伝競技がスポーツとして人気を得るばかりか、市民マラソンが隆盛となり、日常生活での趣味としてのマラソン、ジョギングが庶民の健康方法として定着しています。お正月も初走りということでジョギングを楽しんだ方も多いことでしょう。走ることに苦しみではなく、快感を覚えている人たちが多くなっているのでしょうね。ただし、公道をジョギングする場合には、自転車の速度に近い状態で走っているわけですから、通常の歩行とは異なり、その速度に伴う交通上の危険を内在していることを、ランナー(走者)の方々は認識しておく必要があります。本件は、その点を法律的に検討しようというものです。
1、賠償責任とは?
賠償責任とは、民事上の責任であり、債務不履行(民法第415条)の場合の賠償責任と不法行為(民法第709条)の場合の賠償責任の二つがあります。本件では、けがをしたXと関係者のYやAとは契約関係はなく、債務不履行責任は問題になりませんので、不法行為責任としての賠償責任(民法第709条、民法第718条等)がAにあるのか、Yにあるのか、それともXの自己責任で終わってしまうのかが問題になります。(ちなみに、動物であるYの犬は「物」であり、権利主体又は責任主体となる「人」ではありませんので、犬自体に責任を負わせることはできません。犬の管理責任として飼い主のYが責任主体となるだけです。(民法第718条参照)賠償責任とは、民事上の責任であり、契約不履行(民法第415条)の場合の賠償責任と不法行為(民法第709条)の場合の賠償責任の二つがあります。本件では、けが怪我をしたXと関係者のYやAとは契約関係はなく、債務不履行責任は問題になりませんので、不法行為責任としての賠償責任(民法第709条、民法第719条等)がAにあるのか、Yにあるのか、それともXの事故責任で終わってしまうのかが問題になります。(ちなみに、動物であるYの犬は「物」であり、権利主体又は責任主体となる「人」ではありませんので、犬自体に責任を負わせることはできません。犬の管理責任として飼い主のYが責任主体となるだけです。(民法第718条参照)
2、不法行為責任の主体は?
不法行為責任は、①損害を与えた人の行為に「故意又は過失」があること、②損害が生じたこと、③行為と損害発生との間に相当因果関係があることが必要とされています(民法第709条)
(1)本件では、②の損害(けが)がXに生じていますので、その原因と考えられる人の行為に「故意又は過失」があることが必要です。Xのけがの原因は誰の行為にあるでしょうか?
(2)故意とは、けがの発生を認識しながら、けがが生じても良いと認容したことです。過失はけがを予見しなければいけなかったのにそれを怠ってけがをさせた場合を言います。過失はそもそも予見できない場合には責任を認めることはできません。
ア それでは、「Aさんが公道を歩いていたこと」が、故意又は過失になるでしょうか。
Aさんの立場からは、公道を歩いていて、見えない曲面の先から結構早いスピードでジョギングをしてぶつかりそうになる人がい
ることを予想できるでしょうか?あるいは予想しながら慎重に歩くことが求められるでしょうか?一般的には、故意又は過失は社
会的に違法(法益侵害をする危険性のある行為)と思われる行為についての主観的要件として認められる場合が多いことからし
ますと、そもそも公道を歩くことが違法又は危険な行為とは評価できないでしょうし、常に誰かが危険な行為をすることを予想し
ながら歩かなければならないとすることは不可能を強いることになります。歩道を単に歩いているAさんには故意又は過失の責
任を認めることはできません。
イ それでは、Yさんはどうでしょうか?Yさんは、自分の飼っているミニチュアダックスフンド(犬)を散歩させていましたが、ここまで
は社会的に許される行為です。
犬のリードから手を放してしまったという行為には、何か落ち度(過失)がありそうですが、その原因は、自分の飼い犬が他の犬
を見て興奮して強く走り出したことが原因なのですが、そういう場合を想定して犬の急激な行動を制御するためのリードですか
ら、強く走り出したことが原因なのですが、そういう場合を想定して犬の急激な行動を制御するためのリードですから、それを手
放してしまったことは、犬が走り出して人に対して危険なことをする可能性を作り出してしまったことになり、管理ミス(管理過失)
を認めざるを得ません(要件①)。
しかし、その犬は、実際には、被害者のXに飛びかかったわけでもなく、咬んだわけでもなく、Xのけがとの間に相当因果関係
はあるのでしょうか?(要件③)その検討が必要です。
ウ 最後に被害者であるXの行為はどうでしょうか?ジョギングを公道で行なうことは社会的に許される行為でしょう。早いスピード
でジョギングすることも本来は社会的にも許されている範囲でしょう。ただし、見通しの悪いかまぼこ型曲面の公道を走るという
場合には、先方の見通しも悪く、対向歩行者の存在の可能性を予想することは必要でしょう。その意味では、公道上の対向者に
ぶつからないように注意して走るという結果予見義務も回避義務もこのような場合には求められるだろうと思われます。Xは曲が
り終わった時点ですでに対向歩行者のAとぶつかりそうになっていますので、その予見義務を怠ったと認められると考えます。そ
れを避けるために右側に避けているのですが、その避けた先にYの飼い犬が足元近くまで走ってきていたので、それに驚いて転
倒した。Xの転倒はXの不注意だけでなく、「Yの飼い犬が足元近くまで走ってきていた」ということも原因の一つになっている
ようなので、Xの自己責任ということにもならなさそうです。
3、判例の見解(大阪地裁平成30年3月23日判決―判例時報2386-47)
問題の事案について、大阪地裁判決は、「Yが特別な状況でもないにもかかわらず、突然、飼い犬が走り出したことにより手を放してしまい、飼い犬が単独で道路を進行したことにより、本件事故(Xのけが)が発生したものであって、事故の主たる原因は,Yが飼い犬を係留しない状態にしたことにある」として,Yの不法行為責任(民法第718条動物管理責任)及び相当因果関係を認めました。更に、被害者Xにおいても、「ジョギング中において前方確認や進行速度を適切に調整することにが不十分」であり、これが事故の発生に影響していることも否定できないので、一割の過失相殺を認めるとしています。
この判決は、控訴されています。YはXの過失は3割を認めるべきであると主張していましたので、もう少しXの過失性が高いと判断される可能性が残っています。。
4、最後に、この事案で、Xが対向歩行者のAにぶつかってしまい、Aが転倒してけがを負った場合の責任問題についてはどうなるでしょうか。
公道の利用方法としては、歩行者Aには何ら過失的要素はありませんし、逆に、結構速い速度で走って来ていたXには判例でも認められているように、「ジョギング中において前方確認や進行速度を適切に調整することにつき不十分である」という過失責任が認められ、その結果、歩行者Aがけが(損害)を負っていますので、相当因果関係も認められ、Xが不法行為としての損害賠償責任を負うことになります。
自分の健康管理のためであれ、ジョギングも人に迷惑をかけたりしないような配慮は必要です。ジョギングする人は、公道を利用する以上は車と同じような「前方確認や進行速度を適切に調整する義務」があることを十分に自覚されるほうがよろしいかと思います。気をつけて走りましょうね。
以 上
お正月と法律(その⑤)~天皇即位によるカレンダーと休日~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
あけましておめでとうございます。
新元号の年を迎えています。お正月になると、新しい年の「年神様」をお迎えし、全てが改まった新鮮な気分になります。その一つとして、暦やカレンダーが新しくなっていることに気を留めてみてはいかがでしょうか。
第一、今年のカレンダーの作製の苦労について
今年(平成31年?)の新春のカレンダー作りは大変だったろうと思います。なぜなら、今上天皇(継宮明仁天皇・つぐのみやあきひと)陛下が退位されるので、元号の「平成」は30年で終わり、次の元号の発表に合わせて作製することが求められますし、新たな天皇(浩宮徳仁殿下・ひろのみやなるひと)の即位による国民の休日を定める予定があったからです。
1、新元号はいつから?
一昨年(平成29年)退位期日の政令公布日の政府発表では、「天皇陛下の退位日を平成31年(2019年)4月30日とし、皇太子様は翌日5月1日に即位する」と決定されています。新元号は、今年(平成31年)5月1日から適用される予定です。
2、新元号の発表時期は?
政府発表では、新元号の発表は、上記元号改元の1ケ月前の今年(平成31年)4月頃としてますが、平成31年2月24日に天皇陛下在位30年記念式典が実施される予定であり、それ以降の天皇陛下の公務に区切りがついた適切な時期に公表する方針であるとも言われています。
3、カレンダー製作時期と元号表示不能
他方、新年のカレンダー作製は、前年の10月には始められますので、今年(2019年)のカレンダーは、その作製時期において「新元号」の表示はできないことになりましたし、元号を使うとしたら「平成31年」の表示、使わないとしたら西暦での表示のみがなされたカレンダーもあるようです。
4、休日の記載について
問題は、新元号表示の問題だけではありません。天皇退位・天皇即位により、天皇誕生日等の「国民の休日」がどのように改正されるかの問題もありました。
この点、昨年の内に安倍総理大臣が、「皇太子様が即位される2019年5月1日、即位を公に宣言する「即位礼正殿の儀」が行われる2019年10月22日を、1年限りの祝日とする検討を進めている。」と明らかにしましたが、天皇誕生日としての休日は、今年(2019年)は現行の12月23日の天皇誕生日には、今上天皇は天皇ではないので休日にならないでしょうし、新たな天皇(現皇太子)の誕生日の2月23日にはまだ天皇ではないので、2月23日を天皇誕生日にすることもできないという状況になりますので、今年(2019年)は「天皇誕生日」の休日はないということになります。
5、春の連休は10連休?
ところで、今年(2019年)4月及び5月のゴールデンウィークは10連休になるという話はご存知だったでしょうか。そのことを「国民の祝日に関する法律」から説明しておきます。
(1)第2条で「国民の祝日」として、4月29日(昭和の日)、5月3日(憲法記念日)、5月4日(みどりの日)、5月5日(こどもの日)が定めてあります。
(2)第3条第2項で「「国民の祝日」が日曜日に当たるときは、その日後においてその日に最も近い「国民の祝日」でない日を休日とする。」第3条第3項で「その前日及び翌日が「国民の祝日」である日(「国民の祝日」でない日に限る )は、休日とする。」と定めています。
(3)今年(2019年)は天皇の退位。新天皇の即位があるので、5月1日を1年限りの祝日とする法律(改正)がなされました。そこで今年のゴールデンウィークのカレンダーの一覧を作製してみますと、次のようになります。
つまり、通常暦の5月1日の平日を「1年限りの休日」としたことにより、祝日で挟まれた平日の4月30日と5月2日が「休日」扱いになる(第3条第3項)ことから、10連休となるゴールデンウィークが生まれるわけです。
第二、正月休日で問題になる「期間の数え方」
天皇の退位・即位と「休日」に関連して、特に正月休日で問題になる「期間の数え方」を話させていただきます。
世の中の契約や約束などの法律行為では、「○○日までに支払います。」とか「一月後に支払います。」との期限(最終期日を定めた約束をする場合が多くあります。また法律の定め方でも、判決や行政処分などに対して「二週間(又は14日)以内に控訴申立てができる」「3ケ月以内に異議申立ができる。」等と定めている場合が多くあります。
1、この期間の数え方についても、民法という法律が次のとおり定めています。
民法第138条(期間の計算の通則)
期間の計算方法は、法令若しくは裁判上の命令に特別の定めがある場合又は法律行為に別段の定めがある場合を除き、この
章の規定に従う。
民法第139条(期間の起算)
時間によって期間を定めたときは、その期間は、即時から起算する。
民法第140条(暦法的計算による期間の起算日)
日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は、算入しない。ただし、その期間が午前零時から始まるときは、こ
の限りでない。
民法第141条(期間の満了)
前条の場合には、期間は、その末日の終了をもって満了する。
民法第142条(期間の満了の特例)
期間の末日が日曜日、国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)に規定する休日その他の休日に当たるとき
は、その日に取引をしない慣習がある場合に限り、期間は、その翌日に満了する。
民法第143条(暦による期間の計算)
(1)週、月又は年によって期間を定めたときは、その期間は、暦に従って計算する。
(2)週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応
当する日の前日に満了する。
ただし、月又は年によって期間を定めた場合において、最後の月に応当する日がないときは、その月の末日に満了
する。
2、休日と最終期限の確定例えば、平成30年12月15日(土)に敗訴判決書を郵便で受け取ったとして想定事例を考えてみます。民事裁判の判決に対しては、民事訴訟法の定めにより「判決を受領した日から2週間以内に控訴申立てができる」と定められていますので、2週間の最終期限日は、次のような計算をしていきます。
(1)「判決を受領した日」は、平成30年12月15日(土)です。
(2)それでは、「2週間」というのはどういう計算でするのでしょうか。
ⅰ>まず、民法第140条「日、週、月又は年によって期間を定めたときは、期間の初日は、算入しない。」(初日不算入の原則
といいます)との定めがありますから、期間算定の初日は「12月16日(日)」になります。
ⅱ>次に、民法第143条1項で「暦に従って計算する」わけですが、これは、例えば、2ケ月という場合に、1ケ月31日の場合と
1ケ月30日の場合と日数が異なることが考えられます。日数の多寡にかかわらず、月数で単純に計算するという意味で考え
ていただければいいのですが、2週間の場合には、民法第143条第2項「週、月又は年の初めから期間を起算しないときは、
その期間は、最後の週、月又は年においてその起算日に応当する日の前日に満了する。」ということで、暦を見てみれば、
起算日の12月16日(日曜日)の二週間後の応当日は「平成30年12月30日(日曜日)」であり、「前日」は「平成30年12月29
日(土曜日)」になります。
ⅲ>そうすると、本来は、判決不服申立てとしての控訴申立ては「「平成30年12月29日(土曜日)」の24時になる前(民法第141
条の「末日の終了」)まで可能ということになります。
ⅳ>しかしながら、この場合、12月29日は年末休日ではないかという問題がありますので、最後に、民法第142条「期間の末
日が日曜日、国民の祝日に関する法律(昭和二十三年法律第百七十八号)に規定する休日その他の休日に当たるとき
は、その日に取引をしない慣習がある場合に限り、期間は、その翌日に満了する。」の定めがあり、この「平成30年12月29日(土
曜日)」が、この「期間の末日が日曜日、国民の祝日に関する法律に規定する休日その他の休日に当たる」のではないかと
いうことを検討することになります。
国民の祝日に関する法律には「12月29日、30日、31日」の年末休日の定めはありませんが、行政機関の休日に関する法律第1条第1項3号により「12月29日、30日、31日、1月2日、3日」を行政機関の休日としていますので、民法第142条の「その翌日」というのは、休日が1月3日まで続きますので、「平成31年1月4日」となり、控訴はその日まで可能であるという算定になります。
(3)なお、今年(2019年)4月及び5月のゴールデンウィークは10連休になるということを述べましたが、その場合にも、仮に、最終期限日が2019年(平成31年又は○○元年)4月27日(土曜日)」である事案であった場合には、その最終期限は、それから10日後の「5月7日(火曜日)」まで伸びる結果になります。
期間の進行も、期限の最後の日については、「人の休みのときは、期間の進行も休んでいる」ということです。
以 上
遺言書の訂正・変更・撤回
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
私の叔母(夫死亡、子供はなく相続人は甥A・姪B・姪Cの三人だけ)の遺言書(叔母の自筆証書)が次のようになっていた場合、誰が財産を受け取ることができるでしょうか?
遺言書の内容は、最初は「私の全財産は、姪のCに全部贈与する。日付・自筆署名・押印」となっていました。
☆設例(1):遺言書の内容のうち、「姪のC」の部分が二本線が引かれて押印して消してあり、姪のBと横に書いてあって、遺言書の末尾に、「姪のCを姪のBに変更した。日付・自書署名・印」と書き加えられている場合。
☆設例(2):遺言書の内容のうち、「姪のC」の部分が二本線が引かれて消してあり(押印なし)、姪のBと横に書いてあったが、遺言書の末尾にも何も付記されていない場合。
☆設例(3):遺言書は1枚だけの用紙に書かれていたが、その一枚に赤色ボールペンで、左上から右下にかけて一本の線が引かれていて、末尾にも何も付記されていない場合。
<解 説>
高齢社会になると高齢者の多くが通帳に預金が残っていたり、つつましく老後を過ごされ蓄財された財産が残されていたりして、相続人間で遺産分割等の争いになる例も増えています。そのような争いを避けるために「遺言書」を作成されている高齢者の方々も多くなりつつありますが、遺言書自体が争われる場合もあり、人の紛争は絶えることがないのだろうかと考えたりします。そこで、今回は、その遺言書をめぐる解釈の争いの事案を説明していきます。
1、遺言書の訂正・変更については厳格な様式が定められています。
遺言書は、遺言者自らが自書する方法でも認められていて、自筆証書遺言又は自筆遺言書は、要式行為であり、民法第968条で、「1、自筆証書によって遺言をするには、遺言者が、その全文、日付及び氏名を自書し、これに印を押さなければならない。2、自筆証書中の加除その他の変更は、遺言者が、その場所を指示し、これを変更した旨を付記して特にこれに署名し、かつ、その変更の場所に印を押さなければ、その効力を生じない。」と定められています。
そこでは、自筆遺言書についての加除訂正や変更方法も様式が定められていますので、その様式に従わない場合には、加除訂正や変更の効力が認められないことになります。
本件の相続は、いわゆる第三順位相続(兄弟・甥姪相続で遺留分はない:民法第1028条)ですので、遺言書で相続人や第三者の一人に全部相続又は遺贈させる旨の遺言がなされると、その相続人等の一人だけが遺産全部を取得することができますので、遺言書の解釈は大きな意味を持つことになります。
さて、本件の当初の遺言書では、相続人姪Cが遺産全部を取得する内容でしたが、その後、訂正されて、相続人姪Bが遺産全部を取得する内容になっています。
設例(1)の場合には、書き間違いであれば訂正、相続人自体を変えたのであれば変更になりますが、いずれにしても、民法第968条第2項の遺言書の訂正・変更の様式にしたがった変更がなされていますので、「姪のC」から「姪のB」への有効な変更がなされたことになりますので、設例(1)の場合には、相続人姪のBが遺産の全部を取得することになります。
これは、被相続人の叔母が、自分の意思で法律上の様式を守って変更したという結果の表れであり、その変更した理由がわからなくても、変更は有効となります。
それに対して、設例(2)の場合には、遺言書変更の様式を守っていませんので、誰が二本線を引いたのか(最初は、相続人姪Bと相続人姪Cの二人とも書いてあって、後で誰かが姪Cのみ二本線で消したのではないかも含む)も分かりません。したがって、被相続人の叔母が自分の意思で消したとの判断もできないことから、二本線の訂正・変更は民法第968条第2項により無効となります。
この場合、「姪のB」が最初から書いてあったのか、最初は書かれておらず二本線の抹消時に書かれたものかを確定する必要があります。この判断は、書かれた位置(横の位置か、縦の位置か)や字体や使用した筆記用具の違いの有無等で判断されることになりますが、通常の経験則としては、横にはみ出して書いてある場合には、後に書かれた変更分とされて、加筆部分の「姪のB」は無効となり、遺産の相続対象者にはならないだろうと思われます。したがって、設例(2)の場合には、相続人姪Cが遺産の全部を取得することになります。
2、遺言書の撤回(破棄)は、どういう場合まで含めることができるのでしょうか。
設例(3)の場合は、民法第968条第2項の、一本の赤線で抹消され加筆部分がないまま全部の訂正又は変更という形で検討するのか、又は民法第1024条「遺言者が故意に遺言書を破棄したときは、その破棄した部分については、遺言を撤回したものとみなす。遺言者が故意に遺贈の目的物を破棄したときも、同様とする。」との規定の「遺言書の破棄」として検討すべきかという問題になります。
「訂正又は変更の問題」だとすれば、民法第968条第2項の様式に従っていないので、変更行為(一本の赤線で抹消行為)は無効となり、元の遺言内容(姪Cへの全部相続)が有効となり、他方「破棄の問題」だとすれば、元の遺言自体が撤回されて遺言がない状態となり、相続人甥A、姪B、姪Cが各自、法定相続分(各1/3)を相続する可能性が出てくるという違いが生じるのです。
(1)そもそも、民法第1024条の「遺言書の破棄」は書面の破棄と目的物の破棄という物理的破棄を想定しているかのような定めになっていることから、自筆証書遺言の全文に斜線を引く行為が「遺言書の破棄」に当たるかどうかが問題になります。
学説上は、破り捨てるか燃やすなどの有形的破棄のみならず、遺言書自体は形として残っていても遺言書の内容を抹消して内容を識別できない程度にすることも含まれるとする通説と、同様に有形的破棄に限定しないが、元の文書が判読できる状態であっても、全体が塗抹されたり斜線で消されたりした遺言書はそれが遺言者のせいでなされた以上は加除変更の方式や撤回の方式に即していない場合でも破棄されたと認める少数説があります。
(2)判例
ア、実際の裁判例では、最高裁平成27年11月20日(民集69-7-2021)は、少数説の立場での判断をしています。
事案は、医師である被相続人(遺言者)が医師しか開閉できない麻薬保管庫に遺言書を保管しており、他の誰にも遺言書の出し入れはできない状態だったという事案で「本件のように赤色のボールペンで遺言書の文面全体に斜線を引く行為は、その行為の有する一般的な意味に照らして、その遺言書の全体を不要のものとし、そこに記載された遺言の全ての効力を失わせる意思の表れとみるのが相当であるから、その行為の効力について一部抹消の場合と同様に判断することはできない。」としています。
イ、しかしながら、上記最高裁判決事案の第一審、第二審判決(広島高裁判決平成26年4月25日金融判例1485号12頁)は、通説の立場を採用して「民法第968条第2項は、遺言の効力を維持することを前提に遺言書の一部を変更する場合を想定した規定であるから、遺言書の一部を抹消した後にもまだ元の文字が判読できる状態であれば、民法第968条第2項所定の方式を具備していない限り、末梢の効力を否定することとなり、本件遺言書は斜線が引かれた後も判読可能な状態であるから、民法第1024条前段の「故意に遺言書を破棄したとき」には該当しない。」としていました。
ウ、このような判例の事案(単に自筆証書遺言に斜線が書かれているだけの事案)では、その斜線を誰が入れたかの確定が非常に困難な場合もあります。第三者でも入れられる可能性がある場合には、被相続人(遺言者)の意思は、元の文字には署名押印もあるので表れているが、斜線には表れていない可能性もあるので、元の文字の遺言書を有効にする解釈(下級審判例・通説)が妥当となることもあってよいと思います。本件事案は、その点、「遺言者(医師)しか開閉できない麻薬保管庫に遺言書を保管しており、他の誰にも遺言書の出し入れはできない状態だった」ことから、遺言者自身が斜線を入れたことは確定できる事案であったからこそ、遺言者の意思が「破棄」の意思だったと解釈できる事案だったという例外的な判例として位置づける方が妥当だろうと思います。
以 上
マンション管理組合の役員の選出と解任~~~マンションの管理組合理事長は大変なんだ(内部紛争)~~~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
マンションを購入して生活している方も多いと思います。マンション生活では、マンション全体を管理する管理組合の理事の順番が回ってきたり、近所付き合いのトラブルから理事長・理事の内部紛争に発展してしまう場合もあるようです。誰も大変な管理組合理事長にはなりたくないのでしょうが、気に入らない人が理事長になっているので、自分が理事長になるという憤りで、理事長になる人もおられるでしょう。
今回は、そのようなマンション内紛の問題を考えてみましょう。
1、SRマンションでは、毎年1回通常総会を開催し、理事及び監事を選任し、 理事長及び副理事長を理事の互選で決めています。理事の任期は1年です。平成27年度から連続して、X氏が理事長になっていました。しかし、平成30年度の理事長就任後、X氏の運営方法に疑問を呈する住民や理事グループが運営正常化を図るために、平成30年度の任期途中で理事会を開催し、マンション管理規約(以下、「管理規約」という。)第40条第3項の「理事長及び副理事長は理事の互選により選出する」との規定に基づき、「X氏の役職を理事長から理事に変更する」と共に、理事の一人であった「A氏を理事長に選出する」議案を理事会の過半数の賛成により決議しました。
その後、SRマンションの管理組合の理事会は新理事長A氏の招集で開かれ、管理組合の業務も新理事長A氏の下で行われるようになりました。
しかしながら、旧理事長のX氏は、管理規約第53条第13号「役員の選任及び解任については、総会の決議を経なければならない。」と定めてあり、理事会で理事長(建物の区分所有等に関する法律(以下「区分所有法」という。)の「管理者」)の解任ができる旨の規定はないので、理事会で新理事長を選任したとしても、X氏の理事長職は解任されたことにはならない、と主張して、A氏理事長選任決議無効とX氏の理事長の地位にあることの確認を求める民事裁判を起こしてきました。
なお、マンション管理を定める区分所有法第25条第1項では「区分所有者は、規約に別段の定めがない限り集会の決議によって、管理者を選任し、又は解任することができる。」と規定しており、管理規約第43条第2項には「理事長は、区分所有法に定める管理者とする。」との定めもありました。
この場合の民事裁判の行方はどうなったでしょうか?
2、問題点の分析
(1)まず、明確にしておく必要があるのは、理事会では新理事長A氏の選任決議だけをしており、X氏の職を理事長から理事に変更する決議はあったものの、X氏の解任決議そのものはしていません。X氏の旧理事長任期途中に、新しいA理事長を選任し理事長を変更する決議をすれば、それは当然、旧理事長X氏の理事長解任決議も含まれることになるのかの検討が必要になります。
(2)次に、理事会での理事長解任権限の規定がないことが問題です。その場合には、他の規定での解任方法を検討する必要がありますが、本件の場合には、次の三つの解任に関する規定が考えられますので、その規定の適用の有無と優先関係が問題となります。
①本マンション管理規約第53条第13号「役員の選任及び解任については総会の決議を経なければならない。」
②区分所有法第25条第1項では「区分所有者は、規約に別段の定めがない限り集会の決議によって、管理者を選任し、又は解任することができる。」
③民法第651条「第1項、委任は、各当事者がいつでもその解除をすることができる。
第2項、当事者の一方が相手方に不利な時期に委任の解除をしたときは、その当事者の一方は、相手方の損害を賠償しなければならない。ただし、やむを得ない事由があったときは、この限りでない。」
法原則としての「特別法は一般法に優先する。」という原則がありますので、民法は一般法であり、区分所有法第25条の規定が民法第651条の特別規定だと理解すれば、民法第651条の委任の自由解約条文は排除され、区分所有法第25条により、規約で定めれば、規約の定める解任理由のみで解任でき、規約で定めていなければ、集会の決議で自由に解任できることになります。このような立場を、仮に「法形式説」と呼びましょうかね。
他方、区分所有法で、区分所有者は集会の決議で自主的に管理者の選任及び解任する権限を有し、そのための自主的規範である規約を定めることができるという法の趣旨は、規約で「管理者」である理事長の選任について「理事の互選による」との規約の趣旨は、役員関係の確定手続きを理事の判断に委ねることができるという趣旨であり、理事長の選任規約には、それに相反する解任等の権限も含まれている趣旨になるという解釈の立場もあります。これを「意思解釈説」と呼びましょうか。
3、判例の解説
本件事案の判例は次のとおり、一審及び二審は、法形式説の立場で、A新理事長の選任(理事長変更)決議は無効(旧理事長X勝訴)としましたが、上告審の最高裁判決は、意思解釈説の立場で、A新理事長選任決議はX理事長解任決議の趣旨も含まれた有効な決議である(旧理事長X敗訴)と判断しました。
①第一審:福岡地裁久留米支部平成28年3月29日判決
X氏は、新理事長Aが選任された理事会の時点では、理事長の任期中であったところ、マンションの理事長は、区分所有法に定める管理者であり(管理規約第43条第2項)、区分所有法に定める管理者の解任は、規約に別段の定めがない限り集会の決議によるべきものである(区分所有法第25条第1項)から、X氏が理事長を辞任する意向を示している場合は格別、そうでない限り、当該理事会の時点でX氏の理事長の地位を喪失させるには、規約に明確な根拠があることを要すると解されるが、管理規約第40条第1項には、理事長の選任の規定はあるが、解任についての規定ではないこと、他方、役員の解任は総会の議決事項とされており、理事会の議決事項には役員の解任については定めていないこと等に照らすと、任期中の理事長について、その意に反して理事の互選により理事長の地位を失わせることは許されない。」「区分所有法第25条は区分所有法の管理者である理事長については、民法第651条第1項の適用を否定する趣旨の規定と解すべきであるから、任期途中の自由解除は許されない。」
②第二審:福岡高裁平成28年10月4日判決
「当該マンションの役員の選任及び解任については、当該マンションの管理規約にしたがって行われるべきであり、管理規約の解釈にあたっては、各規定相互の整合性等を総合考慮して行うべきであることから、当該マンション規約の定めに照らせば、役員の選任と解任とは明確に区別されていることは明らかであり、管理規約上、一旦選任された役員を理事会決議で解任することは予定されていない。したがって、X氏の役職を理事長から単なる理事に変更することを内容とする理事会決議は無効であり、これと一体としてなされたA氏を新理事長に選任する旨の決議も無効と解するのが相当である。」
③上告審:最高裁平成29年12月18日(原審判決破棄差戻)
「区分所有法は、集会の決議以外の方法による管理者の解任を認めるか否か及びその方法については区分所有者の意思に基づく自治的規範である規約に委ねているものと解されるのであり、本件マンション管理規約は、理事長を区分所有法に定める管理者とし(第43条第2項)、役員である理事に理事長等を含むものとして、役員の選任及び解任について総会の決議を経なければならない(第53条第13号)とする一方で、理事は組合員のうちから総会で選任し(第40条第2項)、その互選により理事長を選任する(同条第3項)としていることは、理事長を理事や就任する役職の一つと位置付けた上、総会で選任された理事に対して原則としてその互選により理事長の職に就くものを定めることを委ねるものと解されるから、このような定めは、理事の互選により選任された理事長につき、管理規約第40条第3項に基づいて、理事の過半数の一致により理事長の職を解くことができると解する。」
「このような本件理事長の変更決議(X氏の職を理事長から理事に変更し、A氏を理事長に選出する決議)の内容が管理規約に違反するとは言えない。」として、破棄差戻とした。
4、今後の対応
本件管理規約は、国土交通省作成の標準管理規約に準拠した内容のもので、理事会で理事長の選出をする規定は明確化されているものの、理事会で理事長を解任できるという趣旨の規定は明らかにされていない形式になっているようです。しかし、選出権限がある以上は、その逆の解任も当然含まれているという理解で、理事会の決議で理事長の解任をすることはできるという方向で多くの実例運用がなされていたのでないかということも主張されたようですが、規約上、明らかに定められていない場合には、このような争いが生じる危険性はありますので、「理事長及び副理事長は理事の互選により選出する。」との規定を「理事長及び副理事長は理事の互選により選出し、理事会の議決で解任又は変更することができる。」という内容の規定に修正しておく必要があるだろうと思います。
以 上
スポーツ界における「力の支配」と「法の支配」~スポーツ団体の不当支配に関する報道を見て~~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1、法の支配とは、力の支配とは。
「法の支配」(英語: rule of law)とは、専断的な国家権力の支配を排し、権力を法で拘束するという英米法系の基本的原理で、専断的な国家権力の支配、すなわち人の支配(力の支配)を排し、全ての統治権力を法で拘束することによって、国民・人民の権利ないし自由を保障することを目的とする立憲主義に基づく原理であり、自由主義、民主主義の背景にある考え方です。
法の支配は、分かりやすく言えば、権力を持つ者の支配(「人の支配」又は「力の支配」という。)とは異なり、当事者の紛争解決においては、双方が対等に主張し平等な手続きにおいて解決がなされることを本質としており、「人の支配」のように力のある者が独断的に解決していくことを排除する考え方をいいます。
2、スポーツ団体の不祥事報道と問題点(部分社会の法理・団体自治)
今、我が国のスポーツ界では、2020年の東京オリンピック・パラリンピック開催を控えて、各スポーツ団体(日本大学アメフト部、日本ボクシング協会、日本体操協会等)での理事長専権支配への非難や内部告発ニュースが連日取り上げられるというスキャンダルな状態が続いています。このような問題が発生する遠因としては、次の二つの側面が考えられます。
ひとつは、ガバナンス(統治・支配性)という観点から、スポーツの世界を眺めてみますと、我が国では、先輩・後輩の年長重視の精神風土(儒教精神)を基本とした、監督・コーチによる指導と支配性の強い縦社会の世界(強い者の支配)になっており、選手側から競技団体の規則や決定に対して、対等に争う姿勢を表明すること自体、困難であり、そのような状態が長く続いて競技力を向上させてきたことから、協議団体及びその役員による独善的なガバナンス(統治・統制)が助長されてきたと思われます。
もうひとつは、法律理論という側面からスポーツ界のおきて・ルールの位置づけを考えてみますと、スポーツ団体は、憲法第21条の結社の自由の保障に基づき、団体の内部問題については団体自治が認められており、団体内の規約やルールを定めれば、その自主性は尊重され、外部の一般的な法律の規制は適用しないという「部分社会の法理」の中にあります。
「部分社会」とは、日本国家を全体社会とした場合、日本国家の中には、更に小さな社会として、家族、親族、都道府県市町村のような地方公共団体、NPO法人、各種の会社(株式会社、有限会社など)、協同組合、法人ではない各種の団体(例:政党、学会、宗教団体、職業組合、労働組合など)であります。それらの社会では、組織内の法(「家族のルール」、「社内規則」や、「定款」など)という各々に固有の法の支配の下にあると考えることができます。「部分社会の法理」とは、全体社会としての日本国家の定める法律だけではなく、団体が自主的に定めた規則やルールにしたがった法の支配がなされるという考え方をいいます。この点で、団体のルール作りが独善的に運用されれば 不当な支配づくりが可能ということになります。
3、「法の支配」と団体の社会的責任
(1)自主的団体の不正・不祥事に関しては、自主的内部規律によるルールを尊重するとしても、立憲主義・人権保障を侵害するような問題の場合には、国家の定めた法で判断して、国家が介入するという方法が残されています。しかし、このような対応を強めると、各団体の団体自治権を国家が侵害することにもなり、団体内の不正支配問題に対して、スポーツ庁が指導・監督にとどめているのもそのような観点があるからだろうと思います。
(2)もうひとつの解決策は、団体自治の権利が保障される以上は、その団体自体が選手・構成員の基本的人権を保障する体質に変わることであり、そのために法の支配が要求する対等な主張と、開かれた平等の手続制度(不服申立窓口)を整備する方法があります。
実は、スポーツと法の問題は、我が国だけの問題ではなく、国際的な対応を求められる問題でもあります。それはIOC(国際オリンピック委員会)やFIFA(国際サッカー連盟)のような大規模国際スポーツイベントを開催する団体が作る規則(ルールや制裁規定等)は、世界各国のスポーツ界の参加資格の有無まで決定づける国際法、又は、世界法としての意味をもっており、そのようなIOCやFIFAが、国連の「ビジネスと人権に関する指導原則」(2011国連発表)にのっとり、スポーツイベントを開催する旨を表明していること(法学セミナー764号―21頁山崎卓也弁護士論文参照)からも明らかであり、「人権ポリシー」が要求されているのです。
①そこでは、かかる世界の人権保障の流れに応じて、団体自身の人権保障の面からの規則の整備と侵害の際の救済手続きが規則の中に盛り込まれる必要があります。そこには、規則を定める団体役員や団体構成員自身が「人権感覚」を養う必要がありますし、団体の長となる理事長や会長には、人権感覚を持っている人物が就任されることも大切ではないかと思います。人権感覚の乏しい、いわゆる「強いやり手」だけがトップを極めるという「力の支配」の時代は終わっているのです。
②次に、国際競技団体は、本来、統治機構である国家の場合には、行政・立法・司法の三権分立主義がとられ、一機関や一役員が絶対的な権力を持つ構造を回避していますが、スポーツ団体(国際競技団体等)においては、司法の役割(執行部役員の濫用チェック)を団体内部の紛争解決機関(国際スポーツ裁判所等)で行っているに過ぎないので、最近、我が国で多用されているような枠外の紛争解決機関としての第三者委員会等の部外機関を作って、独立的に苦情受付窓口や紛争解決の決定等を行わせる工夫があって良いように思います。
スポーツの価値は、思想や考え方が違っている同士でも、スポーツルールで定められた手技・手法にしたがって、フェアプレイの精神と「One for all, All for one」の言葉に示されるようなチームワークの協調性によって、その違いを乗り越えて全ての人々をひとつにできるというところに本質的な価値があるとされているのですから、仮に違いに関して紛争が生じる場合には、誰にでも平等に適用される「法の支配」にしたがって解決されるべきなのです。
以 上
医師以外ができない「医行為」とは?~「入れ墨彫り師」の仕事は許されるのか? ~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1、医師以外の「医業」「医行為」の禁止
人の体に物理的な力を加えて変容させるものとして、医者による治療行為としての 体の切断、切開、穿刺等の行為や美理容行為として髪の切除・加工や美容の脱毛処理などの行為がありますが、どのような行為に資格が必要で、どのような行為であれば資格なしで行なえるのかについての基準については、なかなか分かりづらいものがあります。
医師法第17条では「医師でなければ、医業をなしてはならない。」と定められ、同法第31条第1項第1号で次の各号のいずれかに該当する者(第17条の規定に違反した者)は、三年以下の懲役若しくは百万円以下の罰金に処し、又はこれを併科する。」と定められています。
そこで、「医業」とは何か。
医業とは、「医行為」を反復継続する意思をもって行うこととされ、その「医行為」とは、「医師の医学的判断及び技術をもってするのでなければ人体に危害を及ぼし、又は危害を及ぼすおそれのある行為」とされています。
2、医療行為(医行為)と医療類似行為について
(1)平成20年(2008年)9月10日東京地方裁判所判決では、「資格法が存在する「あん摩」「マッサージ」「指圧」「はり」「きゅう」「柔道整復」については、医行為ではなく、医業類似行為である。その、上訴審である平成21年(2009年)4月15日の東京高等裁判所判決は「柔道整復の施術は、一般的に医行為と比べて危険度の低い行為であるし、医師ではなく柔道整復師が施術をすることから、その業務の範囲や施術法について制限がある(柔道整復師は外科手術、薬品の投与等ができないし、医師の同意がなければ原則として脱臼又は骨折の患部に施術をすることができない(柔道整復師法第16条、第17条)。)のであるから、一般的に柔道整復師が医行為に当たるということはできない。」として、業として許される医療類似行為を認めています。
(2)他方、平成13年11月8日付け厚生労働省医政局医事課長通達(医政医発第105号)では、
①レーザー光線又はその他の強力なエネルギーを有する光線を毛根部分に照射し、毛乳頭、皮脂腺開口部等を破壊する行為(いわゆるレーザー脱毛)
② 針先に色素を付けながら、皮膚の表面に墨等の色素を入れる行為(入れ墨)
③酸等の化学薬品を皮膚に塗布して、しわ、しみ等に対して表皮剥離を行う行為(若返り皮膚再生・ケミカルピーリング)は、「医行為」であり、医師免許を有しない者が業として行えば医師法第17条に違反する、とされています。また、ピアス装飾品を身に着けるための身体の部分を貫通する穴をあけることも「医行為」になります(但し、自分であけることは自傷行為ですので刑法等には触れません。)
3、単発の医行為は許されるのか?
(1)医師以外の者に禁止されている「医業」は、「医行為」を業として行うことと解されています。すなわち、医療行為は「業として」行わなければ、これを全面的に禁止する法令はないので、医師以外の無資格者による「医行為」は禁止されていないかのように思われます。
(2)しかしながら、そもそも、医療行為・医行為においては、体にメスを入れたり、注射針や点滴針を刺入したり、エックス線を照射したりするように、他者の身体を傷つけたり体内に接触したりするような医療侵襲行為であることから、例外的に犯罪(傷害罪)の違法性要件が阻却されるということになっているので、正当な医療行為とされる要件(①治療を目的としていること②承認された方法で行われていること③患者本人の承諾があること)を満たす違法性阻却事由が認められることが必要になります。
したがって、医師以外の無資格者であっても、医療行為の違法性阻却要件である①治療を目的としていること②承認された方法で行われていること③患者本人の承諾があることの条件を満たすなどの上で正当性があれば、初めて単発の「医行為」ができることになります。心肺蘇生法や自動体外式除細動器の使用などの応急処置を行うことができるのは、業として行うのではないと共に、違法性阻却事由としての承認された医療方法で行なわれ、医療を目的とした行為であることから、禁止されていることにはならないというわけです。
しかし、単に、業としなければ医師以外の者による「医行為」が許されるということにはなりません。違法性阻却事由としての承認された医療方法で行なわれなければならないわけで、社会的・医学的に認められない方法での身体侵襲行為は、本人の承諾があったとしても、刑法上の傷害罪として処罰されることになります。
4、「入れ墨彫り師」の仕事は許されるのか?
ところで、任侠映画や刑事ドラマなどで、腕や背中に入れ墨を入れている人物が描かれたりしていますが、入れ墨を入れる「彫り師」は仕事として許されるのでしょうか?
(1)上述のとおり、平成13年11月8日付け厚生労働省医政局医事課長通達(医政医発第105号)では「② 針先に色素を付けながら、皮膚の表面に墨等の色素を入れる行為(入れ墨)」は「医行為」であり、医師免許を有しない者が業として行えば医師法第17条に違反するとしています。
(2)そして、裁判上でも問題になりました。大阪地方裁判所平成29年9月27日判決は、彫り師である被告人が、平成26年頃から、タトゥーショップで3人の客に対して「入れ墨」を施術したことによる医師法違反刑事裁判で、「医師以外の医業を禁止する医師法第17条は憲法第13条の個人としての尊重、第21条第1項の表現の自由、第22条第1項の職業選択の自由等には違反しない」とした上で、「入れ墨を入れる行為は、被施術者に様々な皮膚障害等を引き起こす保健衛生上の危害を生ずるおそれのある行為であり、医学的知識と技能をもつ医師のみが行う必要のある医行為にあたり、複数反復したことによる業として行ったとして、医師法第17条違反で罰金15万円(求刑・罰金30万円)としました。
5、注意点
最後に、このような彫り師による入れ墨ではなく、美容のひとつとしてのアートメイク方法の「色素吸入による眉やアイライン等を消えなくするメイク方法」は、まさに、平成13年11月8日付け厚生労働省医政局医事課長通達(医政医発第105号)では「② 針先に色素を付けながら、皮膚の表面に墨等の色素を入れる行為(入れ墨)」に該当するので、医師が行うものであり、医師資格のない美容師等では行えないとされることになります。
また、業とせず、個人的に頼まれて(その人の同意を得て)、単発で他人に入れ墨を施術した場合でも、前述したとおり、①治療を目的としていること、②承認された方法で行われていること、③患者本人の承諾があることの条件を満たすなどの上で正当性が認められないので、医師法違反にならなくとも、刑法上の犯罪となり傷害罪に問われることになります。
以 上
(夏休み特集)夏休み中の犯罪の危険~ 振り込め詐欺を無罪にするな!~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
子供たちにとっては、キラキラした夏休み。学校以外の場所で友人たちと様々な体験ができる良い機会ではあるものの、学校や勉強から解放されて、日常とは異なるアルバイトや遊びが中心になり、深夜出歩いたり、お酒やたばこに手を出したり、様々な不良行為の誘惑を受けたりする時期でもあります。
最近では、中学生・高校生のほとんどが自分のスマートフォンや携帯電話を持つようになって、手軽にインターネットにアクセスできる中で、情報規制のないインターネット上の有害情報や危険なサイトに触れたことをきっかけとして、非行に走ったり、逆に犯罪被害に遭ったりするケースも起きています。振り込め詐欺などの「特殊詐欺」においては、インターネット情報や、友人の友人というような見知らぬ人物の情報を過信して、被害者から現金を受け取る役割の「受け子」となり、中学生や高校生を含む少年が加担し検挙される事件が起きています。遊ぶ金欲しさに安易な考えから知らないままに犯罪に加担してしまう危険は、今年の夏にも潜んでいます。そこで、今回は、特殊詐欺の「受け子」アルバイトなどの安易な犯罪加担に巻き込まれないように、振り込め詐欺などの特殊詐欺についてお話しましょう。
1、「オレオレ詐欺」「振り込め詐欺」「架空請求詐欺」「還付金詐欺」と色々な呼び名がありますが、今は統一して「特殊詐欺」(不特定の方に対して対面することなく、電話、FAX、メールを使って、預貯金口座への振込みや、その他の方法により、現金等をだまし取る詐欺のこと)として呼ばれています。
2、この詐欺犯罪は、「預貯金口座への振込みや、その他の方法により、現金等をだまし取る」方法であることから、銀行等の預貯金口座取扱窓口等の職員が不審な現金引き出しや、送金に対して高齢者に声かけをして防いでもらうことも奨励され、新聞、テレビ報道で金融機関職員の方々が、警察から感謝状を贈呈されたりしているニュースを見かけます。
3、警察は、対面しないで詐欺を働く「見えない詐欺集団」を追いかけ続けています。
一般的には、仕組んでいる張本人である「社長」、だましの電話等を掛ける「掛け子」、お金を受け取りに行く「受け子」の3者で構成され、3者は同一集団と見なされがちなのですが、実際は、完全に独立した存在で、お互いに顔も知らなければ、名前も素性も知らず、やり取りは全て携帯電話を通じて行い、完全分業制で顔を合わせることは皆無であるというシステムで行われている場合が多いようです。1か所に集まって一緒に犯罪を共謀しているわけでもなく、知らない者同士でそれぞれの犯罪役割部分を分担しているので、警察が一人を逮捕しても、それ以外の者たちを次々に逮捕することができなくなっており、「詐欺集団」を一網打尽にすることはなかなか難しいようです。
そういう中で、警察の特殊詐欺集団の壊滅作戦のひとつとして、「だまされたふり作戦」という手法があります。例えば次のような事例です。
(具体的事案)「社長」役A(以下「社長A」という。)は、被害者甲に宝くじが必ず当選する「特別抽選枠」に選ばれて当選金を受け取れるとの連絡を入れ、その後、社長Aと共謀した「掛け子」役B(以下「掛け子B」という。)が、被害者甲に「特別抽選枠獲得の連絡をされていないので、特別抽選はなくなり、違約金として188万円を支払ってもらう必要があります。当社の弁護士を入れて示談しますので半額の94万円を用意できますか。」などと嘘を言って、被害者甲を誤信させて、某所の空き部屋に現金94万円を配送させて、「受け子」役C(以下「受け子C」という。)がそれを受け取る方法で現金をだまし取ろうとしました。しかし、被害者甲が警察に相談したところ,警察が嘘を見破り、警察の指導で被害者甲は「現金が入っていない箱」を宅配で発送し(ここが「だまされたふり作戦」)、受け子Cがこの箱を某所で受け取った時点で、張り込んでいた警察捜査官が受け子Cを逮捕して、「詐欺未遂罪」で刑事起訴しました。
4、詐欺未遂罪の刑法上の条文をみてみます。
刑法246条「1、人を欺いて財物を交付させた者は、十年以下の懲役に処する。2、前項の方法により、財産上不法の利益を得、又は他人にこれを得させた者も、同項と同様とする。」
刑法250条「この章の罪の未遂は、罰する。」と定められています。
上記事案の受け子Cの罪は「詐欺未遂罪」(人を欺いて財物を交付させようとしたが、相手方から財物を交付させることができなかった(又は財物を交付させるまでに至らなかった)で刑事起訴されたのですが、特殊詐欺の場合には、「人をだます行為をする」人物と「人から財物交付を受ける」人物とが異なる点に特徴があります。そして、受け子Cは、仕組んでいる張本人である社長Aや、だましの電話等を掛ける、掛け子Bからは、被害者甲をだましているという事実は何ら告げられずに、「某場所に届いた宅配便を受け取って渡して欲しい。アルバイト料は払う。」と説明を受けて、宅配便を受け取る行為をしただけであり、詐欺罪の成立要件である「だます行為
5、判例上の争い。
(1)第1審裁判所の福岡地裁平成28年9月12日判決は、受け子Cを無罪としました。
その理由は「本件荷物は被害者甲が“だまされたふり作戦”として発送したものであるから、その受取行為自体が、
(2)しかし、その上訴審である福岡高裁平成29年5月31日判決と、最高裁平成29年12月11日判決は、受け子Cを詐欺未遂罪の順次共同正犯として有罪としました。
その理由を、高裁判決では、①先行する詐欺の
最高裁は次のとおりの判断をしています。「被告人受け子Cは、本件詐欺につき、共犯者(社長A、掛け子B)による本件、
警察が編み出し、被害者と協力した“だまされたふり作戦”が特殊詐欺集団を一網打尽にする突破口になるという妙案でありながら、判例上は、逆に、受け子Cを無罪にする危険性があったことが分かっていただけると思いますが、最高裁は「だまされたふり作戦の開始いかんにかかわらず」と表現して、“だまされたふり作戦”が特殊詐欺集団を一網打尽にする方法として認めていると評価することもできるでしょう。
“振り込め詐欺を無罪にするな!”という被害者の声を聞き入れてくれたのでしょう。
れゆえに、子ども達が、見知らぬ人からの安易なアルバイト勧誘(「受け子」勧誘)には応じないように気をつけさせたいものです。
うまい話には裏があるのです。
以 上
(夏休み特集)漫画「ドラえもん」の「経済と政治」
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
今回は、堅苦しい『法律』の話ではなく、夏休みの自由研究のつもりで、『経済と政治』について漫画「ドラえもん」風にお話してみましょう。(これは、平成24年4月に、NHKの「ハーバード大学マイケル・サンデル教授の白熱教室」での政治の在り方を、千葉大学教授、小林正弥氏が分かりやすく解説していたのを私が学習して工夫してみたものです。)
(1)政治の立場は、全体主義を排除した民主主義の立場の中でも、経済について「自由経 済(富の自由)か、公共経済(富の分配)か」の軸と、権利について「個人の権利か、共同体道徳か」の軸の双方で大きく区別されるとされています。
(2)4つの立場
自由経済と個人の権利を尊重する立場を「リバタリアニズム(自由至上主義・libertarianism)、自由経済と共同体道徳を尊重する立場を「コンサバティズム(保守主義・conservatism)、公共経済と共同体道徳を尊重する立場を「コミュニタリアニズム(共同体主義・communitarianism )、公共経済と個人の権利を尊重する立場を「リベラリズム(自由主義・liberalism)と呼ぶことになります。
この4つの立場は、具体的にはどういう立場なんでしょうね。
これを分かり易く上記のように図式化した上で、漫画「ドラえもん」で説明してみますね。
①リバタリアニズム(自由至上主義・libertarianism)は、自由主義思想の中でも個人的な自由、経済的な自由の双方を重視する政治的イデオロギーとされています。リバタリアニズムは他者の権利を侵害しない限り、各個人の自由を最大限尊重すべきだと考えます。
⇒漫画「ドラえもん」の登場人物の性格に当てはめますと、「ジャイアン」がこれに該当するだろうと思います。ジャイアンは、自由で自分の思いのまま利益を得ていいというわがまま人間なので、基本はリバタリアン(libertarian:自由とは他からの制約や束縛がないことをいうとする考え方・自由至上主義者)ということになるでしょう。
②コンサバティズム(保守主義・conservatism)は、一般的には、古くからの習慣・ 制度・考え方などを尊重し、急激な改革に反対する立場をいいます。伝統を尊重し、「伝統は祖先からの相続財産であるから、現在、生きている国民は相続した伝統を大切に維持し、子孫に相続させる義務がある」と考えます。その結果、彼らは過去・現在・未来の歴史的結びつきを重視する傾向があります。
⇒漫画「ドラえもん」の登場人物の性格に当てはめますと、「スネ夫」がこれに該当するでしょう。スネ夫は、親の富や考え方の威光を受けて、その富を守り使用するだけで子供らしい新しい考え方はあまりないという意味で、この、保守主義者(Conservatism person)であると言えます。
③コミュニタリアニズム(共同体主義・communitarianism)は、自由主義(リベ ラリズム)に対抗する思想の一つですが、自由主義を根本から否定するものではなく、自由主義の中で共同体の価値・共同体の慣習を重んじる立場です。政治の政策レベルでは自由民主制に留まりつつも自由主義とは異なる側面(つまり共同体)の重要性を尊重する立場であるとされています。ハーバード大学のマイケル・サンデル教授などはこの立場(コミュニタリアン (communitarian))です。
⇒漫画「ドラえもん」の登場人物の性格に当てはめますと、「しずかちゃん」がこれに該当するように思います。しずかちゃんは、みんなの立場を理解して“みんな仲良しになれる”ことを大切にしているので、このコミュニタリアン (communitarian・共同体主義者)にぴったりです。
④リベラリズム(自由主義・liberalism)は、人間は理性を持 ち従来の権威から自由であり、自己決定権を持つとの立場から、政治的には「政府からの自由」である自由権や個人主義を尊重し、経済的には私的所有権と自由市場による資本主義を尊重するという考え方ですが、その上で、貧富の格差を是正するために(社会的に公平になるために)、富の分配をする必要があるとする立場です。
⇒漫画「ドラえもん」の登場人物の性格に当てはめますと、「のび太」がこれに該当すると思います。のび太は自由(怠惰?)ではあるのですが、最後には独り占めするようなことはせず(最初は独り占めしようとするが)、最後はみんなで分けようとする性格ですから、のび太は、リベラリスト(自由主義者・liberalist)に分類してあげてもいいかなあと思います。
(3)あなたは?ドラえもんは?
政治と経済の考え方が、ある程度イメージできたでしょうか?あなたは、どの立場が好きですか?
ところで、「ドラえもん」は、どの立場に立つのでしょうかね。ドラえもんは、猫型ロボットであり人間ではないので、政治的立場というものはないというのはかわいそうなので、いろいろ考えてみますと、ドラえもんは最終的には、自分の個人的能力(器具を使える能力?)を自由に使えるものの、自分やのび太だけのためでなく、最終的にはみんな仲良しになろうという考え方なので、「しずかちゃん」と同じコミュニタリアン (communitarian・共同体主義者)になるのではないかと私は思います。
少々こじつけ気味のお話ですが、楽しんでいただき、笑って納めていただければ幸甚です。
以 上
「俳句・川柳と裁判」(その②)~~「梅雨空に 九条守れの 女性デモ」の俳句と表現の自由 ~~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1、前回紹介した俳句「梅雨空に 九条守れの 女性デモ」を覚えておられますか。
この俳句は、従来から続いているB公民館活動のA俳句会で創作され、「優秀句」に選ばれた俳句です。A俳句会での優秀句は、B公民館のサークル案内等の記事を掲載する「公民館たより」に掲載(過去3年8ケ月され、自治会で回覧されるとともに、地域の小学校等にも配布されていました。
ところが、A俳句会から本件俳句の提出を受けた「公民館たより」の編集・発行業務を担当するB公民館の主幹が、この俳句を「公民館たより」に掲載するのは問題ではないかと考え、B公民館館長に問い合わせをしたところ、「不適当」と回答があったことから、掲載しないことについて拠点公民館の職員とも協議して「掲載しない」ことを決定し、その旨を、A俳句会関係者に伝え、掲載しなかったという事案が裁判になりました。
(さいたま地方裁判所平成29年10月13日判決・九条俳句不掲載損害賠償等請求事件:判例地方自治426号―102))
2、裁判でのX創作者の請求内容は、公民館を管理運営しているY市に対し、A俳句会とB公民館は、A俳句会がB公民館に提出した俳句を「公民館たより」に掲載する合意をしたと主張し、同合意に基づき、X創作者が詠んだ俳句を同たよりに掲載することを求めるとともに、B公民館(その職員ら)が俳句を掲載しなかったことは、X創作者の思想や信条を理由として不公正な取り扱いをしたというべきであるから国家賠償法上違法であるとして、慰謝料200万円を求める内容でした。
それに対して、Y市の反論は、まず、掲載する旨の合意はないということと、本件たよりは、B公民館の主催行事の案内等の広報をする刊行物であって、同公民館を使用する個々の団体の活動成果を発表する役割まで担っているものではないし、B公民館が、本件俳句を本件たよりに掲載しなかったことには、正当な理由があり、違法性はない。すなわち、B公民館が、本件俳句を本件たよりに掲載することは、世論の一方の意見を取り上げ、憲法第9条は集団的自衛権の行使を許容すると解釈する立場に反対する者の立場に偏することとなり、中立性に反する。公民館の職員は公務を行う上で、公務員として中立性や公平性・公正性に配慮した姿勢を保たなければならず、本件たよりに掲載する記事の内容も中立性や公平性・公正性が保たれたものとしなければならないのであるから、掲載しないことがX創作者の権利を侵害したことにはならないと主張しました。
3、考えてみましょう。
前号の人権制約二重の基準では、精神的自由権の制約には「厳格な基準」が適用されます。創作俳句に対して、その表現内容を公権力が事前に内容把握し公表すること自体を禁止することは許されるでしょうか。厳格な基準では「事前抑制禁止の理論」「検閲禁止の理論」があり、表現内容を事前にチェックして一切の公表を禁止することは憲法違反となります。
しかし、本件では、一切の公表を禁止する趣旨で「掲載しない」としていることになるでしょうか。そこに疑問が残ることになります。 次に、公民館たよりの不掲載が仮に違法・憲法違反だったとしても、「掲載請求権」まで認められるのでしょうか。実は、新聞や機関紙などを発行する立場にある人も、発行人としての「表現の自由」が保障されています。その意味では。Y市の公民館も、活動としての「表現の自由」が認められます。それは、「他の誰にも強制されないで発行できる(表現できる)」という意味での「表現の自由(編集の自由)」なのです。それに対して、俳句創作者からの掲載請求権を認めると、逆に、公民館たよりとしての表現の自由を侵害してしまうことになります。
結局は、掲載請求権は、掲載の契約(合意)があるか又は人権侵害として損害賠償では賄えないほどの人格権侵害状態になっているか等の別個の事情がない限り、認められないのではないでしょうか。
4、さいたま地方裁判所平成29年10月13日判決の内容
(1)さいたま地方裁判所の判決では、表現の自由の問題以外に「学習権」についての詳細な検討もしていますが、表現の自由の侵害の有無と不掲載がX創作者の人格権等の他の権利を侵害しているか否かを中心に紹介したいと思います。
(2)掲載合意について
判決は、掲載する旨の合意があり、Y市B公民館は俳句を掲載する義務があるかどうかという点については、「3年8ケ月前に、公民館から本件A俳句会に公民館たよりに俳句を掲載してはどうかという提案があり、A俳句会が承諾し3年8ケ月間も掲載が続いており、掲載についての一定の合意があったと認められるが、その合意内容としては、本件句会の会員は、B公民館の主幹が、本件A俳句会から提出された俳句が、本件たよりの紙面を彩るのにふさわしいかどうかを検討して、掲載するかどうか決めることを了承していたものと認められる。そうすると、本件B公民館たよりの編集権限は、事実上、B公民館の主幹にあり、本件たよりに俳句を掲載するかどうかは、B公民館の主幹の判断に委ねられていたものというべきである。従って、本件合意の内容は、A俳句会が俳句の提供義務を負い、B公民館が本件俳句会から提出された秀句をそのまま本件たよりに掲載する義務を負うといったものではなく、本件A俳句会が俳句を提供し、本件たよりの事実上の編集権限を有するB公民館の主幹が、本件たよりの紙面を彩るために有効であるとして掲載することを決めた場合、俳句を掲載するというものにすぎなかったと解するのが相当である。」として、俳句掲載義務はないとして、原告(X創作者)の掲載請求については棄却しました。
(3)表現の自由・人格権等の侵害による損害賠償義務を負うか。
判例は、X創作者の表現の自由又は人格権侵害の点については
① 表現の自由については
「原告は、本件たよりという特定の表現手段による表現を制限されたにすぎず、同人誌やインターネット等による表現が制限されたわけではない上、特定の表現手段による表現の制限が、表現者の表現の自由を侵害するものというためには、同人が、この表現手段の利用権を有することが必要と解される(ある者が国営の新聞社に対し、投書をしたところ、同社が同投書を投書欄に掲載しなかったからといって、これが、同人の表現の自由を侵害するということはできないことは明らかである。)から、本件においては、原告が、本件俳句を本件たよりに掲載することを求めることができる掲載請求権を有することが必要となるところ、上記のとおり、原告には、本件俳句の掲載請求権があるということはできない。(したがって、原告X創作者の表現の自由を侵害したとは言えない)。」と判断しています。
② 人格権等の侵害の有無と損害賠償については
ア 「憲法第9条が、集団的自衛権の行使を許容すると解釈すべきかどうかについて、賛否が分かれていたものの、賛成・反対いずれの立場も、憲法第9条を守ること自体については一致していたのであるから、本件俳句の「九条守れ」との文言が、直ちに世論を二分するものといえるかについても疑問を容れる余地があるところ、B公民館が本件俳句を本件たよりに掲載しないこととするに当たって、B公民館及び拠点公民館の職員らが、この点について検討した形跡はない。上記のとおり、B公民館及び拠点公民館の職員らは、B公民館が本件俳句を本件たよりに掲載しないこととするに当たって、本件俳句を本件たよりに掲載することができない理由について、十分な検討を行っておらず、B公民館は、このような不十分な検討結果をもとに、本件書面1(X創作者に対するB館長名義での回答文書「公民館たよりへの俳句不掲載について」)記載の内容を根拠として、本件俳句を本件たよりに掲載しないこととし、その後、本件書面1記載の内容が不適切であったことを認めた上、本件俳句を本件たよりに掲載することができない理由について、本件書面2(B館長名義での回答文書「公民館たよりへの俳句不掲載についての訂正について」)記載の内容に変更するなど、場当たり的な説明をしていたものである。以上によれば、B公民館が本件俳句を本件たよりに掲載しなかったことに、正当な理由があったということはできず、B公民館及び拠点公民館の職員らは、原告が、憲法第9条は集団的自衛権の行使を許容するものと解釈すべきではないという思想や信条を有しているものと認識し、これを理由として不公正な取扱いしたというべきである。」
イ 「B公民館及び職員らが、原告(X創作者)の思想や信条を理由として、本件俳句を本件たよりに掲載しないという不公正な取扱いをしたことにより、法律上保護される利益である本件俳句が掲載されるとの原告の期待が侵害されたということができるから、B公民館が、本件俳句を本件たよりに掲載しなかったことは、国家賠償法上、違法というべきである。」
ウ 「原告が本件俳句を不掲載にされたことによって受けた精神的苦痛に対する慰謝料としては5万円が相当である。
(請求額は200万円)」と判断しています。
5、最後に
結果としては、自治体側は、俳句作品の不掲載は、合理的な不掲載理由の検討や説明をしないまま、従前の取り扱いとは異なった処理をしていることから、国家賠償法上の違法な処理になるということで、損害賠償義務を負うことになりました。
人の表現物を十分に理解しないまま不利に取り扱うことは、法律上問題があることに留意していただきたいと思います。民主主義は、自分の意見と違う意見があることを当然に前提とした思想なのです。私たちは「正しい意見」という判断ができるのではなく、「多数の人が正しいと思っているに過ぎない意見」を形成していくことしかできないのです。
以 上
「俳句・川柳と裁判」(その①)~「梅雨空に 九条守れの 女性デモ」の俳句と表現の自由 ~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1、俳句と川柳の違い
川柳も俳句も同じ<五・七・五>の17音定型で表現する日本文学のジャンルであるのですが、私もその違いが十分には分からないので、調べてみました。どこで川柳と俳句の違いをみるのか、形式の違い、内容の違い、歴史上の違いの三点でみるのだそうです。
(1)<形式的違い>
俳句には<季語>が必用ですが、川柳では季語にはこだわらないという違いと、俳句には<切れ字>が必用ですが、川柳ではその切れ字にも特にこだわらないという違いや、俳句は、主に<文語>表現を多く使い、川柳は<口語>表現を使うのが普通だという違いなどがあるようです。
(2)<内容的違い>
俳句は、主に自然を対象に詠むことが中心ですが、川柳では、人事・世相・政治を対象に切り取ることが中心です。俳句では、詠嘆が作句のもとになり「俳句を詠む」といいますが、川柳では、詠ずるのではなく「川柳を吐く」といい、詠ずるものではないとされているようです。
(3)<歴史上の違い・俳諧からの分岐の違い>
俳句も川柳も、同じ俳諧の中から生まれましたが、俳句は、俳諧の<発句ほっく>(さいしょの一句)が独立したもので、季語、切れ字等の発句にとっての約束事がそのまま引継がれ、川柳は、俳諧の<平句ひらく>が独立して文芸となったもので、発句として必用な約束事がありません。題材の制約はなく、人事や世相、人情までも扱われます。
2、俳句も川柳も表現方法のひとつである。
俳句も川柳も日本文学のジャンルの一つですが、法律的には、学問の自由(憲法23条)、表現の自由(憲法21条)の「表現」方法になります。
学問の自由には、研究成果の発表の自由も当然含まれるし、研究文ではなく創作文である自作俳句・自作川柳であっては、学問の自由に含まれない場合であっても、憲法21条の表現の自由により、公共の福祉に反しない限り(憲法13条)、自作俳句や自作川柳を発表することは憲法上保障されています。
3、表現の自由に関する裁判での審査方法について
(1)例えば、裁判で問題となった俳句の例で、「梅雨空に 九条守れの 女性デモ」という俳句を創作した方が、この俳句を、色々な場所で紹介(発表)することは、公共の福祉に反するかどうかという点から、問題になるでしょうか?
昨今、憲法改正の議論でも取り上げられている憲法9条の「戦争の放棄」条項を改正するかどうかの争いがあります。
改正反対の人は、現代の政治問題を女性が平和を守る自然な姿を映し出している良い俳句だし、公共の福祉には当然反しないと考えるでしょう。改正賛成の人は、政治的な意図をもって憲法改正の手続きを邪魔するので、公共の福祉に沿うものではないと考える人もいるでしょう。特に、政治的中立であるべき公共団体がこの句を利用することや発表することは好ましくないと考える人もいるでしょう。
このような、憲法の「公共の福祉」の観点から、憲法で保障されている表現の自由などの人権を侵害するかどうかを最終的に判断する役目であるのが、裁判所(最高裁判所)なのです。
憲法81条に「最高裁判所は、一切の法律、命令、規則又は処分が憲法に適合するかしないかを決定する権限を有する終審裁判所である。」と定めてあります。
(2)裁判の判断基準(二重の基準)
① 裁判所で、憲法で保障されている人権(営業の自由などの経済的自由権、表現の自
由などの精神的自由権等)が侵害されているかどうかの判断をする場合に、法理論上又は判例理論上、「二重の基準」というものが示されています。
② まず、憲法の人権(自由権、平等権)に関しては、私有財産制を基礎とした経済活
動の自由を意味する「経済的自由権」と私的自治の原則(意思自治の原則)を基礎とした政治手段の自由を意味する「精神的自由権」があるとされています。
憲法22条の職業選択の自由や憲法29条の財産権の保障などは「経済的自由権」の範ちゅうとされ、憲法19条の思想及び良心の自由や憲法20条の信教の自由、そして憲法21条の表現の自由は「精神的自由権」の範ちゅうとされます。
③ 次に、判断基準として、精神的自由については、その制限の適否については「厳格な基準」が適用され、経済的自由権については「緩やかな基準」が用いられています。
「厳格な基準」では、精神的自由権は基本的には制約できず、制約できるとしても、その制約方法は「厳格な基準」要件を満たす場合に限って合憲となるという考え方で、
ア.事前抑制禁止の理論
イ.明確性の理論
ウ.「明白かつ現在の危険」の基準
エ.「より制限的でない他の選びうる手段」(LRAの基準)
等で判断されます。
他方、「緩やかな基準」では、経済的自由権は、基本的には経済政策上の必要性・合理性があれば制約できるということになり、誰の目から見ても明らかに不合理という場合以外は、裁判所は、その制約について違憲という判断をしないという考え方です。
④ なぜ、精神的自由権と経済的自由権とで憲法判断基準がこのように違うのでしょうか?理由は2つあります。
1つ目は、統治機構の基本をなす民主政の過程(権力を担うものを国民の表現である選挙で選ぶ)との関係からの違いです。
民主制の政治を支える精神的自由権は、これをむやみに制限されたら(誰も意見や発言できなくなったら)民主主義による決定ができなくなりますし、政治権力者の思いのままになってしまうからです。
また、一旦制約されてしまうと、制約から回復できる手段(反対意見を言って改善する方法)も奪われており、人権回復はできなくなります。
したがって精神的自由権は、政治権力者ではない公平な裁判所・裁判官がしっかりと守らなければならない権利とされているのです。
他方、経済的自由権の不当な侵害については、表現の自由が保障されている限り、民主制の過程で(言葉で表現して多数派を形成できる可能性が残されているので)不当な侵害から修正回復できる手段が残されています。
2つ目は、裁判所の審査能力との関係からの違いです。
経済的自由の規制については、社会、経済政策の問題が関係することが多いので、専門知識を必要とします。裁判所は法理論による判断機能はありますが、そうした政策関係の専門知識があまりなく、審査能力が乏しいといえます。そこで、裁判所としては、特に明白に不合理であると認められない限り、立法府の種々の政策に基づいた法律制定の判断を尊重して違憲とはしないということになります。
その点、精神的自由の規制については、法理論以外の経済政策的な点は判断する必要はありませんので、裁判所が法理論的に純粋に判断できることになります。
以上の点から、精神的自由については「厳格な基準」、経済的自由権については「緩やかな基準」が用いられることになります。
(以下、次回に、俳句の公民館便りへの登載が拒否されたことに関する裁判事例を考えてみます。)
以 上
善意は損する?~金魚水槽の移動手伝いと労災補償~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
1、法律を適用するには、法律の定める要件(法律要件)を満たさないと法律の保護(法律効果)を受けられないという仕組みになっているのですが、普通の人は、自分が行動する際に、あるいは問題が起こりそうな場合に、その適用される法律の法律要件などを考えて行動するわけではありません。むしろ、単純に、他人のためにしようと考えたり、自分のためだけにしようと考えて行動しているだけです。
ところで、自分のためにしようと考えている人は、結果として、法律要件に準じた行動を取る傾向がありますが、他人のためにしようと考えている人は、全く法律要件に合わない行動を取っていることが多いと思われます。なぜなら、実は法律そのものは、基本的には、自分の意思に従って自分のことを自分で決めるという原則(私的自治の原則、自己決定の原則)で作られていますので、他人のためにしようと考えている人の場合には、自分のためにするという部分がないために、最終的に「自己の利益」を保護するための法律要件に該当しない場合が多いからです。例えば、交通事故の被害者(Aの母親)が入院した際に、付添いが必要な状態でありながら、他人の職業付添よりも愛情をもった親族の自分が付き添ってあげたいと思って、娘Aが自分の仕事の合間に無理に時間を作ったり、勤務後に付き添った場合の付添看護料(1日約6,500円)は、職業付添人を雇った場合の付添看護料(職業付添人への支払額全額=最低1日約1万円)よりも損害認定額が少なくなったりします。親族の愛情分(善意分)は損害として算定されないのです。また、付き添いが不要な場合でも親族の愛情心から付添看護をした場合には、そもそも看護は必要じゃないのだから「損害対象にはならない行為」として、付添費用は損害と算定されません。
2、こういう事例があります。
ある小さな金属加工業の甲会社(社長Bとその親族3名と他人のCの4名の従業員の会社)がありました。工場は、1階が会社工場兼事務所、2階が居宅形式の建物を利用した会社でしたが、社長Bは2階居宅部分には居住していませんでした。そこには、プライベート空間として、金魚水槽で趣味の金魚を飼ったり、そのための飼育本や水槽関連道具などを置いていた状態であり、それ以外の2階スペースは、一部屋だけ従業員の更衣室として使用しようと思えば使用できる状態になっていました。本件会社では、リーマンショックで受注が激減して、受注がなく仕事がないときは通常の出勤日でも、社長の指示で午後から休むとか、午前中からすぐに休みにするというような場合が多くあるようになりました。問題の事故が起こった10月15日も、甲会社には、朝から仕事がなく、午前10時頃には、社長から「今日は仕事がないので、終わりにする。また、明日の状況をみよう。」と終業命令が出たので、他の従業員は更衣室で帰る支度をして帰宅しました。しかし、社長Bと長年の友人関係であった従業員C(被災者)は、午前10時30分頃2階で、社長Bが金魚を飼っている大水槽の水を汲み出そうとしている姿を見て、制服をまだ着替えないままで、「何やってるの?Bちゃん。」と声をかけたところ、社長Bが「水を出して、金魚の水槽を室内に移動させようと思って。」と言いました。従業員Cが、「じゃあ、一緒に運んであげる。」と言ったところ、「いいよ。仕事は終わったんだから帰ってもらっていいよ。」と社長Bに言われたのですが、従業員Cは「手間が省けるだろうから、そのまま一緒に動かそう。」と言って、社長Bと従業員Cの二人で水槽の片方ずつを持ってタイミングを合わせて持ち上げようとしたところ、従業員Cが腰に激痛を感じて、その場に倒れ込んだんです。診断の結果、従業員Cは腰部神経根症と診断され、3か月の入院治療を要することとなりました(以下、「本件事故」という。)。
3、以上の事案で、従業員Cが労災申請(疾病が業務遂行中に生じ、業務に基づいて生じたことが法律要件として必要になります)をしたのですが、労働基準監督署の裁決や裁判(平成28年9月8日東京地裁判決)では、労災とは認めませんでした。なぜでしょう?その理由は次のとおりです。
(1)まず、労災認定のためには、「業務遂行性」の要件=業務時間に業務をしていた状態であることが必要なのですが、普通は午前10時30分頃は勤務時間ではあるものの、当日は、午前10時頃に社長Bが「今日は仕事がないので終わりにする。」と終業命令をし、他の従業員も帰宅しているので、本件事故は終業後に発生したものとなり、業務遂行中とは言えないという理由です。
(2)次に、終業後であっても、社長Bの頼み(業務命令になる)で協力したのだから、業務遂行性は満たすのではないかという主張もしましたが、この点については、金魚を飼育するための容器である本件容器を移動する行為それ自体は、本件会社の業務そのものではなく、従業員Cの金属部品加工職人としての関連業務でもなく、単に社長B個人の使用に属するものであり、それを行う社長Bに対して、従業員Cが自ら好意で(善意で)本件容器を運ぶことを手伝いすることを申し出たものであり、社長Bの業務上の指示を受け、労働者が労働契約に基づき事業主の支配下にあったということはできないから、この点でも業務遂行性は認められないという理由です。
何とも、冷たい結果ですよね。社長Bの命令に従った場合には労災補償をしてあげるが、従業員Cは、自分の善意で個人的な友人への思いとして手伝ってあげただけだから、労災という法律上の保護はありませんよ、という結果です。これでは、「業務命令が出ない以上は、自ら積極的な協力行為や協調行為はしないほうがいいんだよ。」と法律が言っているみたいですよね。「善意は損をする」という例です。
しかし、その善意の方は「お金をもらおうと思ってしたことではないからね。損をしたわけじゃないよ。」というお気持ちであることだけが、わずかな救いとでもいうのでしょうか、そもそも「善意」とは「お金なんて考えない。」ということなのでしょうね。
以 上
本妻と内縁の妻のどちらが?~年金受給権者の裁定~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
地方自治体においても、死亡退職や扶養認定等の共済事業の支給関係で「内縁の妻」の認定が問題となる例があると思いますが、今回は、年金支給関係での事例を検討してみたいと思います。
(事案Ⅰ)
A子さんは、元の会社を転職で退職した後に、会社の元上司(甲男)と親しくなり、「今、妻B女とは離婚協議中で、離婚したら結婚して欲しい。」との申し入れを受けて、同居するようになり、転職先も退職して甲男の生活を支えて15年ほどになりました。その間、妻B女との離婚協議は進まず、妻B女と一緒に生活していた子供が成人になってから12年間ほど生活費の送金もしないまま、離婚協議も絶え、交流が全くない状態が続きました。甲男は、ある日「僕も会社の定年が近くなる。君を籍に入れないといけないね。」と言ってやむなく離婚調停を申し立て、ようやく離婚調停が成立するという時期に、調停成立を待たないで甲男は急死しました。
A子さんは甲男の厚生年金の遺族年金を受け取ることができるのでしょうか。それとも、甲男の相続人は、離婚までに至っていないので、妻B女(及び子供)が受け取るのでしょうか。
(事案Ⅱ)
C子さんは、元の会社を転職して働いていたが、会社の元上司(乙男)と親しくなり、乙男には妻D子と子供がいるのを知りながら、男女の関係の交際を20年続けていたが、乙男が「子供も独立したので、これからは、C子と一緒に住む。」と言ってくれたので、転職した会社を辞めて、乙男と一緒に生活(C子も乙男も同居先に住民票を移転して夫婦同様の生活)をした。乙男は、妻D子と別居するに際して、乙男名義の預金や金融証券等の一切を交付していて、C子と同居してから給与の定期的な送金はしていなかった。妻D子は乙男の別居とそれまでの不貞行為に対して、C子と乙男に慰謝料請求の裁判と乙男への夫婦関係調整の調停申し立てをしていたが、乙男がなかなか対応しくれないので、別居2年後に、やむなく離婚調停を申し立てて協議をしていたところ、乙男が急死しました。
C子さんは乙男の厚生年金の遺族年金を受け取ることができるのでしょうか。それとも、乙男の相続人は、離婚までに至っていないので、妻D子(及び子供)が受け取るのでしょうか。
(解説)
第一、事案Ⅰの場合
1、結論から言えば、内縁の妻であるA子さんが甲男の厚生年金の遺族年金を受け取ることができるということになるだろうと考えます。
2、理由は以下のとおりです。
(1)厚生年金保険法の定めはどうなっているの?
①厚生年金保険法第59条第1項で、遺族厚生年金の受給権者(受け取れる人)は、被保険者(甲男)の「配偶者」と定めており、同法第3条第2項では、配偶者には「事実上婚姻関係と同様の事情にある者」も含むと規定しています。
②これらの規定によれば、まず、配偶者は戸籍上の妻であるB女になり、また、内縁の妻としてA子さんも「事実上婚姻関係と同様の事情にある者」として、B女もA子さんも受給権者(受け取れる人)に該当することになってしまいます。
(2)重婚禁止に触れる内縁の妻(A子さん)は、法律に違反しているんじゃないの?
①民法第732条では「配偶者のある者は、重ねて婚姻をすることができない。」として婚姻取消し事由になっています(民法第744条)ので、「婚姻関係と同様の事情」である内縁も重婚状態の内縁関係は許されないことになります。A子さんは、重婚状態で内縁関係に入っていますので、このような内縁の妻を本妻に優先して保護していいのか、疑問が生じます。
②厚生年金保険法と同様な規定を持っている国家公務員共済組合法に関して、内閣法制局昭和38年9月28日決裁例において「配偶者の判断基準について」示されており、「反倫理的な内縁関係にある者は、『配偶者』に含まれる『届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者』には該当しない。」としていますので、この立場からは、A子さんは、年金受給権者にはなれません。
(3)夫婦関係の実態のない妻B女は権利を保障されることにあるの?
死亡退職金や遺族厚生年金(公務員の場合の遺族共済年金)などは、そもそも、相続財産ではなく、収入の大黒柱を失った遺族の生活保障を目的とするものであり、法定相続人が遺族の場合でも「被保険者によって生計を維持していたもの」という要件が付加されています。そのような観点から、まず、昭和38年9月28日決裁例「配偶者の判断基準について」においては、さらに、「届出による婚姻関係がその実態を失ったものになっている」ときには、例外的に重婚的内縁を認めるとしており、平成23年3月23日厚生労働省年金局長通知(0323第1号)では、「届出による婚姻関係がその実態を失ったものになっている」という判断基準を次のように例示しています。
<例示>
①「当事者が離婚の合意に基づいて夫婦としての共同生活を廃止していると認められるが、戸籍上の届出をしていないとき」
②「一方の悪意の遺棄によって夫婦としての共同生活が行われていない場合であって、その状態が長期間(おおむね10年程度以上)継続し、当事者双方の生活関係がそのまま固定していると認められるとき」
なお、②の要件のうち、「夫婦としての共同生活が行われていない場合」の要件該当性の判断要素として、
ⅰ)当事者が住居を異にすること
ⅱ)当事者間に経済的な依存関係が反復して存在していないこと
ⅲ)当事者間の意思の疎通をあらわす音信又は訪問等の事実が反復して存在していないこと
の全てに該当することが必要であるとしています。
(4)本事案の結論
①戸籍上の本妻B女は、離婚調停成立直前までいっており、12年間も経済的な繋がりも交流もなかったことから、「一方の悪意の遺棄によって夫婦としての共同生活が行われていない場合であって、その状態が長期間(おおむね10年程度以上)継続し、当事者双方の生活関係がそのまま固定していると認められるとき」に該当するので、受給権者の「配偶者」から除外されます。(ただし、妻B女は、相続人として年金以外の甲男の相続財産を相続します。)
②妻B女が年金受給権者の「配偶者」に該当しないとすれば、重婚的非難を受ける筋合いはないので、A子さんは、厚生年金保険法第3条第2項の配偶者に含まれる「事実上婚姻関係と同様の事情になった者」に該当しますので、A子さんが甲男の厚生年金の遺族年金を受け取ることができるということになります。(ただし、A子さんは戸籍上の妻ではなく単なる内縁関係にすぎないので相続権はありませんから、亡き甲男のその他の遺産は全くもらえません。)
第二、事案Ⅱの場合
1、この事例は、東京地裁平成28年2月26日判決(判例時報2306-48)の事案です。結論としては、事例Ⅰの場合とは異なり、妻D子さんが乙男の厚生年金の遺族年金を受け取ることができる(C子は乙男の遺族厚生年金はもらえない)ということになっています。
2、事例1の解説で述べたとおり、年金受給者の「配偶者」には、法律婚上の配偶者(本妻D子)も事実婚上の内縁の配偶者(内縁の妻C子)も含まれる余地があるのですが、C子さんは、不貞行為を20年も続け、違法な重婚状態で内縁関係に入っていますので、このような内縁の妻を戸籍上の本妻に優先して保護していいのか疑問が生じるのは当然ですし、その点、厚生年金保険法・国家公務員共済組合法に関して、内閣法制局昭和38年9月28日決裁例において「配偶者の判断基準について」示されており、「反倫理的な内縁関係にある者は、『配偶者』に含まれる『届出をしていないが事実上婚姻関係と同様の事情にある者』には該当しない。」としていますので、この立場からは、原則からしても、法律婚をしていないC子さんは、年金受給権者にはなれないことになります。
3、妻D子には、遺族厚生年金の受給の要件は備わっているでしょうか?
(1)死亡退職金や遺族厚生年金(公務員の場合の遺族共済年金)などは、そもそも、相続財産ではなく、収入の大黒柱を失った遺族の生活保障を目的とするものであり、法定相続人が遺族の場合でも「被保険者によって生計を維持していたもの」という要件が付加されています(厚生年金法第59条1項では、遺族厚生年金を受けることができる遺族は、被保険者の配偶者、子、父母、孫及び祖父母であって、被保険者の死亡の当時その者によって生計を維持したものとする旨の定めがあります)。
(2)そのような観点から、まず、昭和38年9月28日決裁例「配偶者の判断基準について」においては、「届出による婚姻関係がその実態を失ったものになっている」ときには、例外的に重婚的内縁を認めるとしていますので、まず、本妻D子と被保険者の乙男の別居状態等が「婚姻関係が実態を失ったものになっているかどうか」を判断すしなければなりません。
(3)平成23年3月23日厚生労働省年金局長通知(0323第1号)では、「届出による婚姻関係がその実態を失ったものになっている」という判断基準を次のように例示しています。
<例示>
①「当事者が離婚の合意に基づいて夫婦としての共同生活を廃止していると認められるが、戸籍上の届出をしていないとき」
②「一方の悪意の遺棄によって夫婦としての共同生活が行われていない場合であって、その状態が長期間(おおむね10年程度以上)継続し、当事者双方の生活関係がそのまま固定していると認められるとき」
なお、②の要件のうち、「夫婦としての共同生活が行われていない場合」の要件該当性の判断要素として、
ⅰ)当事者が住居を異にすること
ⅱ)当事者間に経済的な依存関係が反復して存在していないこと
ⅲ)当事者間の意思の疎通を表す音信又は訪問等の事実が反復して存在していないこと
の全てに該当することが必要であるとしています。
(4)妻D子の「配偶者」要件の具備
妻D子の場合には、離婚調停は求めていますが、離婚の合意が正式に成立するまでに至っていませんし、夫婦としての共同生活が無くなった期間も2年程度であり、別居後の妻D子は、乙男が残していったD男名義の預金や金融証券等を取り崩して生活してきている面があり、定期的な生活費の仕送りがないとしても、「当事者間に経済的な依存関係が反復して存在していない」とは言えない状況です。
したがって、妻D子と被保険者の乙男の別居状態等が「婚姻関係が実態を失ったものになっている」とは言えませんので、妻D子においては、「配偶者」要件を満たしていますので、その点で、内縁の妻C子が年金受給者の「配偶者」として認定されることはありません。
(5)次に、配偶者要件が認められた者については、更に生計維持要件に該当することが求められています。生計維持要件の認定基準は政令に託されており、厚生年金保険法施行令第3条の10で、「厚生年金法第59条第1項 に規定する被保険者又は被保険者であつた者の死亡の当時その者によって生計を維持していた配偶者、子、父母、孫又は祖父母は、当該被保険者又は被保険者であった者の死亡の当時その者と生計を同じくしていた者であって厚生労働大臣の定める金額以上の収入を将来にわたって有すると認められる者以外の者その他これに準ずる者として厚生労働大臣の定める者とする。」と定められ、生計同一要件の基準は、厚生労働大臣の定める「厚生労働省年金局長通知」がその認定基準を以下のとおり定めています(平成23年3月23日年発0323第1号厚生労働省年金局長通知「生計維持関係等の認定基準及び認定の取扱いについて」)。
〇認定基準及び認定の扱い
ア 生計維持認定対象者
遺族厚生年金の受給権者をはじめとする生計維持認定対象者に係る生計維持関係の認定については、イの生計維持関係等の認定日において、ウの生計同一要件及びエの収入要件を満たす場合に受給権者又は死亡した被保険者等と生計維持関係があるものと認定するものとする。ただし、これにより生計維持関係の認定を行うことが実態と著しく懸け離れたものとなり、かつ、社会通念上妥当性を欠くこととなる場合には、この限りでない。
イ 生計維持関係等の認定日
生計維持認定対象者及び生計同一認定対象者に係る生計維持関係等の認定を行うに当たっては、受給権発生日をはじめとする生計維持関係等の認定を行う時点(以下「認定日」という。)を確認した上で、認定日において生計維持関係等の認定を行うものとする。
ウ生計同一に関する認定要件(以下「生計同一要件」という。)
生計維持認定対象者及び生計同一認定対象者に係る生計同一関係の認定に当たっては、次に該当する者は生計を同じくしていた者又は生計を同じくする者に該当するものとする。
生計維持認定対象者及び生計同一認定対象者が死亡した者の父母、孫、祖父母、又は兄弟姉妹である場合
(ア) 住民票上同一世帯に属しているとき
(イ) 住民票上世帯を異にしているが、住所が住民票上同一であるとき
(ウ) 住所が住民票上異なっているが、次のいずれかに該当するとき
a 現に起居を共にし、かつ、消費生活上の家計を一つにしていると認められるとき
b 生活費、療養費等について生計の基盤となる経済的な援助が行われていると認められるとき
以上の認定要件からすれば、事案Ⅱの妻D子の場合には、ウの生計同一要件を具備しないことになるのですが、アの「ただし、これにより生計維持関係の認定を行うことが実態と著しく懸け離れたものとなり、かつ、社会通念上妥当性を欠くこととなる場合には、この限りでない。 」という例外条項に該当すると判断できます。東京地裁判決もかかる判断をして、妻D子の遺族厚生年金の受給権を認めています。
(なお、判決の前提となった行政処分では、妻D子の遺族年金申請に対して、「生計維持要件を満たしていない」として不支給処分をしたのですが、この裁判でこの不支給処分は取り消され、「支給裁定をせよ」との義務付け判決がなされました。)
以 上
町の嘱託職員と退職金支給 ~その③~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
≪ 問題点 ≫
単年度の任用が間断なく30年継続した非常勤職員甲女(辞令では嘱託学校図書館司書)に対して、地方公務員法上の一般職員と同様な勤務態様・勤務実績であったことを理由に、地方公共団体が条例で定める一般職の退職金手当の支給を受ける権利が発生するか?
前回の「町の嘱託職員と退職金支給~その②~」で、福岡高裁平成25年12月12日判決(判例地方自治389-26)判決で「町の嘱託職員にも退職金支給ができる」旨の判決を紹介したところですが、当該事案の最高裁判決(最高裁平成28年11月17日判決:判例地方自治403号33頁)で、逆転判決(「町の嘱託職員には退職金支給ができない」という結論)となっていることが分かりましたので、改めて、条例制定主義による退職金の支給の限界について述べさせていただきます。
1.福岡高裁判決は、嘱託学校図書館司書である甲女の任用された職が地方公務員法第3条第2項所定の一般職に当たるとするとともに、甲女は本件職員退職手当に関する条例第2条第2項(「12ケ月を越え、以後引き続き所定の勤務時間により勤務するとされている者」)の要件を満たしており、本件条例の規定は甲女にも適用されるなどとして、甲女の退職手当金請求を認容すべきものとしていました。私的意見としても、この判決は、公務員の場合でも、民間企業での終身雇用の正社員と有期雇用の非正規社員との差異を無くそうとしている労働法規制と共通する面があると評価しています。
2.しかしながら、最高裁判決(平成28年11月17日判決:判例地方自治403号33頁)は、以下のように述べています。
(1)○○町が市に編入される前は○○町教育委員会嘱託雇用職員、嘱託学校司書、○○町嘱託職員等の名称で任用され、また、上記編入後は市の規則において地方公務員法第3条第3項第3号所定の特別職の非常勤職員として設置する旨が定められていた○○教育センター嘱託員として任用されているのであるから、○○町及び市は、甲女が任用された職を同号所定の特別職として設置する意思を有し、かつ、甲女につき、それを前提とする人事上の取扱いをしていたものと認められる。
(2)そうすると、甲女の在任中の勤務日数及び勤務時間が常勤職員と同一であることや、甲女がその勤務する中学校の校長によって監督される立場にあったことなどを考慮しても、甲女の在任中の地位は同号所定の特別職の職員に当たるというべきである。
(3)平成4年の本件条例の改正において、本件条例の適用対象となる者に係る規定の文言が、それまで「一般職…の職員」とあったものを「職員(地方公営企業等の労働関係に関する法律(昭和27年法律第289号)第3条第4号の職員及び単純な労務に雇用される一般職の職員を除く。)」と改められたものの、上記改正の際に市議会に提出された条例案には、国家公務員の退職手当支給率に準じるために所要の改正をすることが上記改正の理由である旨の記載がされているにとどまり、上記改正が地方公務員法第3条第3項所定の特別職の職員を本件条例の適用対象に加える趣旨によるものであったとの事情はうかがわれない。
(4)本件退職手当条例は同項第3号所定の特別職の職員には適用されないものと解すべきであり、嘱託職員及び特別職たる甲女は、本件退職手当条例に基づく退職手当の支払を請求することはできないというべきである。
3.結局、公務員の場合には、民間において有期雇用の連続性により正社員と同様の取り扱いがなされるという面には関係なく、有期雇用の連続性があったとしても、給与条例制定主義(地方自治法第204条の2、地方公務員法第25条)の立場から、地方公務員法に反しない範囲で、条例で明確に定めない限り、退職手当の支払いはできないとされてしまうようです。
同じように、給与条例主義の観点から、地方公営企業(公営競艇場)職員の臨時従業員(ただし、業務であるボートレース開催時期には雇用を繰り返す)に対して、条例で退職金支給適用もなかったところ、市が臨時従業員の福利団体である共済会へ補助金を交付して、共済会から雇用継続の無い臨時従業員に対して「離職せん別金」名目で退職金を与えていた事例において、一審裁判所、控訴審裁判所も、当該寄付金は退職金として相当な離職せん別金として使用されていることから「公益性」があるとしたのですが、最高裁判所(最高裁判決昭和28年7月15日)は、以下のように判断して、逆転判決をしています。
①「本件補助金は、実質的には市が共済会を経由して臨時従業員に対して退職金を支給するために交付したものである。」
②「地方自治法は、普通地方公共団体は法律又はこれに基づく条例に基づかずにいかなる給与その他の給付も職員にすることができない旨を定めている。」
③「本件補助金交付当時、離職せん別金又は退職手当を支給する旨を定めた条例規定はなく、賃金規程にも臨時従業員の賃金種類に退職手当は含まれていなかった。また、臨時従業員は、給与条例の定める退職手当の支給要件を満たさない。」
④「したがって、本件補助金交付は、給与条例主義を潜脱するのであり、裁量権の範囲を逸脱し、又はこれを濫用したもので、違法である。」
として、条例に定めのない臨時従業員への退職金支払いはできないという立場を示しています。
以 上
町の嘱託職員と退職金支給 ~その②~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
≪ 問題点 ≫
単年度の任用が間断なく30年間継続した非常勤職員甲女(辞令では嘱託学校図書館司書)に対して、地方公務員法上の一般職員と同様な勤務態様・勤務実績であったことを理由に、地方公共団体が条例で定める一般職の退職金手当の支給を受ける権利が発生するか?
前回に引き続き、今回は、判例の見解を紹介します。判例としては、大分地裁中津支部平成25年3月15日判決とその控訴審福岡高裁平成25年12月12日判決(判例地方自治389-26)の二つがあります。
1.大分地裁中津支部平成25年3月15日判決の内容
第一審判決は次のように判示しています。
(1)昭和28年制定の退職手当条例では、支給対象者は一般職公務員以外に特別職公務員も含まれる(但し、常時勤務者)と解される余地もあるが、昭和31年に本条例とは別個に単独条例として特別職退職手当条例が制定されたことにより、非常勤の特別職の職員には退職手当が支給されていなかった実情に伴い、同条例が特別職の職員全体を対象としつつ、市長等の常勤の特別職の職員のみに退職手当を支給し、他方、非常勤の特別職の職員には退職手当を支給しないとすることも合理性があり、特別職退職手当条例は、特別職の職員全体に対する退職手当に関する条例として創設されたというべきであるから、同条例の成立により、特別職の職員に昭和28年制定の職員退職手当条例が適用される余地はなくなったと解すべきである。
(2)甲女が一般職の職員に当たるかどうかは、地方公務員法第3条第3項第3号の「臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員、嘱託員及びこれらの者に準ずる者の職」に該当するかどうかによって決まるが、同号の趣旨は、一定の学識、知識、経験、技能等に基づいて、随時、地方公共団体の業務に参画する者については、その特殊性にかんがみ、競争試験(同法第17条の2)や職階性(平成26年6月改正前同法第23条)などを定める地方公務員法の一般的規定の適用を受けない特別職として認容、処遇することを認めたものと解される。ある職員が同号に定める特別職に該当するかどうかは、その職務内容、任命権者の意思、勤務態様等を総合して判断すべきである。
甲女に関しては、一般職の職員の任用として必要となる選考試験等が実施された事実はうかがわれない。また、勤務実態についてみれば、勤務日数及び勤務時間の点で他の常勤職員と同一であり、校長の監督を受ける立場にあり、勤務成績が良くない場合には町長(後の合併により市長)によって解任される場合があるとされているなど、一般職の職員と共通するところがあると認められるが、勤務実態のみから、臨時又は非常勤の嘱託員として任用することが禁止されるとまでは言えないから、これらの事情によって直ちに甲女が一般職の職員と認められるものではない。
以上の事情を総合的に考慮すると一般職の職員に該当するとは認められない。
(3)なお、原審(第一審)においては、条例第2条第2項の検討はしていません。
(4)この第一審判決は、有期雇用の連続性については、「勤務日数及び勤務時間の点で他
の常勤職員と同一である。」として認めながら、「勤務実態のみから、臨時又は非常勤の嘱託員として任用することが禁止されるとまでは言えない。」として、特段の評価はしていませんし、逆に一般職職員が、民間企業の従業員採用と異なり、地方公務員法で採用時点で競争試験や選考試験が課されている点を重視しているようです。公務員の地位は入口の問題がクリアーされないと、民間企業での労働法規制の考え方は適用されないのかも知れません。その意味で、条例第2条第2項の雇用の連続性の判断も連続性なしという判断だったのかもしれません。
2.福岡高裁平成25年12月12日判決(判例地方自治389-26)の内容
しかしながら、その控訴審(第二審)判決は、次のとおり、逆な判断をしています。
(1)甲女は、以下のとおり「一般職の職員」に当たると言えるので、昭和28年制定の職員退職手当条例第1条の「職員」に特別職が含まれるかどうかについては判断する必要はない。
(2)ある職員が地方公務員法第3条第3項第3号に定める特別職に該当するか否かは専門性を有することは当然のこととして、その専門的な学識や知識等を、常時ではなく、臨時ないし随時業務に役立てる状況にあるかどうかが重視されなければならない。従って、勤務時間や勤務日数などの勤務条件や職務遂行に際して指揮命令関係があるかどうか、成績主義の適用があるか等が正規の職員と異なるかどうかで判断されるものである。
本件においては、甲女は、中学校の学校図書館において、勤務日数や勤務時間の点で正規職員(一般職の職員)と異なることなく勤務しており、その勤務条件からすれば他職に就いて賃金を同時に得ることは不可能であり、校長による監督を受ける立場にあり、勤務成績が不良である場合には、町長(後の合併後市長)によって解任される場合があるとされていた。(そうであれば、甲女の立場は一般職の職員として採用されるべき勤務実態であった。)
そうである以上は、任命権者である○○町教育員会が甲女の任用通知書等に「地方公務員法第3条第3項第3号の非常勤嘱託職員」と記載して、その意図が非常勤嘱託職員として甲女が図書館司書としての専門性に着目して任用したものであったとしても、地方公務員法の解釈を誤って任用したものであるから、そのことをもって甲女が特別職の職員であると認定することはできない。
また、選考試験の実施の有無が定かではないが、選考試験を経てないとしても、そもそも、採用当時、図書館司書の資格を有する応募が予想される状況にあったかも疑問である。(選考試験の有無を重視すべきではない。)
従って、甲女は一般職の職員に当たるというべきである。
(3)甲女が条例第2条第2項の「職員以外の者」に当たることは当事者間に争いはないので、仮に、甲女が一般職の職員に当たらないとしても、条例第2条第2項の要件を満たすかを判断しておく。
ア.甲女は正規の職員について定められている勤務時間と同一条件で勤務し、月内の勤務日数も正規の職員と同じであり、任期は会計年度ごとの1年間であったことから期間の満了をもって任期は終了していたが、期間満了後空白期間なく再び任用されていたのであるから、正規の職員について認められている勤務時間以上勤務した日が18日以上ある月が「12ケ月を越え、以後引き続き所定の勤務時間により勤務していた者」(条例第2条2項)に該当する。甲女のように、単年度の任用が間断なく継続した者についても条例第2条第2項の適用を排除すべきではない。
イ.従って、甲女は、本条例第2条第2項の要件を満たすものでもある。
3.この控訴審(第二審)判決では、甲女の勤務実態が一般職の職員と同様であること、1年期限雇用でも間断なく継続されてきていたことの実態を重視し、任用通知書での形式的内容には重きを置いていません。これは、民間企業を対象とする労働法規制の考え方と共通する面があります。
ちなみに、国家公務員の場合には、以下のような定めがあり、仮に有期雇用の期間満了で一旦退職したとしても、国家公務員退職手当法第7条 (勤続期間の計算)で、退職日と次の勤務日が連続した場合は「引き続いて雇用している」こととみなしています。
○国家公務員退職手当法第2条第2項 (適用範囲)
職員以外の者で、その勤務形態が職員に準ずるものは、政令で定めるところにより、職員とみなして、この法律の規定を適用する。(=退職手当を支給する)
○国家公務員退職手当法施行令第1条第1項第2号 (非常勤職員に対する退職手当)
前号に掲げる者以外の常時勤務に服することを要しない者のうち、内閣総理大臣の定めるところにより、職員について定められている勤務時間以上勤務した日(法令の規定により、勤務を要しないこととされ、又は休暇を与えられた日を含む。)が 引き続いて12月を超えるに至つたもので、その超えるに至つた日以後引き続き当該勤務時間により勤務することとされているもの
○国家公務員退職手当法第7条 (勤続期間の計算)
第7条 退職手当の算定の基礎となる勤続期間の計算は、職員としての引き続いた在職期間による。
2 前項の規定による在職期間の計算は、職員となつた日の属する月から退職した日の属する月までの月数による。
3 職員が退職した場合(第12条第1項各号のいずれかに該当する場合を除く。)において、その者が退職の日又はその翌日に再び職員となつたときは、前2項の規定による在職期間の計算については、引き続いて在職したものとみなす。
以 上
町の嘱託職員と退職金支給 ~その①~
弁護士法人近藤日出夫法律事務所
弁護士 近藤 日出夫
新年明けましておめでとうございます。新年を迎えると、すぐに新卒採用、退職等の人事異動の春―3月がやってきます。公務員関係における労働法の適用解釈は私も悩むことが多い分野です。
今回は、退職金支給面で、公務員の有期雇用職員・嘱託職員の立場を考えてみたいと思います。
( 問題点 )
単年度の任用が間断なく30年継続した非常勤職員(辞令では嘱託学校図書館司書)には、地方公務員法上の一般職員と同様な勤務態様・勤務実績であったことを理由に、地方公共団体が条例で定める一般職の退職手当の支給を受ける権利が発生するのでしょうか。
( 解 説 )
1.地方公務員の種類
雇用期間を1年間とする嘱託職員を採用する例は広く地方公共団体の職員採用においても行われています。地方公務員法(以下「地公法」という。)第3条は、地方公務員を一般職と特別職に分け、特別職を、就任について公選又は地方公共団体の議会の選挙、議決若しくは同意によることを必要とする職(第3項第1号:市町村長・議員・審議会委員等)や臨時又は非常勤の顧問、参与、調査員・嘱託員及びこれらの者に準ずる者の職(第3項第3号)などと規定し、地公法の規定(第28条の2、定年制の定め有り)は、一般職の公務員に適用し、特別職の公務員には適用しないとしています(同法第4条)。
地方公共団体では、地公法第17条の2で定める競争試験を実施しないで、1年間を雇用期間とする臨時職員や嘱託職員を採用している例が多いようですが、そのような臨時職員の雇用期間を1年ごとに更新(1年ごとの辞令交付)をして、通常の一般職員と同様に定年まで雇用継続された場合でも、一般職の公務員とはならないのでしょうか。
2.民間企業での有期雇用の継続的更新の場合の問題点
(1)民間企業の場合にも、有期雇用労働者(雇用期間を6か月間又は1年間と限定)を多く採用する例が増えてきました。不況又は生産調整時の雇用調整として、短期間労働で雇用期間の満了と同時に辞めさせることができるパートやアルバイトなどが典型です。しかし、このような有期雇用労働者は、勤務時間も仕事内容も正社員と同じでありながら時間給で賞与無しという給与割安での採用方法に流用され、1年間の雇用も継続更新され長期間雇用されるという形になっているにもかかわらず、労働需要が低下した時期に突然雇い止め(期間満了・更新無し)されても法的な救済がされないという実態が生じていました。
(2)このような有期雇用の実態に対して、まず、最高裁判例(東芝柳町工場事件・昭和49年7月22日判決、日立メディコ柏工場事件・昭和61年12月4日判決)で
ⅰ)反復更新された常用的臨時工の労働契約関係は、「実質的に期間の定めのない契約と変わりがない」ので、更新拒絶の意思表示は「解雇」と実質的に同じであり、したがって解雇に関する法規制が類推適用される、という理論
ⅱ)有期契約が期間の定めのない労働契約と実質的に同視できない場合でも、「雇用継続に対する労働者の期待利益に合理性がある場合」は、解雇権濫用法理を類推し、雇止めに合理的理由を求めるという理論
を構築し、雇い止めは自由にできないという制限法理を作りました。
この理論は、解雇については、正社員の解雇の場合と同様に扱うということを意味し、平成26年4月1日改正施行の労働契約法で次のとおり条文化されました。
○労働契約法第19条(有期労働契約の更新等)
有期労働契約であって次の各号のいずれかに該当するものの契約期間が満了する日までの間に労働者が当該有期労働契約の更新の申込みをした場合又は当該契約期間の満了後遅滞なく有期労働契約の締結の申込みをした場合であって、使用者が当該申込みを拒絶することが、客観的に合理的な理由を欠き、社会通念上相当であると認められないときは、使用者は、従前の有期労働契約の内容である労働条件と同一の労働条件で当該申込みを承諾したものとみなす。
一 当該有期労働契約が過去に反復して更新されたことがあるものであって、その契約期間の満了時に当該有期労働契約を更新しないことにより当該有期労働契約を終了させることが、期間の定めのない労働契約を締結している労働者に解雇の意思表示をすることにより当該期間の定めのない労働契約を終了させることと社会通念上同視できると認められること。
二 当該労働者において当該有期労働契約の契約期間の満了時に当該有期労働契約が更新されるものと期待することについて合理的な理由があるものであると認められること。
(3)労働基準法や労働契約法の直接適用が無いとされる公務員の場合にも、嘱託職員としての短期雇用期間を連続更新した場合には、一般職の公務員の権利と同等の権利を持つようになる可能性があるのではないかという点を検討する必要があります。例えば、退職金支給条例に次のような規定があった場合に、臨時職員・嘱託職員は支給対象者に含まれないでしょうか?
実際に裁判になった事例で検討していきましょう。
<条例>○○町職員の退職手当に関する条例(昭和28年制定)
第1条(目的)
この条例は職員(地方公営企業等の労働関係に関する法律に定める職員を除く)の退職手当に関する事項を定めることを目的とする。
第2条(退職手当の支給)
1この条例の規定による退職手当は、前条に規定する職員のうち、常時勤務に服することを要するもの(地方公務員法第28条の4第1項、第28条の5第1項又は第28条の6第1項若しくは第2項の規定により採用された者を除く。以下「職員」という。)が退職した場合、その者(死亡による退職の場合にはその遺族)に支給する。
2職員以外の者のうち、職員について定められている勤務時間以上勤務した日(法令又は条例若しくはこれに基づく規則により、勤務を要しないこととされ又は休暇を与えられた日を含む。)が18日以上ある月が引き続いて12ケ月を超えるに至ったもので、その超えるに至った日以後引き続き当該勤務時間により勤務することとされているものは、職員とみなして、この条例の規定を適用する。
ア.この条例では、第1条で退職手当支給対象者から地方公営企業等の職員が除外され、次に第2条第1項で、定年退職後の再雇用職員が除外されていますが、「常時勤務に服することを要するもの」と定めるだけで、いわゆる一般職の公務員と特別職の公務員を区別していませんでした。
イ.次に、○○町では、昭和31年地方自治法改正(第204条の2「普通地方公共団体は、いかなる給与その他の給付も法律又はこれに基づく条例に基づかずには、これをその議会の議員、第203条の2第1項の職員及び前条第1項の職員に支給することができない。」を追加改正)によって、特別職の職員の退職手当について、一般職の職員の退職手当とは別個に単独条例として制定することとし、昭和31年12月に、以下の特別職退職手当条例を制定しました。
<条例>○○町特別職の退職手当に関する条例
第1条この条例は○○町特別職の職員(以下「職員」という)の退職手当の支給に関し必要な事項を定めることを目的とする。
第2条この条例は次に掲げる職員が退職した場合にはその者(死亡したときはその遺族)に支給する。
①町長 ②助役 ③収入役
第3条(退職手当の額)
第4条この条例に規定するものの外退職手当の取扱いについては、○○町職員の退職手当に関する条例(昭和28年制定)を準用する。
ウ.以上の条例の経過の中で、○○町は、甲女を昭和56年4月1日から1年間の任期で○○町の非常勤職員の学校図書館司書として任用しました。甲女は勤務時間も一般職公務員と同じであり、1年間の雇用期間が経過すると連続して翌年度の4月1日から1年間の辞令が発令され、平成24年3月31日に退職するまで毎年1年間の任期で再任用されました。
甲女は定年まで働き終えたという気持ちで、一般職の公務員と同様に退職金の支給があるものと思っていましたが、○○町からは、「特別職の嘱託職員には退職金条例は定められていないので、甲女には退職金は支給できない」と説明されました。さあ、甲女としては納得がいきません。
○○町職員の退職手当に関する条例(昭和28年制定)第2条第2項の適用はないのでしょうか?この点�
以 上